第4話




 そこからはいつものように、くだらない時間を過ごして夜を迎えた。適当に復習と予習をし、食べ物を胃袋に詰込んで、家族という名の他人との会話を適当に流して、やることをやって部屋へと寝に戻る。そして、大多数の人間が眠りにつく深夜。眠りについていた俺に違和感が襲い掛かる。

「きた・・・か・・・・」

 身体の中がごっそりと無くなったような軽さ。極限にまで薄くなった感覚。

 立っているのか、寝ているのか、座っているのか分からない。とにかくどうしようもない感覚だった。

 どうにか見ている視線から、立っている状態だと判断できた。起きている時とはまったく異なる不思議な感覚に、毎夜慣れることはなかった。けれど、そこに不快感はなく、むしろどことなく解放感があった。

 肉体の持つ煩わしさから解放されたような・・・・なんとなく心というのは、本来こういうものなんだと思えるような、束縛のない感覚だった。

「・・・よし。馴染んできたな」

 この世界の空気や感覚に触れて一ヶ月は経つのに、未だに合わせるのに少し時間がかかるのが悩みだった。

「こんなことで時間を使うくらいなら、一秒でも早く先輩と合流したいのに・・・・」

 苛立ちながら一階へと降りて、玄関に向かう。この状態だと音とかは立たないらしい。だから誰にも気づかれずに外へと出られるし、もし家族に出会っても存在を認識されることもない。

 それに、先輩と夜を彷徨っている時に人とすれ違っても、誰も俺たちには気づかずにいた。試しに話しかけて見ても、無視もされた。俺たちに気付くのは、残念ながら<<夜の存在>>だけだ。

 敵意を向けてくる崩れた存在、救いを求めてくる傷だらけの存在、そういった存在だけが俺たちを認識する。認識されるから、対処をしないといけなくなるし、そうしろとも感情が言ってくる。

 ただ、一番の問題点は二人が一緒の場所で目覚めないということだった。

「早く先輩と合流しないと・・・・!」

 家から出ればもう駆けていた。一刻でも早く、先輩と合流しないといけない理由があった。

 『討伐』の力を持つ自分には<<夜の存在>>と戦う力があるが、萌先輩が持つ『救済』の力には<<夜の存在>>と戦う力はなかった。

 この世界での俺の役割は、敵を排除する矛。反対に萌先輩の役割は、癒しの盾だといえる。

 昼間よりは暗く、静かな町をずっと全力で走り続ける。この世界で肉体的な疲れなどはなかった。その代わり、どうにも感情的になりやすい。

 途中、明かりのついている家や、コンビニ、だらだらと外を出歩く人間達・・・そういったものを見ると何故か無性に苛立ちが募っていくのを感じる。


『俺たちはそういうモノじゃないだろ?! どうしてそうなるんだよっ!?』


 そう叫び声を上げて、その世界を徹底的に壊してやりたいという思いが湧き上がってくる。怒りや憎悪、そんな負の感情を爆発させて暴れたい。間違っていると思うものを全て消してしまいたい。こんな世界など———

「・・・健」

 暗い感情に飲み込まれそうになった時、名前を呼んだ存在・・・萌先輩が上から降りてきた。文字通り、本当に空から降りてきたのだった。スカートを抑えながら、上品に。

「・・・先輩?」

 どうやって上から来たんですか? そう言おうと思っていたが、声が出なかった。

 先輩が俺を見て、悲しそうな表情をしていたからだ。

「また・・・感情的になってしまったのですね」

「あっ・・・すみません」

 言われて気づく。また俺はこの世界で暴れようとしていたことを。この訳の分からない世界で先輩と出会うまで、俺は暴れまわっていた経歴がある。感情のまま手当り次第に<<夜の存在>>を駆除していた。敵意があろうとなかろうと関係なかった。あの時は混乱した感情のまま、理不尽に対して荒れていた。

「最近は落ち着いてきていたはずですが・・・・やはり疲れていますね?」

 ここが昼間の世界であれば『そんなことはない』と、そう言うことが出来ただろう。理性というブレーキで、やせ我慢ができた。だけど、感情的になりやすいこの世界では・・・・

「・・・そりゃそうですよ。いつ終わるか分からない中で、どうして疲れずにいられるっていうんですかっ?! 生きて楽しむ余裕なんてないっていうのに、付き合わないかとか言われても、そんなことができるわけないだろうっ?! なんで今なんだよっ?!」

 思うまま、感情のままに乱暴な言葉を吐き捨てる。昼間の言葉は格好づけでしかないと認めたようなものだ。

 あの時とは打って変わったような状態だった。どうしてもこの世界で、感情をコントロールすることが困難だった。

「そうですね。疲れて当然です。健がそう思うのは当たり前ですよ」

 そう優しい言葉をかけ、先輩が俺を抱きしめてくれる。

 それは、暴れていた俺を初めて受け入れてくれた時から、決して変わることのない優しさだった。

「いつもの場所で待たず、思い切って健の元へと向かって正解でした。昼間のことで揺れているはずの貴方を、こうして早く落ち着かせてあげたかった・・・」

 背に回された手がゆっくりとなだめてくれる。

「・・・っ!」

 変わっていない自分の弱さに情けなくなる。

 同じ境遇だというのに、先輩はいつも俺を慰めてくれる。いつも気にかけてくれて、心配して、優しさをくれる。俺が持つ感情を咎めることもなく、受け入れてくれる。それにどれだけ救われているか・・・

「だけど、そうだとしても・・・それじゃ俺はダメなんですよ・・・・そんなんじゃ俺はいつまで経っても・・・・・」

 先輩に甘えてばかりで、支えることができないでいる。一方的な関係でしかなかった。

 悔しかった。悔しくて少しだけ涙が流れる。初めて出会った日からずっと、甘え続けてばかりいる自分の不甲斐なさが、何も返せずにいる自分の無力さが悔しかった。

「・・・全然ダメじゃないですよ? 健はこの世界で、私を守ってくれているではないですか。いつもありがとうございます。貴方がいなければ私は・・・・・」

 そんなことはさせない。あんなやつらに先輩を傷つけさせやしない。

「先輩だけは絶対に守ります。全てを捨ててでも、先輩だけは絶対に・・・・・」

 感情的に先輩を抱きしめる。昼間だったら絶対にできない行為を、この世界では平気でしてしまう。確かに感じられるかすかな温もりが、優しさの源が、気持ちを心地よく落ち着けてくれる。俺が落ち着くまでの間、先輩はされるがままでいてくれて、抱きしめ続けてもくれた。

「もう・・・大丈夫なんですか?」

「ええ・・・毎度すみません。情けない姿ばかり見せて」

 腕の力を緩めると、すぐに先輩も腕を解いて互いに離れあう。

「別に構いません。情けなくない人などいませんから」

 俺の顔を見て、そっと頬に手を伸ばしてくる。

「だから・・・泣きたければ泣けばいいんですよ?」

 涙の痕を拭われる。直接手で触れられているようだが、その感覚はかなり鈍くて、何かをされているという認識が薄かった。ただ、何ともいえない暖かさだけは感じとれた。

「・・・泣いても何も変わりませんよ」

「・・・・そうですか」

 涙の痕を癒し終わった先輩が、手を離して歩き出す。

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