第27話 少女と王様 #2

 

姿を現した王様は若かった。多分、10代後半だ。


 髪は黒くて、目は青い。顔立ちはやさしいが、陽に焼けているせいか、ひ弱なイメージはない。迫力を感じる。


 背は、近衛の連中に比べると低いのだが、そうは見えない。ほっそりとした身体付きですら、精悍に見える。


 何かこう、見るからにして違う。


 服は地味で、きらびやかな飾りもつけていないのに、なぜか目が惹きつけられてしまう。この場の中心にいるのは彼だと、自然に理解できる。


 気品? 威厳? よくわからねえが、目の前の男が王であることは疑う余地がねえ。


 王様は馬房の前に来ると、俺の顔に手を伸ばした。自然な仕草でなでる。


 くそっ。しらねえ奴に顔を触られるなんて、普段なら死んでも嫌なのに。


 身体が勝手に許しちまったぜ。


 王様は、しばし俺の顔を見てから視線を転じた。


「久しぶりだな。ワラフ。元気そうで何よりだ」


 ワラフが黙っていると、王様は笑った。


 表情は子供っぽい。だが、どこか屈託を感じる。


「こんな所で気をつかっても仕方がない。直答を許すから、思ったことを言ってくれ」

「陛下にあらされては、ご健勝なようで何よりです」

「あいかわらず、堅苦しいな。安心したよ、変わっていなくて」


 王様は語る。口調はさわやかだ。そうなんだが、ヨークとは何か違う。腹に何かあるって感じだな。


「宴も、さっさと切りあげて行ってしまったな」

「不調法なので」

「昔は、夜、遅くまで粘って酒を飲んでいたと聞いていたぞ。豪快さでは、人後にかなわなかったとか。いろいろと話は聞いた」


 そこで、隊長さんが咳払いをする。顔が変だぜ、ええ。


「陛下、お時間が」

「ああ、そうだね。すまない。この子を見てみたい。出してもらえないか」

「はい。さっそく」


 ワラフはチコに合図をする。


 チコはしばらく動かなかったが、繰り返しうながされると、ようやく立ちあがり、馬房の扉を開けて、俺を引っ張り出した。


 王様はじっと俺を見つめる。足や尻だけじゃなく、首筋や胸前、さらには腹のあたりもしっかり確かめる。右後ろ足にはとりわけ注意を払っていた。


「いい馬体だ。これならば、フィオーノブ賞でも面白いのではないか」

「はい。まことにもって」

「蹄鉄に工夫があるのもいい。打ったのは、おぬしか」


 問われて、ミーナは一段と頭を下げた。


「は、はい」

「グラムの孫か。さすがの才能だ。先が楽しみだ」


 王様の視線は、そこでチコに移る。


「それで、乗り心地はどうだ」


 チコは答えない。ただ、うつむいたまま動かずにいる。


「これほどのウマだ。ほかとは違うのではないか」


 まだ、何も言わない。


 空気が揺れて、近衛の連中が殺気だった。無礼な振る舞いだからな。そりゃあ、腹もたとう。


 ワラフが立って応じようとしたところを、王様は押しとどめた。


「答えてはくれないのかい、チコ」


 これまでとはまるで違う、やわらかい声だ。表情もぐっと幼くなっている。


「余は……」

「申しわけありません、陛下。私には何も答えられません。単なる馬乗りですから」

「そういうことではない。チコ」


 王様の声が高くなった。


「まだ許してはもらえないのかい。僕はまだあの時の約束を憶えているんだ。だから……」

 チコの顔が歪んだ。口を半ば開いたところでぐっと閉ざし、うつむく。握りしめた手は細かく震えている。


「チコ」

「失礼します、陛下。そろそろレースの時間ですので」


 返事を待たず、チコは一礼して、俺を引きながら馬房から離れた。


 背後で動く気配があったが、気にした様子はない。


 一度として振り向くことなく、チコは足早にその場を立ち去った。

 馬房の横の小道を抜けて、チコはひたすら前に出る。俺が嫌がっても気にした様子はない。


 落ち着いたのは、コース脇に広がる雑木林に達した時だった。


 ネマトンプ競馬場は山の麓にあって、林があちこちにある。というか、森を切り開いて、競馬場を作ったような感じで、自然の豊かさは半端ない。


 海外の競馬場に似ているかな。グッドウッド競馬場で乗った時、同じような感覚を味わった。もっとも木々の多さは、こっちが上か。


 チコはうなだれていた。俺が身体を寄せると、その顔が俺の首筋に当たる。


 喉がわずかに動く。


 そこから嗚咽が響くまで、たいして時はかからなかった。


 チコは、俺の首筋に顔を押しつけたまま泣いた。それは静かだったが、止まることなくつづく。


 俺は何もできず、ただじっとしていた。それしかできなかった。


 落ち着くまで、どれほどの時間を要しただろう。ちょっとわからない。

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