第25話 最終調整 #2

「どうだ?」

「大丈夫。足さばきはきれいだし、呼吸も乱れていない。調子いいよ」

「扱いにくいところはないか」

「何も。この子、本当にこっちの言うことを聞いてくれるよ」


 チコは俺から降りると、その首筋をなでる。


「自分が何をすればいいのか、ちゃんとわかっている。頭いいよ」


 へへ。それほどでもないぜ。まあ、頭のよさじゃ、他の騎手には負けねえがな。


「いい感じだったね。ほら、見てごらんよ」


 ミーナが歩み寄ってきて、指で示す。


「先に調教を終えた連中、興味津々って感じだ。さっきからチラチラこっちを見ていて面白い」


 視線は俺も感じているぜ。先だって、すれ違った騎手も俺たちを気にしている。


 奥にいる馬主とおぼしき集団も、こっちを見ながら話をしていた。


 今まで、俺たちのことはまるで知らなかったのだろう。たった二勝で出走するぐらいだから、たいしたことはないと思っていたのに、実際に走る姿を見て、認識を改めたってところだ。


 俺もここへ来てから、出走予定のウマを見ているが、実力に大きな差はないように思える。


 先だってすれ違った二頭は、ちょいと抜けているが、それでも相手にならないとは思えない。十分に考えて、レースに望めば、互角以上に渡りあえる。


 何より、こっちにはチコの閃きがある。


 前のレースで見せた輝きが、本番で炸裂すれば、直線でごぼう抜きして、ちぎって勝つことだってできる。


 大事なのは本番までに調子を崩さないことだ。


 俺たちは注目を浴びながら、競馬場に設置された厩舎に向かう。そこには一〇の馬房が用意されていて、遠征馬が自由に使ってよいことになっている。


 さて、飯だ。とりあえず喰っておかねえと、明日につながらねえ。


 俺が足取りも軽やかに厩舎に向かう道を曲がると、意外な人物が目の前にいた。


「これは、男爵様」


 ワラフが前に出て、一礼する。


 俺たちを待っていたのは、馬主のタクマニン男爵だった。こったステッチの入った服を身にまとっている。シャツもズボンも新品で、いつもと違って、めかし込んでいる。


 もっとも大きく飛び出した腹で、すべてが台無しだがな。


「到着は明日と聞いておりましたが、どうなさったのですか」

「予定が変わった。どうしても今日中に、タンデートに入っておかねばならなくなった。準備が必要なのでな」

「準備と申しますと」

「陛下が、タンデートにいらっしゃる。フィオーノプ賞をご覧になるとのことだ」


 男爵の言葉で、チコの肩が大きく揺れた。あからさまに動揺している。


「何でも、今年のレースには面白いウマがいるとのことで、注目されたらしい。たまたま、こちらに来る用事もあったので、観覧することに決めたらしい。レース前日にはタンデートの迎賓館に入る」

「ラーム三世陛下が」

「王国ダービーの観戦は、国王の義務であるから臨場は当然であるが、その前哨戦であるフィオーノブ賞をご覧になるのは珍しい。ラーム一世陛下以来ではないかな。おかげで、タンデートの町はえらい騒ぎになっているらしいが、まあ、仕方がない。うれしい悲鳴だから、それはそれでよいのではないか」


 男爵は笑みを浮かべた。これをきっかけに、王室に近づこうとでも考えているのか。まったく欲の皮が突っ張りすぎだぜ。


「ワラフ、おぬしにも宴には参加してもらう。準備しておけ」

「いえ、それは……。私には馬の調整がありますので」

「私に恥をかかせるな。ああ、乗り手は来なくていいぞ。無礼を働かれても困るのでな」


 何だとう。失礼だな。チコがそんなバカに見えるのかっていうの。


 俺が横目で見ると、チコは青い顔でうつむいていた。その手は震えている。


 傍らにはミーナがおり、肩に手を置いているが、まるで気づいていないようだ。


 どうなっているんだ。国王が来るだけで、これほどまでにビビるものかね。


 ミーナのふるまいも気になる。相手が男爵様といえど、あれだけ無礼な言い回しをされたら文句の一つもつけるのに。異様に事を荒立てないようにしている。


 俺は鼻を鳴らして、チコを引っぱるようにして、馬房に向かった。


 引っかかる。どうにも引っかかるぜ。



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