こうなってしまうのは、貴方のせいです。
バシャバシャと水音を立てながら、私は必死に藻掻いていた。
容赦なく頭を踏みつけられ、水に顔が沈む。
空気を求めて開けた口の中に水が流れ込んできて余計に苦しさが増す。
ベラトリクス嬢だけでなく、この人も私を殺そうとするのか。
油断した。完全に油断していた。
死ぬ。私はこのまま冷たい湖に沈められて死んでしまう。特製のドレスが私の足を引っ張って湖の底へ引きずり込もうとしている。
もうダメだ、そう死を覚悟したその時だった。
頭の上に乗っかっていた足がどかされたのだ。
「レオーネ! しっかりするんだ!」
最後の力を振り絞って水面に浮上した私の両腕を引っ張る力強い腕があった。
そのまま波止場に引き上げられた私はぐったりしていた。しこたま水を飲んだ後だったので、呼吸困難を起こして優雅さのかけらもない姿でげへげへ噎せる。
「飲んだ水を全て吐き出して!」
背中を叩いて水を吐くように促すのはステフだ。私の窮地にまたもや駆けつけて助けてくれた。
惚れ直したいところだが、今はただ苦しくて寒くてそれどころじゃない。ブルブルガタガタと震える私に着ていたジャケットを掛けてくれた。
たぶん今の私、唇が紫色だと思う。
「この無礼者! お離しなさいな、わたくしを誰だと思っているの!
突き飛ばされて地面に抑えつけられたマージョリー嬢は護衛さんたちに吠えて噛み付いていた。しかし護衛さんはその手を緩めない。逃走を許さぬよう、しっかり拘束していた。
ステフが小舟を借りに行った数分の凶行。
いくら侯爵位の娘でもやってることが凶悪過ぎて、誰もかばえないだろう。
私はたしかに平民出身だけど、今は公爵家の娘であり第3王子の正式な婚約者でもある。そんな相手を殺害しようとしたらただじゃ済まないと考えればわかるものを。
「貴殿は私のレオーネになにをした?」
案の定、ステフは大変お怒りだった。
怒りを通り越して、憎悪を含んだ眼差し。その瞳は鋭い剣のようで、美しい観賞用だと思って触れたらすっぱりと斬られてしまいそうなそんなおっかなさがあった。
「わたくしは殿下をお慕いしており……その女に嫉妬したのです」
マージョリー嬢はこの期に及んで嫉妬で凶行に及んだと弁解し始めた。
嫉妬を理由にすれば許されるわけじゃないのに、彼女はぼろっと涙を流しながら訴えた。
「どうしてそんな女を選んだのです、あなたの側にいたのはわたくしかもしれなかったのに!」
女の武器を使ってステフの温情を頂こうと考えているのだろうか。
私は許す気ないけど。ステフや他の人が許しても私は絶対に許さない。私は被害者なんだぞ。
「──嫉妬? 人殺しをしようとしたのを嫉妬の一言で片付けるつもりか?」
ステフは皮肉げに嘲笑っていた。
マージョリー嬢の話を一切受け付ける気はないようで、私を抱きかかえると、地面に伏したままの彼女を見下ろしていた。ステフらしくもなく、地面に落ちている吐瀉物を見ているような嫌悪丸出しの視線で。
「大切な婚約者に危害を加えられて黙っているような腑抜けに見えたか?」
「殿下っ!?」
そこで彼は具体的な事はなにも語らなかったが、このままにはしておかないと断言していた。
後ろでどうのこうの喚くマージョリー嬢の声を無視してステフは私を連れてその場を離れた。
せっかく旅行に来たのに、おめかししたのに、舟に乗れると楽しみにしていたのに、訪れたのはまさかの刺客。
ベラトリクス嬢がいなくなって一安心だと思っていたけど、まだまだ終わっていなかった生命の危機。
心が折れる以前に身体が保たないよ…
私は抱っこされたまま、休憩用に借りていた近くのコテージに運ばれた。ステフは室内で待機していたメイドさんたちに至急、湯船にお湯をためるように指示すると、そのまま寝室に歩いていった。
「レオーネ、このままでは肺炎を起こす。着ているものを脱いで、ローブに着替えたほうがいい」
お湯がたまるまで時間がかかる。その間にも体温がどんどん低下するだろう。いくら健康自慢の私でも、病気になってしまうかもしれない。
彼のいうとおりに着替えようと思ったけど、何故かステフは部屋を出てくれない。
「あ、あの」
どうせなら出ていってくれたら…ついでに1人メイドさんに手伝ってもらえると助かるかな…
察してもらおうとステフを上目遣いで見つめると、ステフはこちらに手を伸ばしてきた。
「さぁ、早く」
「ちょっ!? 待って下さ…自分で! 自分で脱ぎますから!」
何を思ったのか、ぐっしょり水を吸って重くなったドレスをステフが脱がそうとしてきたじゃないか。
そうじゃない。私の視線の意味は脱がせてくれではない。出ていってくれだ。ステフは王子様でしょう? 紳士でしょう? 言葉に出さずとも視線で察することができるはずなのになんでなの?
