2 受難



   *


 次の日の放課後。

 なぜか気分が悪くなった冬木はお手洗いに駆け込んでいた。


(緊張しているのか……)


 放課後、小奈津に会って話すだけのことでお腹を壊すほど緊張するとは。

 冬木は洗面台で顔を洗い、顔を上げる。


「!」


 鏡に映った冬木の顔のそばに、蛇が舌をのぞかせて存在していた。

 独特な黒い文様をまとったその蛇を、冬木は知っている。


「久しいのう。人の子」

「お前……いつから!」

「ずっといたさ。ずっと見ていた」


 冬木は蛇を掴もうと手を伸ばすが、蛇はするりと抜けていく。


「お前が帰ってこなくて退屈していたが、やっと帰って来た。これで楽しくなる。早速、お前の大事な人を襲おう」


 その時、頭の中に小奈津の顔が浮かんだ。

 それがいけなかった。


「ほう……その子が好きなのか」


 しまった。蛇に冬木の心の中を読まれた。


「やめろ! やめるんだ!」


 蛇はけたたましく笑いながらその場を這っていく。


(小奈津が危ない)


 冬木は全速力で蛇を追いかける。


   *


 放課後の体育館裏で告白。

 これが何を意味しているのか、小奈津は分かっているつもりだった。


(落ち着いて、落ち着いて)


 さっきから鼓動の高鳴りが止まらない。

 小奈津が一人で盛り上がっていると、ふと地面に気配を感じた。

 視線を下にやった瞬間、小奈津の首に何かが絡みつく。


「!」


 見ると黒い毒々しい文様の蛇が、強い力で小奈津の首が締め付けていた。

 小奈津は気道を確保しようと隙間に指を入れるが、その隙間がない。


「小奈津!」


 駆けつけた冬木が蛇を小奈津から引きはがそうと手を伸ばす。

 

「やめろ、小奈津から離れろ!」

「五月蠅い!」


 低く淀んだ声が蛇のものだと、小奈津はすぐに理解できなかった。


「お前は大事な人が苦しんで死ぬのを見てろ」


 そう言って蛇は首を伸ばし――首が大きく伸びた気がした――冬木の左手に噛み付いた。噛み付かれた瞬間、冬木がその場に倒れる。


「冬木いいいいいいいいいいいいいい!」


 小奈津の叫びに蛇が高らかに笑う。その瞬間、小奈津は冷静になれた。

 小奈津は力を振り絞って髪につけていたバレッタを外し、ぐっと広げる。

 そして、とがった部分を蛇の目に刺した。

 とがった部分でぐりっとえぐると、蛇が悲鳴をあげ、小奈津から離れた。

 解放された小奈津は咳き込みながら冬木に近づく。

 冬木の左手が青黒く盛り上がっている。蛇に噛まれたからだろう。


「冬木! 冬木……!」


 小奈津が冬木を揺さぶっていると、突然視界が薄暗くなった。

 あの蛇が、小奈津の身長より高く大きくなっている。


「許すまじ!」


 人間を襲い、しゃべり、大きく変化する蛇。

 これはおそらく、春火が言っていた〈怪異〉だ。

 小奈津は近くに落ちていたバレッタを拾う。


「!」


 バレッタが変形している。さっき蛇の目を刺した時に歪んだのだろう。


(どうしよう)


 それにこの蛇は恋による激情を持っていない。

 つまり、バレッタの出番ではない。


「お前らもろとも、今ここで!」


 蛇が大きな口を開けて小奈津と冬木を襲いかかる。

 その時だった。

 蛇の口に黒で縁取られた虹色の蝶が舞う。

 蛇の口に蝶が止まった瞬間、蛇の口が赤い斑点を出して爛れた。

 蛇が身をよじる。今度は蛇の全身に大量の蝶が止まる。

 蝶が止まった蛇の全身に赤い斑点が出て爛れる。蛇は蝶を払おうと身をよじるが、蝶はさらに増え、蛇を囲んだ。

 次第に蛇の力は弱まり、そして蛇は塵になって消えた。

 小奈津は振り返る。するとそこに春火が手を伸ばして立っていた。

 黒で縁取られた虹色の蝶の出現で春火の仕業だと思っていたが、本人の登場で確信に変わった。


「助けてく……」


 小奈津は最後まで言葉を続けることができなかった。

 春火の体が、足から崩れている。


「なんで……?」

「……」


 春火は手を降ろして言う。


「言ったろ、俺は長くないって」

「でも……」

「今ので全ての力を使い果たしてしまった。もう、終わりだ」


 小奈津は首を横に振る。

 何か言わないと、そう思うのに声が出ない。


「……あの時……」


 春火は目を閉じて微笑む。


「彼女をこうして助けたかったなあ……」


 とうとう春火の顔が崩れ、塵となって空に散った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る