第22話 温泉 #3

 こういう下品な口ぶりから見れば、信じられねえかもしれないが、俺は、いいところの坊ちゃんなんだぜ。


 父親はエリートの銀行員で、母親は大手旅行会社のマネージャー様。


 兄貴と姉ちゃんも優秀で、誰でも知っているような外資系の企業に入って、ばりばり働いている。年収2000、3000は当り前といったところだな。


 俺だけが道を外れて、落伍者としての道を転げ落ちていった。


 小学校の頃から勉強はビリで、両親には愛想を尽かされていたよ。兄貴にはお前はうちの子じゃないって罵られたなあ。


 だから家では居場所がなくて、友達のところばかりうろついていた。


 幸い運動神経は達者だったから、体育の成績はよかった。器械体操もやったりしてな。そこそこのところまでいったが、コーチと喧嘩してスクールを叩き出されてしまった。


 そんな俺の前に現れたのが、競馬だった。


 中一の時だよ。


 一度、見ただけで魅了されたね。


 競馬場の美しさ、ウマのかっこよさ、そして騎手の華麗さ。


 ウマの首にあわせて、馬上でアクションする姿は、俺の心をつかんで放さなかった。


 それからは、一直線よ。競馬学校に入学して、騎手を目指した。


 親からはさんざん怒られたさ。博打の世界なんぞに足を踏み入れるなんて。二度と、敷居をまたぐなとも言われたよ。


 望むところだったから、金だけ出してもらって、家を飛び出した。以来、実家に戻ったことはない。


 騎手学校時代は、つらかった。


 なんと言っても騎乗経験がまったくなかった。


 同期には騎手の息子がいて、それこそガキの頃からトレセンの乗馬学校に乗って鍛えられていたし、他の奴も何らかの形でウマには触れていた。まったくの未経験者は俺だけだった。


 教官には怒られたばかりだった。乗り方がなってないだの、そのままじゃ人様に迷惑をかけるだのさんざんだった。人の十倍は怒られた気がする。反抗的な態度を取ったこともあったしな。


 三年で卒業できたのは奇跡だね。最終試験には落ちたと思っていたから。


 念願の騎手デビューができても、厳しい日々はつづいた。


 競馬界にコネなんてないから、いいウマが回ってこねえ。俺が配属された厩舎はいいところだったが、調教師が年で三年後には定年で解散することが決まっていた。それまでに名前を売っておかないと、一年に十勝できるかどうかのうだつのあがらない乗り役になっちまう。


 そんなのはいやだった。


 せっかく苦労してデビューしたんだから、金持ちになって、俺を蔑んでいた連中を見返したかった。


 だから必死になって、アピールした。先輩たちにはにらまれたが、正直、かまっていられなかった。下手くそなだけのベテランなんざ、どうでもいいと思っていたね。


 あの時の俺は、取り憑かれていたのかもしれねえなあ。ずいぶんと無茶はしたが、おかげで、しっかり成果はあがったが、失ったものも大きかったな……。



「ウマだけの人生かあ」


 ミーナの声にあわせて、水音がする。


「それもいいんだけどさ、興味はないの?」

「興味って、何に」

「男の子。誰か気になる人はいないの」


 何、男だと! 駄目、絶対。


 若い男なんてやりたいだけなんだから。そんなところに近づいちゃいけません。


「うーん。どうでもいいかな。話をするのも面倒だし」

「そんな年寄り臭いことを。もっとぱーっと遊ぼうよ」


 やめろ。ミーナ、あおるな。


「トルノフっておぼえている。ほら、王都の学校へ行って、法律を勉強した子。彼が今、家に戻ってきていて、今度、皆で、会って話でもしてみようってことになっているんだよ。チコも来てみない」

「どうしようかな。ウマの世話もあるしな」

「知り合いの男の子からも、チコは来ないのかって言われているんだ。皆、興味はあるんだよ。話せば、結構、楽しいかもしれないし」

「いいよ。男の子と話をするぐらいなら、ウマに乗ってぶらぶらしたい」


 チコはつっぱっねた。口調がわずかに硬くなったのを、俺は聞き逃さなかった。


 ミーナも多分、それに気づいたのだろう。つづく言葉が出てくるまで、時間がかかった。


「もしかして、まだ気にしているの?」


 返事はない。ただ、水音がするだけだ。


「もう五年近く経っているんだよ。あの後、一度も顔をあわせていないんでしょう。まだ引っかかっているの?」


 何だよ。いやな言い回しだな。


 まるで過去に何かあったみたいじゃねえか。いや、実際にあったんだろうさ。


 それはいい。だが、引っかかっているっていうのは、どういうことだよ。


「何の話?」


 平静を装ったが、その声は強ばっていた。


「気にしていることなんてないよ。牧場のことなんて、もう何もおぼえていないよ。もう五年も経っているんだもの。昔のことだよ、全部」

「チコ……」

「もう出よう。あの子がのぼせたりしたら大変だよ」


 大きな水音がして、温泉から人が出る。だが、その動きは見えていないのに、どこか力がないように感じられた。


 俺は首まで湯に浸かる。いかんな。どうにも冷えちまったぜ。






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