「ほら、体が冷えるから」
と脱がされる。なんだか幼少期にお母さんに着替えを手伝ってもらっていたときのことを思い出すのは何故なのか。
懐かしい思い出を思い出して一瞬呆けていたが、私は頭を横に振った。
「いけません! 男性の前で着替えなんてはしたない! 自分でやりますから!」
自分でできる。だから出ていってくれと拒否するが、ステフは不思議そうに首を傾げた。
ものすごく不思議そうな顔をするもんだから私まで不思議になってしまった。
「私達は夫婦になるのだから恥ずかしがることはない」
「あっ、あーっ! いけませんいけません!」
どこでドレスの脱がせ方を覚えたのか、あっさり脱がされてしまった私は下着姿になってしまった。
心もとない下着で覆われた身体は、水に濡れてあちこち肌が透けて見える。私は恥ずかしくて腕で隠したけど、彼はそれすらも取り払おうと手にかけた。
「いやっステフやめて、恥ずかしいの!」
「大丈夫、怖くないから」
駄々をこねる幼子に言い聞かせるようにステフは私の下着に手をかけてきた。
濡れて肌に張り付いた下着が取り払われると、私は寒さに震えた。思っているよりも身体が冷えているようだ。
彼の大きな熱い手が冷えた肌に触れた時、私は心臓を優しく掴まれたように苦しくなった。
「ステフ駄目、いけないわ」
私は彼の手を離させて体を腕で隠した。
今の私達は結婚前の男女の距離感を越えてしまっている。
いくら想い合っていても、婚約していても、私達には立場というものがあるのだ。これ以上は…
「レオーネ、可愛い」
そんな私をステフが愛でてくる。
ただ、彼の表情はいつもの優しいものとは違い……それは花嫁候補お披露目パーティで見せた、熱く奪うような男性の顔をしていたので、私は怖くなった。
ステフは私の首に顔を埋めると、肌を吸って痛みを与えてきた。それは首筋から胸元にかけて赤い印を残される。
彼の唇が肌に落とされるたびに私は喜びに震えたけど、既のところで理性を取り戻した。
「私は清らかな身体であなたの花嫁になりたい」
私のお願いにステフは愛撫するのを止めて、私の目を見返してきた。
「私は周りに認められて、祝福されて、名実ともにあなたの花嫁になりたいの」
認められたその日の晩に結ばれたい。あなたに愛されたいのだというと、ステフは私の胸から渋々手を離した。
「こんな魅惑的な姿で……生殺しだ」
そう言って彼は、裸の私の身体に厚手のローブを着せると、ご丁寧に腰紐まで結んでくれた。完全に最初から最後までお着替えされてしまったよ。
「あなたがこうしたのに……」
生殺しって…人聞きの悪い。
私だってあんな事されるとか思っていなかった。びっくりしたんだから。
「結婚したらその時は離さないよ」
まだ熱が冷めない様子のステフは仕方ないなという態度を隠さず、ため息をついてみせた。
私はそんな彼に自分から抱きつく。
「離さないで、私をもっと愛して」
彼の頬を両手で包んで引き寄せると、ステフはそれに応えてキスしてくれた。
柔らかい軽いキスからどんどん深いキスに変わる。私がキスに夢中になっていると、ステフの手がまた不埒な動きをしはじめた。ペシッと手で叩くけど、彼の手は聞き分けが悪かった。
「あの、お湯の準備ができましたけど…」
部屋の外からメイドさんに恐る恐る呼びかけられたので、私はぱっと彼から離れてお預けしたら、ステフは不完全燃焼みたいな顔をしていた。
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