第11話 草原の国の装蹄師 #3
俺たちは連れだって、丘の上の厩舎に戻った。
ワラフはちょうど栗毛の牝馬を見ていたところで、盛んにその右足をなでていた。
「こんにちわ。おじさま」
ミーナが声をかけると、ワラフは目を見開いて、こちらを見た。
「なんだ、ミーナか。変な呼び方をしないでくれ。驚くだろう」
「いつもと同じじゃないですか。元気そうで、何よりです」
「何とかやっている。そっちはどうだい。トルフは元気かい」
「ええ、悪態をつきながら、蹄鉄を打っていますよ。あっちの厩舎は調教師が馬鹿だ、こっちは騎手がへぼだって」
「あれでも、マシになったんだ。若い頃は口より先にハンマーが飛んできたぐらいだ」
へー。平井のじっちゃんみたいな人は、こっちにもいるんだ。
もう引退しちまったけれど、腕利きの装蹄師で、いたずらしてやろうと思って後ろから近づいたら釘が飛んできたからな。あの時は、マジでびびったぜ。
「それより、何か用があるんだろう。わざわざうちのを引っぱってきたんだから」
「はい。実は……」
うながされて、ミーヤは事情を話し、ワラフは真剣な表情でそれを聞いていた。
「気づいていたか。さすがだな」
「どうでしょうか」
答えずに、ワラフは俺の右後脚を取って、ふくらはぎのあたりをなでた。くすぐったいが、ここはやらしたいようにやらせてやるよ。
しばらく、それをつづけてから、ワラフはミーヤを見た。
「自信はあるのか」
声は重い。これまでとは比べものにならない。
「これは男爵様の持ち馬だ。万が一のことがあれば、男爵様の機嫌を損なうことになる。ついでにいえば、俺の仕事にも支障が出る。信用がならないということで、ウマを全部、引き上げられて、俺は生活に困るかもしれない」
「じいちゃん、そんなことを言わなくても」
チコの反論をワラフは手で制した。
おう、ここは口をはさんじゃいけないところだぜ。
「どうなんだ」
「自信はあります。大丈夫です」
ミーナは、ワラフをまっすぐに見据えて応じた。
「お前が蹄鉄を打てば、レースで結果が出るようになるんだな」
「間違いなく、前より力を発揮できます」
「どこまで行ける」
「大レースを取るぐらいには」
言い切るミーナを見て、ワラフはうなずいた。
「わかった。なら、やってみろ。うちの装蹄師には話をしておく」
「は、はい。ありがとうございます」
ミーナは頭を下げた。その声は弾んでいる。
「早速、道具を取ってきますね。大好きです、おじさま」
「だから、それはやめろと言っただろう。ほら、行け」
ワラフが照れくさそうに腕を振ると、ミーナは走って厩舎を離れ、近くの大木に結んであった自分のウマに乗った。そのまま斜面を下っていく。
「うれしそうにして。あの調子なら、すぐに戻ってくるね」
「ああ、トルフはいい跡継ぎを持ったな」
ワラフは風が吹く丘を見ながら、チコに語りかける。
「お前もやりたいことがあったら、素直に言っていいんだぞ」
「あたしはやりたいことをやっているよ。ウマの世話は大好きだよ」
「……そうか」
微妙な空気が流れる。ワラフが踏みこんできたのに、チコは気づかないふりをしていなした。それに、ワラフも気づいている。
俺は後ろ足で耳をかいた。
何か、この二人、妙なところがあるんだよな。仲がよくて、たいていのことはうまくやっているのに、不思議に遠慮し合っているところがある。どこか怖がっているっていうか、なんていうか。
原因はチコにありそうなんだが、正直よくわからん。
まあ、俺は競走馬だから、ゴタゴタにはかかわらず、走ることに専念しよう。ふがいない成績で、ここを首になったら、かなわんからな。
そうと決まったら、ここは一休み……。
「さあ、クロン。厩舎の周りを一周するよ。いいでしょ、じいちゃん」
「ああ、やってくれ。力はありあまっているみたいだからな」
ええ、ちょっと待ってくれよ。これ以上、無理したら、俺、故障しちゃうよ。心臓も肺も十分に鍛えているんだから、少しは楽させてくれよ。
俺は首を振って抗議をしたが、聞いてもらえるわけにもなく、いつの間にか鞍をつけられて、チコといっしょに斜面を下ることになった。
しゃあねえ。だったら、もう少しやるか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます