第15話 憲法27条の働く権利と義務について

「あなたにはそのお菓子を食べる権利があります」と言われると、食べてもいいし食べなくていいと普通は考えると思います。

「あなたにはそのお菓子を食べる義務があります」と言われると、食べなくてはいけません。


「あなたにはそのお菓子を食べる権利があり、義務がある」と言われるとどうでしょう?権利に着目すればもちろん選択の自由があります。ですが、義務に関して言えば強制です。選択の余地がありません。

「権利があり、義務がある」という文章は「義務」に収束するのが分かると思います。


憲法27条の第1項

「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」

つまり、これは権利という意味が蒸発して国民は勤労の義務を負うに同義となります。


 ある主語を置いて権利と言う場合、つまり自分に権利がある場合、その反対が義務というのは完全に間違った概念だと思います。権利の反対は責任です。〇〇をする権利を持っている人は、〇〇を「選択した結果」に関して自分に対しても外部に対しても責任を持つからです。


 この27条の義務の規定は、国家のサービスを受ける場合の前提条件としての義務だという人がいます。いやそんな「働かざるもの食うべからず」みたいな規定なわけないです。まるで国が監視して、働かない人間を糾弾することを是にしているみたいです。基本的人権の意味を理解していないとこういう解釈になると思います。


 どちらかといえばこの義務というのは国家の概念として、国民が労働しない限り国家は成立しないよ、という意味ではないかと思います。つまり、民主主義の前提として国民というのは働かないとまずいね、という確認だと思っています。


憲法18条

「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」です。労働基準法も労働時間が短ければ短いほど権利が増えるような法理が読み取れます。


 では働く権利とは何かといえば、「働きたい人は働く機会が提供されるような社会を調整する義務を国家が負う」だと思います。この様に主語が2方向、国民と国家になったときに初めて権利・義務が対になります。


 憲法の規定は「公権力の制限、公共の福祉の調整」であるという持論です。またここに「国家の定義、国民の定義」ということも加えていいと思います。権利というのは決して国家が与えてくれるものではありません。


 基本的人権と権利は似て非なるものです。働く権利は保障されるものではなく、国の機能として働く場所を沢山増やすから、それを自由に選択する権利があなた達にはあるよ、というのが正しい解釈だと思います。


 が、言っていることが自分でもリバタリアンだなあと思うので、もうちょっと国家の機能に期待してもいいのかもしれません。








 






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