第19話 夫婦ごっこ
「じゃあ、しよっか。あなた」
「……ああ」
元々向かい合って座っていたが、
このまま始めるかと思いきや、胡桃沢は俺の肩に自分の頭を乗せてくる。
すると同時に、柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。
我慢だ。あの動画をみんなにバラされないために、今は我慢するんだ……!
「ふ、夫婦ごっこって言っても、具体的にどんなことするんだよ?」
「うーん……何しよっか」
「なんだよ、決めてなかったのか?」
「だってわからないんだもん。あなたは何したい?」
「……別に何も?」
「今なら、なんでもしてあげるよ」
妖艶な雰囲気を醸し出し、からかうように言ってくる。
「なん、でも?」
「うん。あなたがしてほしいことなら、私はなんだってやってあげる」
これは、やばいやつだ。
胡桃沢は完全にやる気満々で、俺もこのままだと雰囲気に呑まれて思ってもいないことを言ってしまう気がする。
「……胡桃沢」
「なに?」
俺の肩に頭を乗せている胡桃沢を見ると、頬だけでなく耳まで赤く染まっていた。
恥ずかしいのは俺だけじゃない。
胡桃沢だって恥ずかしいのに、俺のためにここまで言ってくれている。
でも、俺は…………。
「もう一回、あーんしてくれないか?」
「わかった」
結局、雰囲気に呑まれてしまった。
自制心はまだあるためこの程度で収まっているが、歯止めが効かなくなったら危ない。
「あーん」
胡桃沢は卵焼きを箸で掴み、俺の口元へ持ってきた。
俺はその卵焼きを一口で食べる。すごく甘い。
元々は胡桃沢が撮った動画をみんなにバラされないように、と思ってやらざるを得なかった夫婦ごっこ。
女子とあまり恋人同士がやるようなことをしてこなかったせいか、今まで感じたことがないくらい幸福感に満たされている。
「もう一回、いいか?」
「もちろん。あーん」
もう一つ卵焼きを頬張った。
胡桃沢の料理は、何度食べても美味しい。
前にデミグラスソースハンバーグを作ってもらった時も、本当に美味しかったもんな。
将来、胡桃沢はいい奥さんになるんだろうな…………。
「ねぇ、あなた」
「……ん?」
「一回、私とゲームしない?」
「え、ゲーム?」
「うん。愛してるゲーム」
愛してるゲームとは、「愛してるよ」と伝え合うだけの簡単なゲームだ。
そして言われた側が照れたり笑ったりしてしまうと、負け。
単純で、カップルの暇つぶしにも使われるゲームらしい。
「別にいいけど、どうして急に?」
「面白そうだなって思っただけだよ。どうせやるなら、賭けもしようよ」
「お、賭けありなら面白いな。なら俺が勝ったら、あの動画を消してくれ」
「じゃあ私が勝ったら、これから私のことは胡桃沢じゃなくて
「……は? それって――」
「よーいスタート!!」
俺の言葉は胡桃沢の元気な声によって遮られ、愛してるゲームは始まった。
ただ勝てばいい。
勝てば、もうさっきのような脅迫はされなくなるんだから。
「愛してる」
「愛してる」
胡桃沢からスタートし、俺は何も考えずロボットのようにただ「愛してる」を言うことに専念すると決めた。
感情を無にした俺が勝つことは確定している。
あとは胡桃沢が照れるのを待つだけだ!
「愛してるよ……あなた」
「……愛してる」
ただの「愛してる」だけじゃ勝てないと思ったのか、少し変化を入れてくる胡桃沢。
しかし、感情を無にした俺には全く効かない。
こちらも反撃するか? という考えが浮かんだが、やはり感情を無にすることを徹底しようと決める。
「愛してる」
「愛してる」
その後もしばらくお互い譲らずに愛してるゲームは続き、始まってから約十分が経過した。
すると時折変化を入れてくる胡桃沢が、このままでは勝てないと思ったのか動き始める。
こちらに向かって手を伸ばし、俺の手を取って強烈な一言を口にしたのだ。
「愛してるよ……
「……っ。愛してる」
まさかボディータッチをされる上に呼び方を変えられるとは思わず、感情を無にしていた俺でも少し動揺してしまう。
しかし顔には出ていないはずだ。セーフ。
「愛してる。ずっと、ずっと私は京くんのことが――」
『私は
感情を無にすることを徹底していたのだが、数日前胡桃沢に告白されたことを思い出してしまった。
ずっと考えないようにしていたが、今こちらに真剣な眼差しを向けながら「愛してる」と口にされるとどうしてもあの時のことを思い出してしまう。
『告白はしたし、飛鳥馬くんはこれから私を事あるごとに意識せざるを得ない。だから覚悟しててね。私、本気出すから』
ああ……ダメだ。
こんなの……照れないでいられるわけがない。
「愛してる…………あ! 飛鳥馬くん照れてる! 私の勝ち!」
俺が俯きながら照れているのを確認し、胡桃沢は「やった! やった!」とぴょんぴょん跳ねながら喜んでいる。子どもっぽくてめっちゃ可愛い。
今回は絶対に勝てる。もう脅迫されることはない。
と、思っていたのに。
「負けちゃったか……」
「はい! 私が勝ったから、これから私のことは実莉って呼んでね。あなた♡」
「それ、この夫婦ごっこ中だけだよな?」
「ずっと! この夫婦ごっこが終わっても、これからは胡桃沢じゃなくて実莉って呼んで!」
「ずっと!?」
「約束……したじゃん」
急に名前呼びなんて、周りに誤解されるじゃないか。
そもそもクラスではほとんど関わってないのに。
急に名前呼びで仲良くしてるところを見られたら、付き合ってるって周りに思われちゃうじゃないか。
「わかった。これからは実莉って呼ぶよ」
「……っ! もう一回言って」
「…………え?」
「もう一回実莉って呼んで」
実莉は頬を赤く染めて俯きながら、両手でスカートの裾を強く掴んでいる。
俺は頬をポリポリと掻いて、もう一度名前を呼ぶことにした。
「実莉」
「……もいっかい」
「実莉」
「……ふふっ」
「なんだよ」
「飛鳥馬くんが名前で呼んでくれて、嬉しい」
「……っ!?」
そう言った実莉は頬を赤く染めながら、今まで見せた中で一番可愛い笑顔を見せたのだった。
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