第3話


 ピピピッ・・・! ピピピッ・・・!


「——あ、もうこんな時間ですか・・・・すみません。うるさいですね」

 先輩の下校時刻を告げるタイマーが音を上げる。小さな音だけど、独特なそれは確かに意識を持って行かれる音だ。

「いえ、大丈夫です」

 『じゃあ、帰りましょう』そう言うのが嫌で、そこから先は口にせずにおく。家に帰りたくないというのもあるが、何より一秒でも長く先輩といたい。

「・・・・」

 無言で先輩の動作を追ってしまう。

 音の鳴ったタイマーを止め。すぐに地図と一緒に鞄へとしまう。イスを引いて立ち上がり、イスを直して鞄を手に持って・・・・

「・・・健? 帰らないのですか?」

 動きのない俺を見てくる。

「やはり体調が悪いのではないのですか?」

 近づいて俺の事を気にかけてくれる。近くなった距離の分だけ、先輩の香りが強くなる。

 綺麗だけど表情がないと周囲から言われるその顔に、どことなく心配気な雰囲気が漂っている・・・・ような気がした。

「・・・大丈夫です。ちょっと、ぼーっとしていただけです」

 まさか先輩に見惚れていたとは言えなかった。そんなことを言ったら変態扱いされかねないし、これからの先輩との関係もやりづらくなってしまう。

「・・・夜の時間の疲れが出ているのではないですか?」

「それを言ったら萌(めぐみ)先輩もそうですよね?」

「私は大丈夫です」

「だったら俺はもっと大丈夫ですよ。身体の弱い先輩より先に、俺が疲れることはないですよ」

 そういって強がる。実際は終わりのない夜の時間に精神的に参っているが、そこはそれ。女性の前で弱いところを見せるのは男として嫌だった。

 何かを貫こうとすれば、やせ我慢の一つや二つはしないと駄目だと思っている。

「私が大丈夫なのは、健が守ってくれているからですよ? だから健は私よりも消耗しているはずです。違いますか?」

「・・・それでも大丈夫です。俺は男ですから。萌先輩を守るくらいできないと駄目ですよ」

「・・・・・」

 俺の言葉に先輩が何か言いたげだった。けれど———

「何やっているんだ。早く帰りなさい。とっくに下校時刻だよ」

「あ、すみません。すぐに帰ります。萌先輩、早くいきましょう」

「・・・そうですね」

 見回りのおっちゃんに注意され、すぐに部屋から出ていく。部屋にいた連中はもう皆帰ったみたいで、どうやら俺と先輩が最後のようだった。そこから校門へと進んでいく途中、特に人を見かけることもなく、会話もなかった。萌先輩は好んで会話をする人ではないので、基本的に話しかけない限り、会話はないのが俺達の日常だった。

 それでも俺は、先輩と並んで歩けているだけで嬉しかった。そっと横の先輩を見上げると、おっとりとした雰囲気を与えるような瞳はまっすぐに前を見ていた。

 校舎の外に出ると、整った綺麗な顔立ちと、白に近い髪が夕暮れに照らされ輝きだす。少し風が吹くと先輩の髪が揺れ、整髪料だろうか、その香りが隣にいる自分に届く。いい匂いというよりも、どこか落ち着くような匂いだった。

「それでは失礼しますね」

 校門までたどり着くと先輩が顔を向けてくる。必然、そうなると先輩よりも小さな俺は見下ろされる形になった。

「はい。気を付けて帰って下さい」

 早く背が大きくなって欲しいと思いながら、俺は見上げるしかなかった。

「ええ、また夜の時間にお会いしましょう。それまで疲れることのないようにお願いしますね」

「はい! 今夜も絶対に先輩を守り抜きます! だから安心してください!」

 自分の命に代えてでも、絶対にこの人だけは守る。あの日から俺はそう誓っていた。

「健・・・少し大きいですよ?」

 口に指をあてる仕草をされる。

 そうして俺と先輩は別れて、家へと帰ることになった。

 次は夜の時間・・・・あの世界での邂逅ということになる。その時間はそう遠くはなかった。

 一人きりの帰り道。色々と考える。今日もまた戦わないといけない、夜の時間のことについて。

 この高校に入学した日から、本来は眠る時刻であるはずの時間帯に、俺と先輩は訳の分からなくなった世界で、訳の分からないことをしないといけなくなった。

 何故か会話をしたり、感覚を共有できる普通の人は俺と先輩だけしかいなくて、他に居るのはどこかおかしい傷だらけな人間と、人の姿が崩れたような存在だけだった。そんな昼間にはいない奴らを、俺たちは<<夜の存在>>と読んでいる。

 その暗い世界の中、俺と先輩は目的を果たさないといけなかった。どうしようもない傷だらけの世界で、俺は崩れた存在の『討伐』を、萌先輩は傷だらけの存在の『救済』を行う。

 絶対にそう行動しなければいけないという感情に突き動かされ、訳も分からないのに手段は知っているという意味不明さ。それがいつ終わるかも分からない中で、夜はもうずっとそれだけをしていた。させられていた。

 そんなホラーみたいな世界を過ごすこともう一ヶ月近く、普通の学園生活とは無縁だと思っていた。そんな中で今日のようなことを言われてもな~・・・・


『健君に興味があるから、よかったら付き合わない?』


 今日告白されたことを思い出す。けれど、よく考えるとあれは告白になるのだろうか? 別に、好きとか言われたわけでもないし・・・・過去、中学時代に引っかけられたこともあったしな。


 ・・・・


 まあ、別にどっちでもいいや。どうせ付き合う気はない。俺が好きなのは———

 そんなことを考えていると家に着いてしまった。

 早く逃げ出したい場所であり、他にあてもない以上、今は帰るしかない牢獄。


 外は窮屈で


 家は牢獄で


 夜は狂っていて


 ・・・・この世に安息の地などありはしない。

 もしも死ねるのなら死にたい。終われるのなら終わりたい。あの時から、もうずっとそれしか考えていない。でも、もしも許されるのなら、今はただ一人の人の———

「・・・ただいま」

 暗い心の中で淡い光を想いながら、今日もドアを開けて牢獄へと戻るのだった。

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