幕間 夜縁の光<2>

 捕らえられた少年は天幕内に設けられた簡易的な檻に収監されていた。右肩には包帯が巻かれており、それを左手でしっかりと押さえていた。

 「さっきの角の姐さん。助かったよ。この子については最低限の応急処置しかしてないから、医療士を呼んで貰ってる。怪我については安心して欲しい」

 「エアがすまない。しかし彼はどうして盗みなんかを……」

 仲間の非礼を詫びながら少年の方を見る。少年はミサとは目を合わせようとせず、そっぽを向いていた。ため息をつきながらミサは跪き、優しい口調で会話を試みた。

 「……何か困っているのか?私達に手伝えることはあるか?」

 少年は黙ったまま言葉を返さなかった。左手で押さえている右肩は、出血で赤黒く滲んでいた。

 ミサはため息をつきながら立ち上がると、見張りに一礼して、天幕を後にした。そこを出る前に振り返り、少年に告げた。

 「また後で様子を見に来る。話す気になったら話してくれ。私達は戦いにここに来たわけじゃない、ただの旅人だからな」

 少年はその言葉を聞いてミサを見るが、少年の視界には既にミサの姿は無く、誰かが通った揺れる天幕の出入り口の幕だけが見えていた。


     * * *


 翌日、エアが目を覚まして天幕の外に出ると、療養していたはずのシウムが外に出て食事の配膳を手伝っていた。

 「シウム!?もう歩いて良いんですか?」

 「おはよう、エア。うん、何でかわからないけど、医療士さんがもう大丈夫って言ってた。すごくびっくりもしてたみたいだけど……」

 「当然です、そりゃあ驚きもします。我々も普通の人間と同じ、傷が塞がるまで数日かかるはずなんです。ほ、本当に大丈夫なんですか?脚を見せてもらっても……」

 エアはその場にかがんでシウムの射たれた左の脹脛ふくらはぎを見て触った。包帯を解かれたそこにできていたはずの穿たれたような傷は、痕になって残っているが、見事に瘡蓋かさぶたすら無くほぼ完治していた。

 傷跡の部分を親指でなぞったり、軽く押しながらエアは感嘆した。

 「……すごい。もう痛くはないんですか?」

 「うん。あ、でも押すとちょっと痛いかも」

 その様子を見ていた食事当番の兵士が二人に声をかけた。

 「ちょっとちょっと。ウチのシウムちゃんにいたずらしてないで、あんたも暇だったら手伝っておくれよ」

 渋々とエアは立ち上がり、シウムと共に配膳を手伝うことにした。朝食が入った寸胴鍋には、辺りの山菜や大橋の谷間に流れる運河から取れた魚を捌いたものが煮込まれており、豊かな潮の香りが陣営の食卓を包み込んだ。


 それから二人は食事を終えて旅支度を済ませると、消えた焚き火の横で座り込んでいるミサに声をかけた。

 「そろそろ行きませんか。シウムもこの通り、怪我もすっかり治りましたし」

 「ああ……出立する前に、少しだけ用事を済ませても良いか」

 すっくと立ち上がり、荷袋を腰に結んでミサは言った。そうしてミサは、少年が捕らえられている天幕へ足を運び、二人は顔を見合わせて彼女の後を追った。


 天幕の檻の中では相変わらず少年が座り込んでおり、出された山菜鍋をがっついて啜っていた。それを見たミサは、かがんで再び少年に声をかける。

 「……もしこの野営地に必要なものがあるなら、私が掛け合ってこようか」

 スープをぐいっと飲み込むと、少年はミサの方を見た。

 「薬が必要なんだ。父さんと母さんが持っていた薬。僕が生まれる前からそうらしいんだけど、姉さんが病気でさ」

 「なるほどな。君はどこから来たんだ?」

 「教えないよ。教えたら姉さんに酷いことするんだろ」

 言われると、ミサは首を振って否定した。

 「大丈夫さ。この野営地の人々は見ず知らずの私達にも手厚くしてくれた。ここまで運べばきっと助けてくれる。もしそうでなくとも、私がそう掛け合ってみる」

 説得を行うも、少年は黙ったままそっぽを向いた。ミサは立ち上がり、エアとシウムの方を見据えて言う。

 「父の行方も気がかりだが、このまま問題を残して去るのは何だか気が済まない。少し協力してもらえるか」

 「私達だけでも捜索のためにフィルミア山に向かいましょうか?」

 「駄目だよエア。何だかこの子、放っておけないよ。子供なのに盗みをしたんでしょ?昨日兵士さんから聞いたよ」

 反対するシウムに頭を抱え、エアはため息をつきながら頷いた。

 「……ああもう、わかりました。早急に済ませましょう」


 三人は手分けして少年が欲した薬について聞き込むことにした。

 世話になった医療士からは、十数年までは野営地の隣の森を越えた先にある小さな村と交流があり、薬の取引も行っていたという話を聞くことができた。現在では全く取引が行われておらず、需要も無くなったため野営地内にかつて取引していた薬は無いのだという。

