第21話 温泉 #2

 俺は湯に身体を沈めると、大きく息をついた。


 ああ、いい気持ち。この身体がぷくっと浮く感じがたまらないね。


 こうして、ウマが入ることができる温泉があるということ事態、この国のウマに対する関心の高さがわかる。


 俺たちの世界にも競走馬の温泉はあったが、あくまで調教施設の一つであって、そこいらのウマが自由に使えるわけではなかった。許可も必要だったしな。


 その点、クリドランの温泉宿に専用の温泉があって、自由につかることができる。


 まあ、それはありがたかったがよ。


 俺が耳を立てると、岩蔭の向こう側から声がしてきた。


「生き返るわあ。温泉は最高の贅沢よね」

「ミーナ、昔からお風呂が大好きだものね。三日も歩いて、山の奥にある天然の秘湯に連れて行かれたこともあったなあ」

「あんただって好きじゃない。文句を言いながら、いつだってついて来るんだから」


 大きな水音がして、気持ちよさそうな声があがる。


 ウマも温泉に入ることはできるが、人とは別。両者の間には、高くて厚ーい壁がある。俺の左手に広がる岩のように。


 ですよねー。混浴なんて考えた俺が能天気すぎたわ。


 覗きに行こうにも、俺は引き綱をしっかり杭に結ばれており、お湯から出ることはできても、岩蔭の向こうに回ることはできない。


 思いきり暴れれば、すっ飛んでくるだろうが、せっかくのリラックスタイムを奪いたくはない。二人はこれから先が大変なのだから、今はゆっくり休んでほしい。


 大人だね、俺って。


 空を見あげれば、星が瞬いている。陽が沈んでから時が経ち、頭上は赤、青、白の光で満ちている。


 星の並びは俺たちの世界とはまるで違う。北斗七星もオリオンの三連星もない。


 だが、夜空の美しさは変わらない。青、赤、黄、色鮮やかなきらめきが天上の世界を満たす。


 春風を感じながら、露天風呂にひたる。たまらないね。


 日頃の疲れを癒すには、ちょうどいい。

 そうともさ、こうして俗世間から切り離されて、静寂と清らかさに満たされた世界で……。


「ねえ、ミーナ、また胸が大きくなったんじゃない」


 チコの声に、俺は思わす反応する。なんですと。


「すごいね、これ」

「ちょっと、何するの。触らないで」

「いいじゃないの。減るものじゃないし」

「やめてよ。バカ。そこは胸じゃない」

「はは、やわらかい」


 おおおお。すごい女子トーク。


 見てえ。何しているのか、見てえ。というか、俺も触らせて。


 しばし二人はいちゃついていて、俺のテンションは爆上がりだった。


「おぼてなさいよ。今度はこっちが触ってやるんだから」

「残念、あたしはミーナほど出るものは出ていないし、引っ込んでいるところは引っ込んでいないから。つまらないよ」


 なんだ、チコ、自覚はあるのか。


「もうちょっと腕の筋肉をつけたいんだよね。追う時に、力負けしているような気がする」

「タイミングがあえば、力は要らないって聞いたけれど」

「それでも必要最小限はいるよ。動かないウマを何とかしなければならないこともあるし」


 現代の競馬では無理をさせず、やわらかくウマのやる気を引き出すのがはやっているが、それでも気合を入れ、勝負に集中させるには多少の力は必要だ。海外のジョッキーなんて、疲れていても腕っ節だけで勝たせることもある。


 ムキムキじゃなくて、本当に使う筋肉だけを鍛える。それは大事だな。


 チコは腕っ節よりは下半身を鍛えて、身体がぶれないように工夫した方がいい。


「あーあ、もっとうまくなりたいな。どんなウマでも乗れるようになって、あちこちの競馬場で騎乗してみたい」

「それで、いずれは大きなレースを取ると」

「それはいいかな。ウマに乗って生活ができれば、それで幸せ」


 おうおう、欲のないことで。


 俺だったら、ひたすら賞金の高いレースに乗って、大儲けするけれどな。


 実際にそうしてきたし。


 ふと、俺は過去に思いをはせる。


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