第6話 異世界の競馬 #3
「やあ、チコ。朝早くから大変だね」
やわらかい声がする。女に好かれそうな、どこか甘ったるいところも腹立たしい。
「その子、この間、勝った馬だよね」
ウマを寄せると、騎手がこちらを見て笑った。
すらりとした体型で、背は高めだ。160センチは超えているかもしれない。赤い上着に黒の皮のズボンで、茶のニット帽をかぶっている。
手足は長く、手綱を握る姿は実に様になっている。
腹立たしいのは、その顔だ。童顔だが、いかにもイケメンという感じで、女が放っておかない顔立ちをしている。細い目も小さな口も、バランスが取れていて、自然と目が惹きつけられてしまう。
もう見ているだけで、腹がたってくる。何度、この手の男に女を横取りされたか。
ほら、チコ、行くぞ。
俺は首を振ったが、チコは言うことを聞かず、逆に男を見て笑いかけた。
「うん。なかなかかみ合わなかったんだけど、ようやくね。ぎりぎりだった」
「横で見ていたけれど、二頭の間に割って行く勝負根性はすごかった。無理矢理、ねじ伏せたという感じだった」
「そうだね。ちょっとびっくりした」
「ただ、ちょっとウマに無理をさせたね。ぼくなら、もう少し楽に勝てた」
「そういうこと言っちゃうところがヨークだね。さすが一流騎手」
「からかうのはやめてほしいな」
ヨークと呼ばれた男は笑った。笑顔が実にさわやかだ。くそっ、ムカつくなあ。
この男は、この近くに自宅を持っていて、朝になるとそこらの厩舎に顔を出して調教をつける。一日に10頭近く乗っているんじゃないかな。こまめな男で、だから嫌でもこうして顔をあわせることになる。
仕事は騎手。俺が勝ったレースにも乗っていた。
腕はいい。認めるのは悔しいが、間違いなく一流だ。
ウマを操る技術も、レースを読む能力も、勝負所を見極める眼力も、すべてそろっている。
前に、こいつが勝つところを見たが、絶妙のペース配分で逃げて、後続に足を使わせて、まんまと先頭でゴールしてみせた。
たまげた。あんな事ができるのは、俺たちの世界でも数えるほどしかいない。
俺が勝ったレースでも、内でじっとしていて、チャンスをうかがっていた。
あの時は、隣にでかいウマがいて動きにくかったが、その流れを作ったのがこいつだ。インコースで徹底的にコースをふさいで、でかい奴が内に入る隙を作らせなかった。もう少しウマが強かったら、間違いなくやられていた。
自分でレースを作って、自分で勝つ。そういうタイプよ。
俺が横目で見ていると、ヨークは軽く手を振って、ウマを前に出した。
あれだよ。あの手首のやわらかさ。いったい、どんな構造になっているんだよ。
騎手時代の俺には絶対できなかった。
ふと、俺の頭に忌まわしき思い出がよみがえる。
若くて、腕もたって、立てつづけに大レースを勝つあいつ。奴もあんな手首の使い方をしていた。握りこぶしをほんの少し動かすだけで、ウマの指示を出して、前に出ていた。
何度、痛い目にあわされたことか。
くそっ。未勝利戦で、出しぬけくらわされた時のことは、今でも忘れられねえ。
イケメンで、女にもてるところも似ている。まったく腹立たしい。
つまらないことを思い出したので、さっさと離れたがったが、チコは俺を並んで歩くように仕向けた。
朝日が周囲を照らして、新緑の大地があざやかに輝く。
風に乗って、草の香りが周囲をつつむ。うん。こういうのはいいね。
「彼、次は、どこを使うの」
ヨークの問いに、チコは首をひねって応じる。
「さあ。再来週にネマトンプで一勝級のレースがあるから、そこをじゃないかな」
「ワラフさんはなんて言っている」
「まだ何も。ただ、身体はゆるめるなって」
「なるほど。だから、今日の調教か」
まったく酷使されているぜ。助けてくれよ。
しばらく間を置いてから、ヨークは問いかけてきた。
「乗り役はどうするの。今のまま?」
「……何も言われていないから、多分」
「君はそれでいいの?」
チコは答えなかった。なおもヨークが訊ねると、重々しい口調で応じる。
「あたしは、口を挟めないから」
「本当に、それでいいのかい。わかっているのに」
チコは答えなかった。手綱を取る手には、微妙に力がこもっている。
ずけずけ踏みこみやがって。図々しいとは思うが、腹がたたねえのは正論を語っているからかね。
言ってやればいいんだよ。今の騎手は下手くそで、役にたたねえって。
本当にいいのかよ、このままで。解決する方法はあるのに、それは無視かよ。
しばらく二人は、何も言わずに、なだらかな斜面を下った。ようやく口を開いたのは、俺の家、っていうか厩舎が見えてからだった。
「いちおう、じいちゃんには話をしてみる。この子に負担はかけたくないから」
「それがいい。言うべきことは言わないと、何も変わらないよ」
「うん」
普段は陽気で明るいチコだが、乗り役の話になると、微妙に反応が鈍くなる。表情が翳ることもしょっちゅうだ。
察しはつくが、こればかりはどうにもならねえ。俺だって、何度も嫌な目にあってきたからな。
その後、二人は俺たちを歩かせながら、差し障りのない話をした。
大半はヨークが人気者で、女にもてまくるという内容で、非常にムカついた。まったくお姫様から商人の娘、果ては牧場の下女にまで好かれるなんて、どれだけ守備範囲が広いんだよ。誕生日には花が山のように来ると言うから、まあ、なんというか、すごすぎるね。
で、その手の話を照れることなく、淡々と受け答えしてしまうあたりもすごいね。
モテるっていう事実を素直に受けいれ、日常会話に混ぜ込んでしまうなんて、よほど自信がなければできないよ。さんざん言われているにしてもさ。
こういうところも、あいつに似ているなあ。
まあ、俺にとって、せめてもの幸いなのは、チコがヨークに対して、友情以外の感情を持っていないことだね。チコはごく普通に友達の話を振っていたし、ヨークも何の感情もなく、あの娘、かわいいよねとか答えていた。口ぶりも淡々としていたし、視線にも情がこもっている様子はなかった。
友達だね。間違いなく。
え、なんで。そんなことがわかるかって?
そりゃ、経験だよ、経験。
俺ぐらいの大人になれば、ビミョーな付き合いもこなせるの。目線だけで好意をはかって、身体を寄せ合っていくものなんだよ。
もっとも距離感、間違えて、肘鉄を食らったことも何度もあるけどな。
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