第24話 最終調整 #1

 本番まで一週間を切って、調教も最終段階を迎えた。


 昨日まではタンデート郊外の牧場で坂を登ったり下りたりしていたが、今日からは競馬場に移動し、実際にコースを走って、感触を確かめることになる。


 何でも、フィオーノプ賞に出るウマは、特別で、一回だけ本番のコースを使って、全力の調教をかけていいんだと。

 こういうところでも格式の違いを感じるね。


 ワラフもすでに到着していて、昨日から陣頭指揮を執っている。


 今日は、最終追い切りだ。コースに入って、軽く走る。

「単走で、コースの外を回れ。本番に疲れを残してはならん。馬なりで軽く走ればいい」


 早朝、タンデート競馬場のコース脇で、ワラフが指示を出した。


 すでにチコは馬上にあり、神妙な表情で、それを聞いている。


 ミーナはちょっと前まで俺の蹄鉄をチェックしていたが、今は少し離れた場所から俺たちを見ている。表情はいつもと変わりない。


 あの二人が話しているのを見たが、これといって変わったところは見られなかった。ミーナはいつものようにチコをからかい、チコが受け止めて言い返すといった感じだ。距離はいつもどおりで、スキンシップもちゃんとしている。


 だが、どこか引っかかる。というか、そもそも二人の間には距離がある。


 チコは心の一部に高い壁を築いていて、ミーナはそこに踏みこむことができない。近づくことを避けているようにすら思える。


 実のところ、ワラフもそれは同じで、チコの壁を遠巻きにして、触れるのを怖れている感じだ。


 仲がいい。だが、遠慮がある。


 それは、好ましいことではない。触れて欲しくないことほど口にするべきであり、いつまでも放っておけば、致命的な事態を引き起こす。


 それだけは、わかりすぎるほどわかっている。


 だが、ウマであるこの身にはどうすることもできねえ。ただ、チコと回りの関係を見ているだけだ。


「よし、行け」

「はい」


 チコは手綱を振って、コースに入るように合図する。


 俺は素直に従う。


 レースコースに脚を踏み入れると、朝日を浴びて、緑の芝が美しく輝く。


 タンデート競馬場は、ネマトンプよりも一週が長い。距離は、一八〇〇メートルといったところか。


 形状はほぼ同じだが、注目すべきは、その起伏だ。


 一コーナーに入るところから登りになり、それは二コーナーが終わるところまでつづく。高低差はおよそ五メートル。気づきにくいが、かなり急だ。


 次いで、向こう正面の直線で下りになり、一気に3メートルほど下がる。


 しばらく平坦になるが、三コーナーの半ば過ぎから、また急な下りになり、直線の入口付近までで下がりきる。


 そこから、ゴールまでは猛烈な登りだ。


 最後の直線200メートルで、8メートルの高低差を一気に克服する。坂は

ゴールに近づくほどに急になっており、それまでの走りでスタミナを消耗しているウマには、猛烈につらいはずだ。


 息があがり、脚が鈍ったそのあたりで、突然の平坦となる。


 ぐんと加速が乗ったその瞬間がゴールとなる。


 昨日、下見も兼ねて、チコを乗せて、くるりと一週してみたが、楽ではないことがすぐにわかった。中山競馬場に似ているが、起伏ははるかにキツイ。


 とりわけ三コーナーから四コーナーにかけての下りが面倒だ。スピードが乗りすぎて、コーナーを大回りしてしまう可能性が高い。


 そこをうまく乗り切っても、最後の坂が待っている。


 速いだけでも、スタミナがあるだけでも勝てない。


 総合力が試されるコースで、勝利をつかむのは簡単なことではない。


 といっても、俺はあきらめるつもりはないがね。


 やるからには勝つ。


 それはどこにいても変わらない、俺のポリシーだ。


 俺がコースの大外をゆっくり走っていると、二頭のウマが最後の直線を駆けあがって、第一コーナーに入って来た。


 内側は栗毛、外側は黒鹿毛じゃないかと思う。


 どちらも雄大な馬体で、惚れ惚れするようなフットワークをしている。


 とりわけ外のウマは、踏み出しがダイナミックで、前脚の強力なかきこみでスピードをあげているようだ。


 騎手は、どちらも赤い上着を着ている。


 馬主は例の侯爵様で、どちらのウマもフィオーノブ賞に出走予定だ。


 名前はなんていったかな。サンドうんたらだったと思うが、よくおぼえていない。


 二頭は速度をゆるめると、一コーナーの中途で止まった。大外に移動すると、逆方向に戻ってくる。


 俺たちはゆっくり前に出たので、すぐにすれ違う格好になる。


 チコは頭を下げたが、向こうの二人はきっちり無視して、そのままコースから出て行った。


 むかつくねー。レースでは、目にもの見せてやるぜ。


 スピードをあげはじめたのは、残り1000メートルに達してからだ。三コーナーの下りに乗るような形で、さらに加速する。


 馬なりという指示どおり、チコの手綱はピクリともしない。


 自然な足取りで、コースの大外を回る。


 俺の体内時計は、こういう時、正確だ。


 残り800メートルから、200メートルごとに一三秒で走る。。


 直線に入ると、坂があるので、わずかにスピードはゆるむ。


 それでも、残り400から200を一二秒八。


 そして最後の200メートルを一二秒五であがった。


 俺の体内時計は正確だからな。ずれていてもコンマ一秒ってところだ。ウマになって、なおさら精度があがったような気がする。


 これだけのペースで走って、疲れはない。身体は本当に軽い。


 芝コースとはいえ、大外をこれだけの時計で走らせることができたのだから、上等だろう。

 いいね。万全の状態で、フィオーノプ賞に出走できる。


 調教を終えて、コース外の待機所に戻ると、ワラフが声をかけてきた。


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