第18話 テレビという宗教を失くした後は?

 インターネットにより情報が氾濫しています。一方で多様化が持てはやされています。これにより生きる目標というか自分がどうなりたいかという価値観がバラバラになりました。


 昭和には、「スター」「アイドル」と呼ばれる人がいました。歌手でもスポーツでも相撲でも政治家でも何でもいいですけど、特定の人間への憧れがありました。

また「ドラマ」で夫婦、恋人、家庭、職場などのステレオタイプが描かれ「目指すべき生活、人生」が映像で見せられました。


 家での娯楽は居間にある一台のテレビです。プロ野球の巨人戦が百数十試合すべてがゴールデンタイムに放映され、サラリーマンは野球中継を見ながらビールを飲むのが娯楽だったそうです。


 テレビで見せられる憧れの世界とCMによる価値観の統一という効果。これは大きかったのではないでしょうか。「幸せの形」「憧れの形」がイコール娯楽です。何も考える必要はありません。


 テレビの中では恋愛、結婚が成就することが最高のゴールだ。派手な化粧をする女はビッチだ。旦那が浮気をすると事件が起こる。教師が心で話せば生徒はわかってくれる。金を稼ぐのは悪人だ。努力・根性・友情。そして、物が沢山買える生活が幸せということだ。


 こういう世界だと、女性が結婚・出産を目指して生きる。男はそれを支える大黒柱になるという価値観に疑いを持たないと思います。


 これは今多様性が善しとされているので、古くて間違った考え方のような雰囲気ですが、なぜ駄目なんでしょうか?

 要するにこれって宗教です。このゴールを目指して生きなさい。それが幸せなんだよ、という価値観の提供です。


 ウインドウズ95発売後、1997年くらいからマンガ週刊誌が急激に売り上げを落とします。

 ナンバー1じゃなくて、オンリー1という歌が生まれたのが2003年です。

 これって呪いですよね。2001年から小泉内閣が始まるのと同時期です。要するに「お上」による「弱肉強食宣言」です。


 宗教を持たない日本人に、突然勝手に価値観を選べという無茶ぶりがあったわけです。テレビやマンガ週刊誌という「宗教」と従うべき「お上」の2つの規範を失った日本人。多様化の功罪、特に言論人によって考える習慣のない大衆に多様化をを押し付けたのはどうだったんでしょう?
















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