第19話 ユーチューブはTVの残りかす。残るのは動物と事故だけ。
テレビのオワコン化が進んでいるという見解がどうやら支配的なようです。確かにテレビを見る時間は大幅に減ったでしょう。
ただユーチューブを見る限り、そこにいるのはTVの存在が前提となる芸能人であり、プロスポーツの元選手です。テレビドラマ、アニメや歌謡曲の映像は昔テレビが作り出したコンテンツです。新しい映像表現を作ろうと思った時に果たして本当に番組の制作も含めたテレビというものに頼らない動画文化というものが本当に来るのか?と疑問に思います。
映像作成は資源を集約して誰か才能のある人が作った方が質の高い映像が見られるに決まっています。エンターテイメントというものはマスがあって初めて成立する気がするのですがどうでしょう?
数人の素人がドッキリをしたり、どっかで見たことがあるクイズをするのだって、テレビ番組の焼き直しです。
ゆっくり解説はどこかの誰かの意見やニュースの垂れ流し。スポーツは試合をじっくり見る文化は廃れて、日本人メジャーリーガーやサッカー選手の映像ばかりです。この元映像だって海外テレビ局が作成した映像です。
そう。スポーツってオリンピックもワールドカップもテレビが必要です。ネットの放映もネットだけで出来るものではないです。海外のテレビ局などが作成した映像を買っているだけです。
それにネットであっても中継がブロードキャスティング化すれば電波か光通信かの違いでしかありません。
SNSにより発信者と受け取り手の情報の非対称性が崩れてきている感じはもちろんあります。ありますけど、中心になるマスメディアが作成したコンテンツあるからこそです。
また、われわれは昔活躍した人がいるから誰を選択するかというフィルターを持っています。著名人は現状ではほとんどTV発です。あるいはTVのコンテンツを紹介解説するかどちらかです。
となったときに、テレビがどんな映像コンテンツを放映するのか、というのは相変わらず重要になります。なのに、今度は映像の逆輸入が起こってしまっているのでこれがまた問題です。
コンテンツを作れないユーチューブと安易な番組作りのテレビ局が合わさって、最後に残るのは動物動画と事故の映像だけになってませんか?ユーチューブばっかりみて「テレビオワコンだよな」と言っているのが非常に危険だと気が付いたほうがいいと思います。
その中ではニコニコ動画が初音ミクを中心とした新しい音楽や映像を創り出すプロセス、TVでは無名な人の発信の機会があったのはひょっとしたらという可能性は感じました。感じましたが大衆化にはあらがえないのかなあ。一時の勢いが感じられないのは寂しいですね。
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