第38話 夢のつづき #2

 それからも、俺は日々の仕事をこなしていた。調教があれば乗り、騎乗依頼があれば受け、レースがあれば出走した。


 勝ち星は少なかったが、うまく乗れたと思うことは多かった。1800メートルの牝馬限定戦では、内をうまくすくって七番人気のウマで勝利した。宮内だけじゃなく、先輩騎手からも上手いじゃないと褒められた。


 悪くはない日々で、今の調子なら大きいレースでも勝てるかもしれない。


 だが、心の隅っこに引っかかりがあった。


 異世界でのことが、やっぱり気になった。


 フィオーノブ賞で、俺たちは事故に巻きこまれた。ほかのウマとぶつかって、俺はよろめき、チコはコースに落ちそうになった。


 ぎりぎりの所で、身体を振って、コースの内側に逃がしたつもりだったが、正直なところ、どうなっているかはわからねえ。


 落ちていく時のチコの表情ははっきりおぼえている。


 第一、俺はどうなった。


 ほかのウマに踏みつけられていたら、大怪我をしていることも考えられる。いや、もっと悪いことも。


 だから、元の世界に戻ってきたとも言える。


 どういう仕組みで、異世界に吹っ飛ばされたのかわからないのだから、帰ってくる

時だってはっきりしないわな。


 夢と割り切るには、あの世界の出来事は鮮明すぎる。


 ワラフのゴツゴツした掌、ミーナの胸、そして、チコの涙。すべて、俺の肌がおぼえている。自分で触れたウマの肌のように思い出せる。


 確かにあった以上、このままにはしておけねえ。


 何とかしたいが、いったい、どうすれば……。


「行きますよ」


 そこで、声がかかって、俺の意識は現実に返ってきた。

 そうだった。今は調教中だった。


 俺がまたがっているのは小山のおっちゃんのところのウマで、週末の二勝クラスに出走することになっていた。調子はまずまずで、うまくいけば上位に食い込めるとの見立てだった。


 レースで俺が乗る以上、手応えはしっかり確かめておきたい。


 調教では、助手が乗る未勝利のウマに、俺のウマが内側から追いついてかわすことになっている。実戦さながらの乗り方で、しっかり相手をかわすことを覚え込ませたいらしい。


 長い距離を追いかけての調教は、おっちゃんならではのやり方だ。


 ウッドチップのコースを、先に助手のウマがいる。


 少し時を置いて、俺のウマが追いかける。


 コースの四分どころ、きれいにコーナーを回る。


 いいぞ。息づかいだ。足さばきもいい。引っぱりきれない手応えだ。


 俺は内側から助手のウマに並びかける。


 不意に、サイレンの音色が響きはじめた。コース上にはっきり響く音だ。


 事故だ。誰かが落馬した。


 俺が神経を前に向けると、右前方から突っ込んでくるウマがいた。


 騎手はいない。


 なんてことだ。空馬の逆走か。最悪だ。


 空馬は興奮してしまって、右も左もわからないようだ。よれながら、俺たちに向かってくる。


「離れろ。早く」


 手を振ると、助手が外にウマを逃がす。


 俺は一瞬の判断で、内側に馬首を向ける。急には止まれねえ。


 何とかすれ違って、その後でスピードをゆるめるほか手はない。


 内側には余裕がある。すれ違いは簡単だ。


 これならばうまくいくと思って、俺がインコースに思いきり寄った時。


 空馬がいきなり右に跳ねてきた。さながら、俺たちの進路を防ぐように。


「あぶねえ」


 俺は手綱を振る。


 せめてぶつからないようにとウマを逃がしたが、それが急すぎて、左右に身体を揺さぶられる格好になった。


 騎手は前後の揺れには強いが、左右はからっきしだ。


 俺は吹っ飛ばされて落ちる。


 そこに、空馬がねらっていたかのように突っ込んでくる。


 これはいけねえと思った瞬間、俺の意識は闇の世界に飛んでいた。




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