第26話 少女と王様 #1
それからの数日はあっという間に過ぎ去って、気がつけばフィオーノプ賞の当日になった。まったく月日の経つのは早すぎる。
俺は、その間、調教して飯食って寝て、調教して飯食って寝て、飯食って寝ての繰り返しだった。市内観光に連れて行ってくれるかと思ったが、そんなはずは当然ななく、競馬場から一歩も出ることはなかった。
そのあたりは、チコやミーナも同じで、二人は俺の世話をするため、厩舎に貼りついていた。ワラフは打ち合わせとかでたまに出かけることはあったが、それでも不自然なまでに早く帰ってきて、俺と後からもう一頭連れてきたウマの面倒を見ていた。
きっちり世話してくれるのはありがたいが、雰囲気はあまりよろしくなかった。
三人ともネマトンプにいた時のような快活さがなく、ずっと重苦しい空気が漂っていた。
チコはあまり話をしなかったし、ミーナもどこか険しい表情だった。ワラフは無口に拍車がかかって、厩舎で指示を出す時ですら顎や手で示す有様だった
。
ほかの厩舎から声がかかっても、遊びに行くことはない。日常会話はするが、チコもミーナも線を引いて、深くかかわろうとしなかった。
とりわけ、町には絶対に出ようとしなかった。
それからミスも目立って増えていた。
ひどかったのはチコだ。餌を間違えたり、調教の時間を勘違いして、大変だった。一度は何でもないところで落馬して、ワラフたちをひやりとさせた。
普通じゃない。こんな馬鹿なことをする娘ではない。
何よりも変だったのは、そんなチコをミーナやワラフが注意しなかったことだ。
ウマを扱う仕事は危険で、ミスをすれば、自分だけでなく、ほかの人も怪我をする。間違いがあれば、それを叱りつけるのは当然だった。
それが、この数日はまったくない。失敗しても、チコの身体を気遣うだけで、説教する気配すらない。
だから、チコはぼうっとしたままで、またミスをする。その繰り返しだ。
おかしい。絶対におかしいぜ。
何かあるのはわかっていたが、ウマである俺にはどうすることもできない。
心にモヤモヤを抱えていたが、どうすることもできず、レース当日になってしまった。
その日は曇り空で、いつ雨が降ってもおかしくないような雲行きだった。生温かい風が吹き、空気もどんよりと湿っていた。
それでも、さすがに大レースとあって、競馬場の雰囲気は華やかだった。
芝生の観客席には庶民の客が入って、さながらお祭りのようだった。遠くから見ただけなんではっきりしたことは言えないが、一万か、それ以上はいるんじゃないかね。屋台も出ているようで、肉の焼けるいい匂いが漂っていた。
貴族も着飾って姿を見せ、観戦用のスタンドに集まっているようだった。
厩舎に姿を見せる者もいて、自分のウマをさかんに自慢していた。
例の侯爵様も取り巻きを連れて来たよ。ウマを出してもらって、このあたりの筋肉の付き方がいいとか、目の輝きが素晴らしいとか語っていた。
実際、侯爵のウマは仕上がりがよかった。間違いなくライバルになるね。
男爵様も姿を見せたが、厩舎にいた時間は短かった。どうもスタンドでの活動で忙しかったようだ。
何分、王様が来るからね。
普段は会えないような王室の関係者がどっと押し寄せてきて、競馬場はいつもと違った空気らしい。近隣の貴族も姿を見せていて、普段は絶対に顔をあわせるようなことができないお偉いさんと親しく話ができるらしい。
男爵も、建国に尽力した有名公爵家と話ができたってはしゃいでいたよ。
王様に謁見するため、ほかの調教師や騎手は挨拶に出向いていたが、ワラフもチコも厩舎を離れなかった。何も言わず、黙々と仕事をしていて、不気味なぐらい緊張感があった。
ミーナもそれを気にしているみたいだったが、口には出さなかった。
「そろそろか」
ワラフが馬房の扉を開けて、俺を引き出した。
「行くぞ」
「はい」
チコはのろのろと立ちあがった。
すでに男爵様の勝負服を着ている。ブーツもズボンも新品で、今日のために誂えた。
ミーナが帽子と鞭を渡す。その表情は冴えない。
そこで、ざわと空気が揺れた。
声があがって、それはたちまち大きくなった。
何事かと俺が顔を向けると、黒いマントを身につけた一団が姿を見せた。
十人ぐらいで、全員、背が高くて、肩幅も広かった。腰には、ファンタジーマンガでしか見たことのない剣をぶら下げている。
騎士ってやつだ。
驚いたね。こんなのが存在するのか。
冗談みてえだ。
俺がぼうっとしていると、先頭の騎士が近づいてきた。黒だが、ほかの騎士よりも威厳がある服装で、一目で偉いさんとわかる。
年は五〇ぐらい。白い髪と髭が強烈にカッコいい。
「久しぶりだな、ワラフ」
「ご無沙汰しております、隊長殿。ご壮健なようで何よりだ」
「何を他人行儀な。近衛連隊で剣技を競った仲ではないか。お前がこっちに残ってくれれば、隊長をまかせて、俺は楽できたのにな」
隊長さんは笑った。へー、思ったより気さくだな。
「そちらは、サウルの娘か」
「ああ。そうだ。挨拶を」
「チコと申します。以後、お見知りおきを」
丁寧に膝をついて挨拶するあたりは、たいしたものだね。ミーナも紹介されて、それにならった。
「どうして、こちらへ。陛下の警護はよいのですか」
「何を言う。近衛の隊長が陛下から離れるわけがなかろう」
「え、では……」
「そうだ。陛下がこちらにいらっしゃる。どうしても、見たい馬がいるとおっしゃられてな。ああ、準備はいい。もうそこまで来ている」
え? 王様が来たの? 何の知らせもなく?
それはすごくね。そんなんでいいの。
「腰の軽さはあいかわらずでな。まあ、うまくやってくれ」
慌ただしく三人は移動し、馬房の前で膝をついた。
近衛の騎士が列を組んで、道を作る。
ぐっと緊張感が高まったところで、黒のマントに茶のウェストコートに、黒のズボンを身につけた男が姿を見せた。
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