第47話 お願いだから、私だけを見て

 教室に戻り、俺は周りを見渡した。

 八重樫やえがしは既に戻っていたようで、ちょうど明沙陽あさひ実莉みのりと話しているところだった。

 明沙陽は俺が戻ってきたことに気が付くと、こちらに向けて手を振ってくる。


「やっと戻ってきたか」

「悪い、陸部の奴と会って話してたんだ」

「なるほどな」

「それより八重樫、大丈夫か? さっき元気なさそうに見えたけど」

「大丈夫だよ。元気元気!」

「本当か……?」

「ほんとほんと! だから気にしないで大丈夫だよ」


 無理しているだけなようにも見えたが、本人が大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだろう。

 そしてどうやら、まだこの三人にはあの噂が流れていないようだ。明沙陽はサッカー部経由で流れているかと思ったが、俺の方がいち早く知れたようだ。

 とりあえず実莉に誤解をされる前に、噂はデマだから安心してほしいって伝えないと。


「そうだ、実莉。少し話があるんだけど――」

「ごめん。私ちょっとお手洗い行ってくるからまた後ででもいい?」

「……え、あ、うん。わかった、じゃあまた後で」


 実莉は逃げるように教室から出ていく。

 俺がそんな彼女の後ろ姿を見つめていると、明沙陽が心配そうな顔で話しかけてきた。


「なぁ京也きょうや、実莉と何かあったのか?」

「……いや、特になにもないと思うけど。昨日だって普通に電話したし」

「くそ……羨ましい奴め……! それより実莉のやつ、今日様子変だぞ。無理してるっていうか、何かを我慢してるっていうか」

「……え」


 もしかして、実莉にはもう噂が流れてるのか……?


「まあ、幼馴染だからな。お前より十年以上は一緒にいる。あいつのことならなんでも分かるぜ!」

「悪い、ちょっとトイレ」

「おま……! またかよ!? てかスルーすんな!」


 明沙陽の言葉を無視し、再び教室を飛び出した。

 短時間で二度も学校内を走り回ることになるとは思わなかったが、今は実莉が心配だった。

 正直、俺にも実莉は少し元気がなさそうに見えていた。そして先程、俺を避けているようにも見えた。


「早く誤解を解かないと……」


 まずは教室の近くにあるトイレに向かった。

 しかし、いくら待っても彼女が出てくることはない。

 くそ……どこにいるんだよ、実莉!


 それから探すこと数分、彼女の姿は見つからないまま授業開始のチャイムが鳴った。

 明沙陽に連絡するが、実莉はまだ教室に戻っていないらしい。実莉が戻ったら連絡してほしいとメッセージを送り、スマホをポケットにしまう。


 その後学校中を探し回ったが、実莉はどこにもいなかった。残すは屋上と、俺が探せない女子トイレだ。

 女子トイレに入るのは論外なため、屋上に向かう。ちなみにまだ明沙陽から連絡は来ていない。

 屋上にいなかったら、諦めて教室に戻ろう。そう思った瞬間だった。


「うわっ! びっくりした!」


 屋上に続くドアの前で、実莉が俯きながら体育座りをしていたのだ。

 さすがに驚いてしまい、階段から落ちそうになる。危なかったが、咄嗟に手すりを掴めたため事なきを得た。


「……あ、きょうくん」

「実莉……」

「いけない子だね。今授業中だよ」

「それは実莉も同じだろ」

「あはは……そうだね……」


 実莉は再び俯いた。

 俺はそんな彼女の隣に腰を下ろし、彼女の小さくて柔らかい手を握った。


「実莉、俺の噂を聞いたのか?」

「……うん」

「あの噂はデマだ。だから安心してほしい。俺は実莉以外の女子を好きにならないよ」

「……わからない」

「…………え?」

「わからないよ、もう」


 一滴、また一滴と雫が彼女の頬を伝う。

 俺は初めて、彼女が泣いている姿を見た。そこまで不安にさせていたとは思わず、俺は言葉を失ってしまう。


「……ごめんね、私だって最初は京くんを信じてたよ。でも、ダメだった。今日なんてずっと美音みおんのこと気にしてるし、私のことなんて一切見てなかった。それを何度も目の前で見せられたら、私はもう――」

「それは……八重樫が足を怪我したから……」

「わかってる! わかってるよ! 京くんは優しいから、美音を想って心配してることくらいわかってる!」

「……」

「不安なの! 京くんが私以外の女の子を見て、私から離れていっちゃうかもって思うと不安でたまらないの!」

「実莉……俺は……」

「私は京くんの優しいところが好き。でも、その優しさが別の誰かに向けられるのは嫌だよ……」


 実莉の目からは涙が溢れ出ている。

 俺はこんなにも自分を好きで見てくれている彼女に、今まで何をしていたんだろう。

 好きになった女の子を不安にさせて泣かせるなんて、男として、彼氏として、最低でクズ野郎だ。


 あの日――告白をした日、俺は絶対に彼女を幸せにしてみせると誓ったはずなのに。

 どうして俺は…………!


「お願いだから……私だけを見て……もう他の女の子には優しくしないで……」

「ごめん、実莉……本当にごめん……」


 俺は実莉の身体を抱き寄せ、何度も謝った。ただひたすらに、謝ることしかできなかった。

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