衣服のまま泳ぐのは推奨いたしませんことよ。


 マージョリー嬢並びにモートン侯爵家は今現在、王家並びに一部の諸侯から警戒されていた。

 兄妹揃って私に喧嘩を売る発言を吹っかけたのがはじまりだったが、彼らのそれは度を越していた。


 婚約お披露目パーティが行われた王宮内で起きたメイド暴行騒動は、彼女と彼女の兄が仕組んだことであると証言が出たのだ。

 弱みを握った子飼いのメイドを使って、私をおびき寄せ、身持ちの悪い男に差し出して傷物にしようとしたという情報を聞かされた時は顔面蒼白になった。


 メイドについていかなくてよかった、騎士たちが捕まえてくれてよかったとホッと胸をなでおろしたのは記憶に新しい。


 そして、初参加のお茶会でとある子爵令嬢が私に送った劇物入り香水はマージョリー嬢が用意させたものを渡すように脅されていたと実行犯である子爵令嬢が涙ながらに訴えた。

 これに関してはそれを命じたとされる手紙が提出されたので、筆跡鑑定に回されて現在精査中とのこと。


 前からモートン侯爵家は浪費に借金にと負債を抱え込み、その負担を領民から税で徴収しようとする行為など、適正な領地運営が出来ていないことが問題視されていた。

 マージョリー嬢の縁談だってそうだ。元々同年代の侯爵家の子息と縁談が進みかけていたが、家の多額の負債を理由に白紙となり、身分の釣り合う未婚の子息がおらず困っていたという。そこで借金が更に大きくなったことがモートン侯爵家を追い詰めた。


 だから、爵位は低いが、事業や領地運営がうまくいっていて羽振りの良い子爵の後妻として嫁がせて、金銭的援助を受けようと話を持ちかけたそうだ。

 しかし当事者の子爵は年の差や身分差、再婚を望んでいないことを理由に、縁談には全く乗り気じゃなかった。が、身分や権力の力でゴリ押しされてしまった。


 侯爵にとって資金集めが最優先だった。金さえ持っていれば、男やもめでも何でも良かったのだ。マージョリー嬢の反発も無視して、婚約はまとまってしまったのである。



 ──だが、ここにきて話が一転したという。


 実は子爵には長年つれ添ってきた愛人がいて、その人にマージョリー嬢が強く当たったのだそうだ。それは元奥さんのご子息や他の人たちの前で起きた出来事らしく、目撃者によると、マージョリー嬢は突然激高して愛人に対して暴力をふるい、強い言葉で詰っていたそうだ。


 それは人の口から口へと情報が流れていき……

 子爵家と亡くなった奥さんの実家から、跡継ぎ息子/孫に悪影響を与えるから、婚約の話を白紙にしてくださいと王様…ステフのお父様宛に嘆願書が届いたことで今ちょっとした騒ぎになっているのだ。


 本来であれば結ばれた婚約を、身分が低いもの側から破棄する事は難しい。しかしやむを得ない事情があれば、国王に嘆願できることになっている。

 貴族は国を支える存在。彼らに何かあれば国、そして国民に影響を及ぼす恐れがあると判断されたら国王権限で覆すことが可能なのだという。


 何故こんなことを私が知っているのかと言えば……

 先日、私が王宮の回廊を散歩がてら侍女さんや護衛さんと歩いていると、たまたま居合わせた老夫婦がぷんすこ怒っているのを見かけたのだ。


『あの女が、エーミールの前でセイラに暴力を振るったとか! きっと本性を現したのよ!』

『モートンとの再婚なぞ、儂は最初から反対だったんだ! 身分が何だ、これから先の子爵家の未来を潰される方がかなわん!』

『えぇその通りです! わたくしの可愛い娘が命懸けで産んだ可愛い孫が苦しむのを見ていられません!』


 モートンという単語と、彼らのあまりの怒りっぷりが気になって、後でこんなことがあったけど何があったのかとステフに聞いたら、私とも関わったことのある相手のことだからと、さらっと事情を話してくれたのだ。


 そんなわけで、問題を起こしたマージョリー嬢は、子爵家と亡くなった奥さんの生家から婚姻話の白紙を突きつけられた。

 国王命令なので、これは絶対だ。


 縁談がなくなったモートン家はこれで金策が尽きたということになる。

 また同じように羽振りの良い家を見つけて縁談を持ちかけることもできるが、今回の醜聞を知った上でそれに乗ってくれる人がいるかどうか……


 モートン家は昔ながらの貴族の教えを守っており、労働というものをしない主義者なのだという。

 貴い者が労働するのはみっともなく恥ずべきことだというその教えを純粋に信じて、貴族として生まれた誇りだけでこれまでやってきたモートン一家。


 働いた経験がない彼らには個人で行っている事業もなく、手に職がない。侯爵に限っては領地運営の仕事をしていたとも言えるが、あちこちに借金を作って好き勝手豪遊してきたそうなので、自分で自分の首を絞めた結果が現れたと言ってもいい。

