第7話  馬主と調教師 #1

 だいぶ陽が高くなったところで、俺たちはようやく家に戻ってきた。


 厩舎は小さな丘の頂上にある。まあ、掘っ立て小屋と変わらないレベルだが、雨風をしのぐことはできる。


 広さは、そうだな。俺んちよりもちょっと大きい感じか。馬房は一二で、今は一〇頭が入っている。横に一列に並んでいて、俺の部屋は最も東にある。


 厩舎の横には、赤い屋根の家が建っていて、そこでチコとその家族が暮らしている。


 ほかの従業員は近くに住んでいて、朝になるとウマに乗ってやってくる。


 正直、この世界は、俺たちの世界よりもウマとのかかわりが深い。専用のウマを持っている者も多くて、車やバイクのように使っている。


 馬車もしょっちゅう見かける。十人ぐらいがまとめて乗る、バスみたいな馬車もごく当り前に走っている。


 多分、この世界は、俺たちで言うところの中世ぐらいなんだと思う。世界史の授業では爆睡していたから、はっきりしたことはわからねえが、服装やふるまいからみて、そんな感じなんじゃないかと思っている。電気もガスもねえしな。


 あたりは一面草原地帯で、俺たちの日本とはだいぶ違う。北には雪をかぶった山脈が見てとれるが、距離はだいぶ離れている。


 西には何ら遮るものはなく、地平線がまっすぐ横に伸びている。


 こんなのはじめて見たよ。北海道だって、ここまで広さは感じない。もうどこまでもつづく大地といった感じだ。


 草原の中で、ウマと共に暮らす。


 それが、この世界のスタンダードならば、競馬がはやるのも当然と言える。


 そういう世界に転生できたのは、運かね。それとも縁かね。


 そんなことを考えていると、いつの間にか丘の上の厩舎にたどり着いていた。


 馬房の前には、がっちりした身体の爺とひょろりとした体型のおっさんが立って、何事か話をしていた。


 しゃべりの量はおっさんが八で、爺様が二といったところか。


 あのおっさん、いつでも、うるさいんだよな。


 自分の言いたいことだけ言って、さっさと行ってしまう。人の話なんて聞きゃしない。お貴族様なんて、あんなものかね。


 二人に気づくと、チコは俺から降りて、歩いて馬房に向かった。ヨークもそれにならって、細い道を登っていく。


 ようやく馬房というところで、おっさんが俺たちに気づいた。


「おお、これは、ヨーク君ではないかね。久しぶりだね」

「ご無沙汰しています。タクマニン男爵。ご無礼をお許しください」

 ヨークは膝をついて頭を下げた。

「いいんだよ。忙しいのはわかっているからね」


 男爵は笑った。品のなさはあいかわらずだ。


 何たらかんたらタクマニンとかいうこの男は、このあたりを一帯を治める領主様だ。先祖が初代国王に味方して戦い、その功績で領地をもらったってことだが、にわかには信じられないね。


 だって、このおっさん、どう見ても無能だもの。


 背が小さくて、痩せ細っているのはいい。妙に吊り上がった目も、歪んでばかりの口元もまあ許す。赤の上着に、白のズボンという格好も、この時代ならいいのかもしれない。


 ただ、まあ、聞かれてもいないのに、先祖の自慢をしたり、領地の素晴らしさを語ったりするのはどうかと思うよ。ついでに、住民のことを悪く言うのも。


 自分が優れていて、彼のおかげで、この地はうまく収まっていると信じているようだが、現実には家臣やら領民が一生懸命に働いて、どうにかしているんだぜ。道を行く農民のおっちゃんがそう言っていたし、まったくもって同感だね。


 ヨークに語りかけて、チコを無視しているあたりも気に入らねえ。


 お前、雇い主だろう。それなりの態度を取れよ。


 思いきり毒づいてやったが、残念ながら男爵様には届かず、奴の視線はヨークに向いたままだった。


「そろそろ、うちのウマにも乗ってくれるとうれしいんだがね」

「お誘い、ありがとうございます。ですが、私はクリソン侯爵様との契約がありまして、あちらを優先せざるをえないのです。それに、男爵様には、ミスジ殿がいらっしゃるではありませんか」


 ミスジっていうのは、前のレースで俺に乗っていた騎手だ。

 視野が狭くて、考え足らずで、要するに下手くそだ。ヨークに比べりゃ、ミジンコ以下だが、人に取り入るのはうまくて、男爵のウマには優先して乗せてもらっている。


「そうなんだが、ここのところ成績が今ひとつでね」


 タクマニンは腕を組んだ。


「取りこぼしも多いし、乗り方にも首をひねるところがある。そろそろ変えようと思っていたところなんだ。一鞍でもいいから、乗ってくれないかね。そうすれば、厩舎の雰囲気もがらりと変わると思う」


 言い忘れていたが、俺を所有しているのは、このタクマニン男爵だ。そこそこの馬好きで、自分で牧場もやっている。競走馬の生産もやっていて、そこから毎年、何頭かを選び出して、自分の厩舎で面倒を見させている。もちろん、お代は男爵持ちだ。


 で、そのウマたちの調教を任されているのが……。


「男爵様、無理強いはどうかと。彼にも都合がありますから」


 白髪の爺が口をはさんできた。


 肩幅は広く、胸板は厚い。一目で鍛えているとわかる。


 顔はゴツゴツしていて、さながら波に洗われた岩みたいだ。黒の上着に、茶色のズボンという格好も似合っている。


 昔は軍人だったというが、さもありなん。何度か剣を振るう姿を見たが、実に様になっていた。


 調教師のワラフだ。


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