第12話 デビュー! #1

 ミーナとのやりとりがあってから、十日後、俺はネマトンプの競馬場にいた。


 いや、驚きの展開だが、いつの間にか、そういうことになってしまった。


 きっかけは、もちろん、男爵様の意向だ。話し合いのあった次の日に来て、どうしても、今日のレースに出したいと言う。大レースも見据えてのことで、押せ押せのローテーションでもかまわないと考えたようだ。


 ワラフはウマに厳しいと反対したが、男爵様の意志はゆるがず、結局、出走が決まった。俺はは疲れを残さないように軽く仕上げてもらって、競馬場に来た。


 あ、ネマトンプっていうのは、チコやミーナが住んでいる地域のことで、厩舎から10キロばかり離れたところに町がある。


 人はどれぐらい住んでいるのかな。俺は連れてってもらったことがないので、よくわからない。


 競馬場は町外れにあって、レースの日になると、馬が集まるという寸法だ。


 聞いたところによると、ネマトンプ競馬場にも厩舎があって、そこに留まって調教をしているウマもいるらしい。町の有力者にコネがあるかで。それで有利不利が出るような気がするが、ワラフもチコもあまり気にしていなかった。


 いつもと同じ時間に叩き起こされて、俺はチコに引っぱられて、競馬場に向かった。


 歩いて競馬場に通うのは、新鮮だよ。二時間もかからなければ、なおさらよかったけれどな。


 到着した時、競馬場にはすでにウマが集まっていて、結構な盛り上がりを見せていた。着飾った女の子もいて、あちこちで声があがっていた。


 大きな木の下で一休みしていると、ひときわ高い声がした。


 顔を向けると、ヨークが若い娘に囲まれて、さわやかに話をしていた。


 イケメン死ね。


 向こうの世界でも、俺が懸命の話術で女の子を口説いていたら、顔のいい若手が来て、さっと持っていかれたことがある。俺の一時間があいつの五分に負けたかと思うと、腹立たしいことこの上ない。


 頭に来たので、後で悪評を流してやったが、俺の方が普段の評判が悪いので、かえって逆効果になってしまった。ぎゃふん。


 しばらく俺が見ていると、こっちの視線に気づいたのか、ヨークは女の子と別れて、こちらに駆けよってきた。駈け足の姿すら、清々しい。


「やあ、クロン。ワラフさんたちはどうした?」


 さあ。書類仕事だろ。登録がどうとかと言っていたから。


「まさか、君が今日のレースに出てくるとはね。確か七レースだったよね」


 おう。そうよ。七レースの三歳限定戦よ。芝のレースで、距離は2000ネガブだったか。

 ネガブっていうのは、こっちの距離の単位で、一メートルと同じだと思っていい。厳密には少し短いが、そんなに気にしなくてもいいと思う。走っている感じも同じぐらいだしな。

 長さの単位については、チコが馬体を計っている時におぼえた。


 あとは、繰り返し出てきたから、今では違和感なく使いこなせるようになっている。


 え、なんで、そんなにこだわるかって。


 競馬にとって、距離は大事だからな。


 1000メートルと2000メートルのレースでは、力の配分がまるで違うんだよ。距離の長いレースをぶっ飛ばして行ったら、あっという間に力尽きちまう。ほんの微妙な加減で決まるからな。きちんと把握しておかないとえらいことになる。


 こっちは調教で時計を取らない……っていうか、厳密に時間を計る時計がないから、なんとなく感覚で早い遅いを判断することになる。オーバーペースになったりすると、疲労も著しいから、俺は調教の時から距離を気にしているんだよ。


 この間、走ったレースは一八〇〇ネガブ。走破タイムは一分五〇秒ぐらいだと思う。ゴールしてからもまだ余裕があったから、距離が伸びても大丈夫だと思う。


 今回のレースは、いい試金石だよ。


「調子はよさそうだね」


 ヨークが身体をなでる。背中から尻にかけてで、筋肉の張りを確かめていた。


「この間よりも身体が育っているように見える。成長期かな」


 ここのところ、バリバリ飼い葉を食っているからな。あんな草、食べられるかと思ったが、慣れたら平気だぜ。


「それと、蹄鉄を変えたね。これは走りそうだ」


 一目見ただけでわかるのかよ。さすが天才。忌ま忌ましいが、ウマを見る目はありやがる。


「あ、ヨーク。やっぱり来ていたんだ」


 チコが帰ってきて声をかけてきた。


「出るんでしょ、ソーアライク」


「もちろん。クリソン侯爵の期待馬だからね。このレースならば確勝ってことで登録したんだけど、まさか、君の所が来るなんてね」


「間隔が詰まっているから、ちょっと考えたんだけどね」


 実のところ、俺の出走が決まったのは、ヨークが乗る有力馬が出走を決めたからだった。うちの男爵とヨークの厩舎の貴族様は、事ある毎に張りあっていて、毎月のようにどこかでもめ事を起こしているらしい。先月には領地の境をめぐって、騎士団を動かしたと言うから、物騒な話だ。


 王宮でも一悶着あったらしく、厩舎でもその名前が出ると、男爵様は目尻を吊り上げて怒った。


 ソーアライクとかいうウマは相当の逸材らしく、うまくいけば、フートリッシュ賞もねらえるとのことだった。ここで勝ち星を積み重ねて、次のステップにあがるつもりらしい。


 それを聞きつけた男爵様が、好きなようにはやらせんということで、俺をぶつけてきたわけだ。できることなら他の有力馬をぶつけたかったようだが、この間、腰をひねって怪我して、それが治っていなかったんだよね。


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