 そしてお金が降って湧いてくると勘違いした侯爵夫人や兄妹も限界を考えずに身の丈に合わないお金の使い方をして、侯爵家は破綻した。



 マージョリー嬢はどこからどう見ても気位高そうな人だから意に染まない結婚に反発して、なにかするかもと思ったけど……自分の行いで余計に首を絞めているように感じるのは気のせいなのかな…



◆◇◆



 気候が少し暖かくなった春先のある日、私はステフとちょっとした小旅行へ出かけた。

 そこは貴族がお忍びで立ち寄ることもあるのどかな静養地だ。自然豊かな町の真ん中には大きな湖があり、舟遊びも体験できる。


 王宮では適度な緊張感に包まれて生活しているので、束の間の解放されてのお出かけに私は浮かれていた。


 ステフがデザイナーに注文を付けて、私に似合うよう作った最新のデザインドレスはパニエが何重にも重なっていて若干動きを制限されているように感じるが、見た目重視なのでそこは我慢するしかない。

 転倒しないよう、かつ上品に見えるように歩いてみせた。


「レオーネ、日傘は?」


 腕を貸してくれているステフがそんな問いかけをしてきたので、私はぎゅうと彼の腕に抱きついた。


「差してたら、あなたの腕にくっつけないでしょう?」


 日焼けに関しては手袋をしているし、つばの広い帽子を被っているから大丈夫だ。

 私が甘える素振りを見せるとステフは嬉しそうにニッコリ笑った。その麗しさは春の訪れを祝福しているように輝いていて、私はそのまま浄化されてしまいそうだ。

 私の王子殿下は今日も輝かんばかりに麗しい……


「小舟を借りてくるから、レオーネはここで待っていて」

「はい、わかりました」


 私が彼の麗しさに圧倒されて悶えているとは知らないステフは、船置き場に行ってくると護衛を連れて行ってしまった。

 残された私は護衛を兼ねた侍女と一緒に待つことに。


「レオーネ様、ご存知ですか? ここの地域って魚料理がとても美味しいのだそうです。今晩のお夕飯が楽しみですね!」

「そうなんですか。ここの湖、綺麗ですものね」


 食いしん坊な彼女は私よりも早く美味しいものの情報を掴んでいた。

 早い。もしや小旅行に同行を命じられた時点でこの情報を得ていたのだろうか…彼女の目先の楽しみは食べ物みたいだ。

 彼女の最近の趣味は休日に城下へ下りて美味しいものを探すことらしい。美味しいものを食べることが人生だと豪語し、充実した毎日を送っているようだ。


「──偶然ですわね」


 侍女さんと一緒になって、湖で泳ぐ魚がここから見えないか端に立って観察していると、後ろから呼びかけられた。


「ここに殿下がいらっしゃると噂を聞いて是非挨拶をと」


 非友好的な雰囲気で近寄ってきた彼女は、私と目が合うとにたりと不気味に嘲笑った。

 なにかを企んでいそうな彼女の嫌な笑い方に嫌な予感がしたのか、侍女さんが私を背中に庇おうと身構える。


 そこで彼女はぱっと持っていた日傘を手放した。ちょうど風が吹いて傘は湖面へ着水してしまう。わざとらしく落とされた日傘。どうしてそんなことをするのだろう……

 自然と視線が日傘の方へ向かってしまっていて、完全に油断していた。


 ──ドンッ


 油断しているところで力いっぱい肩を押された私は、体勢を崩してそのまま後ろへ倒れた。

 背後は湖。水だ。


 バシャンと大きな水しぶきを上げて水の中に転落した私は何が起きたかわからず気が動転していた。

 ドレスの重みで湖に沈む身体。空気を吸えずに私は苦しさにもがいた。


「ぷぁっ」


 なんとか浮上して、先程まで立っていた波止場に縋り付こうとするも、伸ばされた足によって頭を踏みつけられ、沈められた。


「がぼっ」


 足元が不安定な中で上から圧力を掛けられたら水に沈むしかない。

 今ので水を飲み込んでしまった私は苦しさに余計混乱状態に陥った。


「レオーネ様に何をするのです!」


 果敢にも、侍女さんが羽交い締めにして止めようとするが、彼女の反応のほうが早く、侍女さんは平手打ちで殴られて転倒してしまった。その際、打ちどころが悪かったのか、鈍い音を立てた後に彼女は動かなくなってしまった。


「…ぷぁっ、た、たすけ……」


 私は助けを求めようと声を出した。しかしそれをさせないとばかりに彼女は、浮上した私の頭を踏んで湖に沈めようとするのだ。


 空気の代わりに水を飲み込んでしまう。苦しい、息ができない。

 ばしゃばしゃと藻掻くと、ますます苦しくなるだけだと頭ではわかっているけど、大人しくしているのは無理だった。

 冷たい水なのもあって、私の身体からどんどん体力を奪っていく。


 寒い、苦しい、冷たい。

 誰か助けて、殺される……!


 私は苦しくて死を間近に感じていた。

 恐ろしくて仕方ないのに……


 私を踏みつけて沈めているマージョリー嬢の顔は見たこともないような笑顔を浮かべていたのだ。

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