第46話 錯綜 #3

 しばらくすると扉が開いて、ヨークが姿を見せた。ランプを壁に掛けると、こちらに歩み寄ってくる。


「やあ、元気そうだね」


 奴は横目で出入口を見た。


「怖い人だね、ワラフさん。僕のことに気づいていたみたいだ」


 そうだろうよ。俺がわかっていたんだから、優秀な軍人だったワラフが気づかないわけないだろう。


 最初から、お前のことは知っていた。その上で、あの話をした。そういうことだよ。


 ヨークが手を伸ばしてきたので、俺は下がった。おっと触らせねえぞ。


「大丈夫だよ。悪さはしないから。よその厩舎のウマに、対戦相手の騎手が近づくのはよくない事なんだけど、ワラフさんは気にしないみたいだね」


 だな。誰が来ても、すべてを見せる。それがワラフのやり方だ。


 ヨークはじっと俺を見た。


 妙に圧が強い。なんだよ。告白か。


「ねえ。君」


 なんだよ。


「君、人の話がわかるでしょ。全部わかって知らないないふりをしているでしょ」


 バ、バカなことを言うなよ。そんなことあるはずがないだろ。


 人の話をわかるウマなんて、ファンタジーの世界にしかいねえよ。現実にはありえねえ。ありねえだろう。


 まったくもう。ああ、空は赤いな。あっははは。


 激しく首を振る俺を見て、ヨークは笑った。


「あはは、すごいね、君。ごまかし方が子供みたいだ」


 馬鹿にしやがって。

 よく言われるよ、変なところで子供っぽいて。真理にも聡史にもさんざんからかわれたぜ。


 ヨークは笑って壁にもたれかかるようにして座った。俺とはちょっと距離がある。


「この国には、人の言葉がわかる神馬の伝説があって、初代国王のラーム一世はその神馬とともに戦場を駆けめぐって勝利したって言われる。気高く美しい白馬だったそうだが、君は違うよね。酒場で飲んでいるおっさんって感じだ」


 悪かったな。品がなくてよ。いいんだよ、俺は俺で。


「だからかな、君には、皆、本音を話す。男爵様もワラフさんもミーナもチコも。さっきのワラフさんの話なんて、国の機密だよ。それをすらっと喋らせちゃうんだから、すごいよね」


「そういうお前も何か言いたいそうだな」


 そう言ってやりたかったが、口が動くだけで言葉は出なかった。


 ヨークが話をはじめるまでには、かなりの時間がかかった。


「僕は天才騎手なんて言われているが、全然、違うんだ。ちょっと人よりウマに乗れて、先を見る目があるだけさ。必死になって努力しないと、化けの皮がはがれてしまう。本当の天才はチコさ」


 だろうな。よーくわかるぜ。一勝クラスに乗った時に見せた判断力はただものじゃなかった。


「レースが全部、見えている。スタートしてからゴールしてまでの他馬の動きをまるで上から見ているかのようにしっかり捉えていて、どこでどう動くのか、あらかじめわかっている。仕掛けのタイミングまで見えているみたいだ」


 おう、そうだな。


「前にレースが終わった後、話をして驚いたよ。彼女、乗っていないのに、僕の隣で騎手がどんな動きをしていたのかわかっていたんだ。それを見越して早めに動いたこともね」


 ヨークはそこで大きく息を吐いて、天井を見あげた。


「そのことをすごいって言ったら、きょとんとしてから、そんなの普通でしょで言われた。だから、いやなんだよ、本物の天才は」


 それはきつい。才能の自覚がねえのは、本当におそろしいよ。


「僕はずっとチコの背中を追ってきた。彼女がここに住んで、ウマに乗るようになってからね」


「……」


「どこへ行くにも、後についていった。川を越えて森を抜けて、隣町の先にある丘の彼方まで行った時も、北の草原を抜けて貴族様の領地に入り込んだ時も、ずっといっしょだった。大人たちに怒られても平気だった。彼女の近くにいれば、それで幸せだったからね。いつかは振り向いてくれると思っていた」


 ヨーク、お前……。


「だけど、無駄だった。チコの目は近くの牧場に住む同い年の男の子に夢中だった。どこにいても彼を見ていたし、彼と話をしていた。三人で出かけると、僕に気をつかって話をしてくれるけれど、目線はずっと彼から離れなかった。あれはきつかったよ。正直、落ち込んだ」


「大変だったな」


 そう言葉をかけたくて、俺はいなないた。そのあたり、なんとなくわかるぜ。


 こっちの気持ちが伝わったのか、ヨークは小さく笑った。


「彼がいなくなった時には、正直、勝ったと思ったんだけど、チコの気持ちは変わらなかった。今でも引きずっている。何度も声をかけたが、伝わらない。残念だけど、僕じゃ駄目みたいだ」


 ヨークは近づいてきて、俺の顔に手を伸ばした。仕方ねえな。触らせてやるよ。ちょっとだけだぞ。


 思いのほかやわらかい掌が額に触れる。


「彼女を見守ってくれ。今のチコを救えるのは、君たちだけだと思う」


 おう。まかせておけ。


 どれだけの事ができるかはわからないが、できることは全力でやる。だから、泥船に乗った気でいろ。あれ、大船だったけっな? まあ、どっちでもいいや。


「じゃあ、また」


 ヨークは手を振って、馬房を離れる。が、外に出る直前で振り向いた。


「でも、ダービーに勝つのは、僕だよ。君の能力はつかんだ。負けるつもりはないからね」


 何だとう。大口、叩きやがって。


 ソーアライクの調子がいいのはわかっている。あれと真っ向勝負になったら、正直なところ苦しい。

 

 だが、勝つのは俺たちだ。


 堂々と来い。叩きのめしてやるぜ。


 俺が不敵にいななくと、今度こそヨークは厩舎を出て行った。


 残ったのは、いつもの彼の雰囲気に似た、やわらかい春の空気だけだった。

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