第36話 性別は肉体と性指向だけではないのでは?
人間には肉体の性と心の性があると言われています。が、それだけでしょうか?どうも「働きたい」と思うこと自体が男の性質なような気がしてなりません。
つまり、肉体の性、性指向の性、そして労働あるいは経済の性がある気がしてなりません。
なぜそう考えるかというと、この女性が働くべき論を唱えている人たちがどういう人が多いか、ですね。結果的にもう働いている人、そしてある一定の成功を収めている人が多い気がします。
そりゃあそうですね。惨めな敗残者の意見など誰も聞きません。性風俗で働いている人、おしゃれを楽しんで男漁りをしている女性は語るべき素養がありません。でも彼女たちにも考えはあるわけです。
ネットやテレビ、書籍などで女性の働く権利について語る人たちって、やっぱりある種エリートだと思うわけですが、じゃあエリートって何だろうと思うと、やっぱい経済・社会的地位における成功者だと思います。こういう人たちが女性の働く権利を言う、逆に言えば家庭に入り子供を産む生活に否定的なのはなぜか?です。
コンプレックスかとも思いました。子供がいない。旦那がいない。容姿に自信がない。労働でしか認められたことがない。つまり「負け犬」ですね。こういう人もいるでしょう。ただ、それだけではない気もします。本気で働きたい、働くべきだと思っている感じもあります。
ただ、専業主婦・主夫がいい。働きたくない。おしゃれが楽しい。美しくありたい。お金さえかせげれば仕事はなんでもいい。出世したくない。そういう人も沢山います。そして、女性の性で上手く渡り歩きたいという人も非常に多いです。見られることが喜びという人もいます。
これって、ひょっとしたら3番目の性で、この「労働指向」にも男女があるのでは?あるいは「社会的ポジション指向」とでもいうのでしょうか。科学的にどうなのか何とも言えませんが、草食系とはすなわち女性化なのではないかと思うわけです。
男性も女性も自由に意見がいえて本音が出てきたのでしょう。男女の「あるべき姿」というタガがはずれて、この3つめの性差が顕著になってきたのではないでしょうか。
一方、成功組の声の大きさで、スチュワーデスや看護師・保母さんへの憧れを言葉ごと否定したりしたわけですが、女性らしい職業すらあってはならないものになりました。専業主婦は人間として間違っているというニュアンスすらあります。
そういう生き方を認める言説がないのは、言論畑にいる人たちが総じて「労働・経済・社会ポジション的な性」において男性的だからではないか?と思ったわけです。
もちろん大衆の中にはこういう言説に乗っかって劣等感で意見を言う人も沢山いるでしょうけどね。
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