第9話 マズローの欲求段階って?

 生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求って会社の研修などで習うと思います。ピラミッドの図を見せられて、いかにも上に行くほど高度な欲求だという感じで教えられます。


 会社は当然働いてもらわないと困るので、当然のように「金じゃない。認められるために働け。自己実現しろ」といいます。

 企業倫理とは一般の倫理ではありません。法と道徳の枠内でどうやって最大限金を儲けるかが企業倫理です。


 つまりマズローを研修で教える意味は「給料」より「自己実現」だぞ。給料安くても一生懸命働けよ、会社の目標が達成すると気持ちいいだろ?ということです。


「それって本当なの?根拠は?」って誰か質問したことありますか?多分講師の先生も、困るんじゃないでしょうか?心理学的な臨床実験も統計もどこかにないかなあと思って調べても出てきません。


 つまり、これって完全に思想、哲学です。「人間はかくあれかし」でしかありません。


 ワークライフバランスとかダイバシティとかと並べてみるとすぐに矛盾がわかると思います。「出世して権力を握りたい」「お金儲けしたい」「心穏やかに健康に暮らしたい」「家でじっくり子育てして暮らしたい」「できれば寝て暮らしたい」に貴賤はなく等価であると言いきってしまうと困る人がいるのでは?


 女性の働く権利は「最低限の生活」「贅沢」「自己実現」「承認」のどれでしょう?まあ、どれも可能性はあります。

 マズローによればピラミッド状に上から価値が決まってくるらしいです。そうなるとやっぱりカッコイイのは「自己実現」ですね。本当でしょうか?



追記 マズローの欲求段階は上から「自己実現」「承認(自尊のケースもある)」「集団帰属と愛情」「安全」「生理的」となっています。

 で、このエッセイ全体のテーマですが、マズローは自己実現・自尊・集団帰属とかいろいろいいますけど、人間が欲している最大の要素は「他者からの承認」なんじゃないかと思います。しかも「生理的欲求等」と同等かそれ以上の欲求として。


 もちろんニーチェ的な超人であれば自己実現が最上位とも言えますが、我々はルサンチマンまみれの末人、つまり大衆です。

 自分自身のみが理解できる他者の目を切り離した高い目標を掲げ、その目標の達成に一生を費やすことが大衆にできるでしょうか?それは人間の生き方として自然か、ですね。本当にそれは人間が到達すべき境地なのでしょうか?


 「他人に認められること」「安全・豊か・愛がある・将来の心配がない・退屈しないで暮らすこと」を目標に生きてませんか?そして、時に安全や生理的欲求よりも「他人からの承認」が優先しませんか?


 マズローの欲求段階とはやはり哲学的な理想を図式化したものではないか?と思うわけです。ただ、マズローは心理学者でアメリカ社会における成功者で経営学にも明るかったようです。うがった見方をすれば、資本主義的なバイアスが非常に強くかかっていてマズローの欲求とは「経営者」に対するセミナーのような匂いがします。


 また、マズローは没年が1970年ということで、構造主義がいきわたる前の実存主義的な時代の人間です。つまり、西洋文明的な価値観の中で一番高い場所にたどり着くのが、ゴールイメージだった時代の人です。

 やはり「資本家」「経営者」としてもゴールを「自己実現」って言っているのではないでしょうか?


 「自己実現」「承認(自尊)」「集団帰属と愛情」「安全」「生理的」って「経営者」「部長」「課長」「正社員」「雇用」って置き換えられませんか?


 経営者やセミナーの講師、人事部の偉そうな教育係。マズローの欲求に疑問を呈した講師や経営者に出会ったことがない、というのは非常に危険だと思います。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る