第48話 NHKの危険運転の報道は、非常に危険です。
2023年10月24日のNHKのクローズアップ現代の危険運転についての報道を見て。あまりに報道機関の見識の無さに危険を覚えました。
スピードオーバーで100キロ、150キロ、190キロ等々で死亡事故を起こしてなぜ危険運転が適用されないのか?という話です。
まるで裁判所の判断が頑なだから、刑法の規定が限定的だから被害者に寄り添えていないというような報道でした。
刑法の主旨がまったくわかっていません。刑法は罪刑法定主義といって、ブラックリスト形式です。つまり、書いてあること以外は処罰できないことになっています。なぜか?一般人の人権を守るためです。
もし、解釈で刑法が適用されるなら、一般人はどういう行動をすれば公権力に人権を侵害されないで暮らせるかわからなくなります。ですので、弁護士や裁判官の判断は現状の法律では正しいとするべきです。
それを署名の場を見せて、涙を見せて、まるで解釈が間違っている、と見せるのは多きな間違いです。
なぜかといえば、刑法による処罰の実行は公権力による人権侵害であり、その運用は厳密に決まったルールによらないと、公権力の暴走を止める根拠が無くなってしまうからです。
「可哀想だから」というのはあるかもしれませんが、それは報復の意味しかありません。「罪を憎んで人を憎まず」というのが刑法の基本的な考え方であることを報道の人間は知っておくべきです。(これはいいすぎか。犯罪行為を裁くだけでなく、行為者に対する処罰でもあるという考え方の半々くらいですかね)
そして、刑法に刑罰を処する根拠には応報刑論と目的刑論があります。犯人に報復する意図が応報刑論で、目的刑論には2つあって、犯人を教育するのが刑罰、もう一つは世間一般の犯罪の抑止のためというものです。
学説では目的刑論が以前は犯人を教育するほうの目的刑論(特別予防と言っている)が通説でしたが、ネットを見ると抑止を狙った目的刑論(一般予防と言っている)が主流になりつつある感じです。
ただ、刑法の判決に抑止効果を求めてしまうと、処罰は重ければ重いほどいいになってしまいますので論外だと私は思います。
刑法の適切な運用が犯罪の抑止効果であることは正しいでしょう。ですが、一つ一つの判決に抑止効果を求めると、裁判所は一番重い判決を課すことが正しいことになってしまいます。
また、特別予防という呼び方もおかしくて、真人間になるための反省期間であり、再犯の防止は結果論ですから予防と言う呼び名がそもそもおかしい気がします。
日本には死刑制度がありますので、教育的目的刑論(特別予防)は成り立ちにくいと言うのもあります。その点では応報刑か一般予防になりますがやはり「罪を憎んで人を憎まず」の精神からは応報刑論は違うと思います。ハンムラビ法典ですから。
(ちょっと訂正。行為者への処罰と考えれば応報刑は自然かもしれません。感情論にも寄り添うでしょう。ですが、報復ならやはり「目には目を」という感情論になりますので、危険は危険だと思います)
死刑はそもそも誤った場合の人間の尊厳を取り戻すことが不可能ですので、死刑の是非は誤りが絶対にないという前提でないと不可能だと考えられます。
まあ、人それぞれいろんな考え方があるのは当然ですが、法の適正な運用が一般人の人権を守る、という視点を無視した感情論的報道は本当にひどいと思います。
もちろん個人的感情では未必の故意での殺人罪の適用がいいのでは?などと過激なことも考えますが、それは個人内部に留めて報道では適切な前提の解説が必要です。
この問題は法律の不備の問題ですから、立法府、つまり国会議員の怠慢ですが、しかし行政側の提案で立法することもできます。ようするに縦割り行政による網羅的包括的な討論が出来ていない証拠でしょう。
少子化とあまり関係がないようですが、こういう事実誤認が計算ではなく、馬鹿だから起きているのだとしれば、少子化の議論をマスメディアに求めるのが怖くなります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます