第50話 子供を作れない将来の不安の正体
人間は将来の自分の生活に対するリスクに備えるため、食べ物や生活物資などを蓄える性質があるようです。これは稲作で定住文化である東アジアにおいては更に顕著でしょう。
もちろん、年金がある保証があれば子供への先行投資として、子育てにコストを使う余裕ができるかもしれません。が、本当の理由はそれだけでない気がします。本当の理由、子供の収入があてにならない、老後の面倒を見てくれるとは思えないからでしょう。
家族の分断が進んだせいでしょうか。前提条件として自分の面倒を子供に見てもらう未来は全く想像がつかないのではないでしょうか。そして更に、田舎に本家、実家があって、親戚が何十人もいて相互扶助をしているなら。今の都会住まいの核家族にそんなことはありえません。
墓を持つことですら諦めた世の中。他人の為に活きるという宗教的な動機も日本人は持ち合わせていないのに、個人主義を導入してしまった。本来プロテスタント的、実存主義的なゴールイメージを経済的な勝利に結びつけた結果が今の血縁の喪失でしょう。
もちろん教育、政治の影響も強いとは思います。思いますが経済繁栄だけ目指したことに根っこがありあそうです。
不安の正体はつまり「頼るべきものがいない」ということです。リバタリアン、小泉構造改革、自由競争と言う名の弱肉強食の結果「家族の分断」が自分の将来を守るための行動になった。なのに政府は2000万円ためろ、年金は低くなるとしかいいません。
要するに子供が減ってしかも収入があてにならない、親戚があてにならない、という前提と、年金が減る税金が増えるという2つのマイナス要素が表裏だと思います。
子供が減るから年金と税金が辛くなる。年金と税金が辛くなるから子供が減る。悪循環と言う奴ですね。
政治家も官僚もそして安寧で自己保身の我々大衆の三つ巴で少子化を促進していると言えそうです。どこで連鎖を断ち切るのか。
岸田政権の給付金がなぜ駄目なのかもここからわかります。将来を約束してくれないからです。しかも年金の減額とセット。他の増税とセットです。
個人所得の税金と年金を30年は変えません、というコミットがないと子供は増えないでしょう。
企業の身勝手な成果主義と雇用に対する無責任は、また別の話で。
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