第10話 夫婦別姓っていう発想

 戦国武将を見ればわかる通り、名乗りのための苗字などいくらでも変わります。それは苗字というのはその人のアイデンティティではなく、どこの家に所属しているのかを示す為の記号だからです。


 名前ですら幼名から変わったりしますが、名前はさすがにアイデンティティでしょうね。

 で、別姓の議論はありますけど苗字の存在理由からいって、戸籍をまとめるためには姓は夫婦子供で統一しないと制度的には難しいでしょう。


 夫婦別姓とはつまり旧来の苗字を踏襲する家制度に対する反対概念です。でも自分の苗字は「夫婦同姓という家制度で伝えられたもの」で、自分の苗字=家制度(過去沢山失われてきた女性の苗字の上になりたっている)には賛成して且つその苗字にアイデンティティがあると感じる矛盾が良く分かりません。


 と言いますか、私にはどういう人がどういう主張をしているのか、何を目的にしているのか一貫性が感じられません。


 家や親族に対する帰属意識が希薄になる中、姓が変わることに対してのみ嫌だというのはどういう理由なんでしょう?

 IT化社会なのに古から伝えられてきた家制度の象徴である苗字に自分のアイデンティティを頼っちゃうんだ?という感じです。非常に時代遅れの気がします。ニックネームや芸名だって後付けでちゃんとアイデンティティじゃん、と思います。


 小学校の頃から佐藤さん、鈴木さんで呼ばれていたから姓がアイデンティティに感じてしまうということでしょうか?

 であれば、子供にとって姓は非常に重要です。家庭というユニットを考えるためにはなおさら夫婦は同姓であるべきでしょう。子供はどっちで名乗ればいいの?名前呼びを推奨すればいい話な気もします。そうすれば姓に執着しないでしょう。


 夫婦というのは、子供を育てるための仕組みだ、という説を私は取っています。なので子供の所属先を決めるのに夫婦は同じ名乗りであるべきだと思います。いやそれ以前に結婚という制度は戸籍を作る=姓をそろえるものが本来の役割でしょう。


 そもそも苗字=家の看板が個人のアイデンティティ云々って言う感覚は正直分かりません。ジェンダー論とごっちゃになっていませんか?男性に合わせるのが主義主張上いやだ、と言っているだけで、本当に苗字が変わるのが嫌なんでしょうか?

 夫の姓に引っ張られるのが嫌だというなら結婚するときに2人で話し合って新しい姓を付けるという制度ならいいんじゃないでしょうか。


 夫婦別姓がいいと言う人は、姓も別、子供も作らない、食事も外食か買って済ませることがほとんど、経済的にも共働きで独立している…うーん。結婚制度って必要ですか?と言いたくなります。

 それと、子どもの発達上の心理的な影響はありませんか?その辺よく議論されていますか?


 性行為の相手を縛るが結婚?だったら、愛人契約を双務契約にして貞操についての損害賠償を認めればいいだけです。

 少なくとも結婚制度の3要件は、姓を合わせる、子供を作る前提(結果として出来ないのは仕方がない)、経済は一連拓生にし、経済には家事も含む。これが必要条件でしょう。


 姓を変えるなど名乗りなんだからどうでもいい気がします。どうしてもいやならマイナンバーカードにビジネスネームを登録して通称で使えるようにすればいい話です。

 この夫婦別姓って、夫に権力が集まりすぎるから出てきた話な気がします。ジェンダー論、フェミニズム論とごっちゃにしないでほしいですね。

 


 

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