 また、少年は元々ミサ達が向かおうとしていた南東方向、アミティエの自治領外にあるものとされていて、迂闊に様子を見に行くとアミティエに目を付けられるのではないかということから全く様子を見ていないという。

 少年からは何も聞けなかったが、早速三人は南東の森に足を踏み込むことにした。


 少年が草を掻き分けた痕を辿り、道なき道を開いて進んでいく。道中で兵士が射た矢を何本か発見し、それを拾って集めながら進んだ。耳の良い翼の民であるエアとシウムは、森の中から聞こえる音を頼りに足を運んでいた。清流の音、しばらく行ったところで何者かの荒い息遣いのような音が聞こえてきた。その音を頼りに草を分けて進むと、一本の巨大な木が立った開けた広場に出た。

 巨木のうろの中には、一人の少女が横たわっており、汗をだくだく流しながら荒い息遣いで呼吸していた。

 すぐさま少女の元に駆け寄り、三人は様子を見る。シウムは思わず少女の額に手をかざす。

 「……酷い熱……!このままじゃ……」

 「とにかく運ばなければ。シウム、そちらを持って――」

 エアが少女の足元に移動して、運ぼうと足を持った瞬間だった。

 シウムの額に当てた手が青く、淡く発光しだす。その光が少女の顔を優しく照らす中、シウムの手は、だんだんと少女の上がった熱が穏やかになっていくのを感じ取っていた。

 息を荒げていた少女は、何事もなかったかのように落ち着きを取り戻し、優しい光に気がついて目をゆっくりと開けた。木漏れ日に輝く白い羽を見て、少女は口を開く。

 「――綺麗な羽……私……死んじゃった……?」

 その問いに対して、シウムは首を振った。

 「ううん……多分、生きてる……何が起きたのか、私にもわからないけど……」

 「……あなたが助けてくれたの……?」

 少女の目を見ながら、シウムは困惑した表情を見せると、少女がニコリと笑って体を起こした。

 「ふふ。ありがとう。おかげでとても楽になったわ。まるで病気が治ってしまったみたい」

 踊るように広場に出るも、少女は困惑する三人を見て首を傾げた。

 清涼な森のさざめく音の中で沈黙が流れ続ける。最初にその沈黙を切ったのは、助けられた少女だった。

 「……それにしても、お三方はどうしてこんなところへ?」

 ミサがこれまでの経緯を話すと、少女は驚いて申し訳無さそうにぺこりと頭を下げた。

 「もう、ゼブルったら……うちの弟がごめんなさい。あの子はどうやら、あの野営地とは取引をしていたことは知らなかったようで……戦争に巻き込まれてしまったことから、私達の村は軍の人々に滅ぼされてしまって。生き残ったのは私と弟だけだし、彼もきっと軍の人を憎んでああいう風に盗みを犯してしまったのだと……」

 「そうだったのか……あなたさえ良ければ、野営地へ共に行かないか?弟も開放してもらえるだろうし、向こうに行けば支援も受けられるだろう」

 ミサが提案すると、少女は嬉しそうに頷いた。

 「何から何までありがとう。願っても無いお話よ」


 できあがった獣道を歩く最中、エアは持っていた文献を読み耽っていた。読みながら転ばないように、空いた手でシウムの手を掴んでいた。

 「……しかし何だったんでしょうか、先程の光は……」

 「わかんない。ただ、この人を助けなきゃ!って必死に思ってたら、急にぶわーっってなって……――」

 言いながら、ふらりと態勢を崩してシウムはその場に膝を付く。つられてエアはシウムに引っ張られて転び、シウムの上に重なった。

 「ふたりとも、大丈夫か?」

 「……これが大丈夫に見えますか?いたた……」

 エアは服に付いた土を払い、シウムに手を差し出す。

 「……ごめん、なんか力が入らないかも……」

 かがんで腕を肩に回してやり、エアは本をしまってシウムを支えてやった。

 「全く……後で文献を洗い出してみます。本当は今調べられれば良かったんですけれど」

 「障害物が多い森の中なんだから、本を見ながら歩くのは止したほうが良いぞ」

 「今は読んでいないから良いでしょう!いちいちうるさいですね」

 ミサとエアのやり取りを聞き、シウムは苦笑し、少女はつられてにこりと微笑んだ。

 「ふふ、仲が良いのね」

 その一言にミサは「そうかもな」と頷くが、エアは「そうでしょうか……」と呟いて首を振るのであった。


     * * *


 野営地に戻ると、すっかり夕暮れになっていた。ミサは事の些細を将軍に話すと、将軍は快く少女を受け入れてくれた。

 それから手続きを済ませ、少女は三人と共に少年が捕らえられている天幕へと足を運んだ。

 「姉さん!もう動いて平気なの?」

 「ゼブル。あなたって人はもう、無茶ばっかりして」

 ミサは将軍から少年――ゼブルを開放する指示を受けている旨を見張りの兵士に話し、鍵を受け取って檻を開いた。

 「どうしたの、その肩……」

 問われるとゼブルはエアを睨んだが、エアはその目から顔を逸らした。見かねたミサが間に入り、ぺこりとゼブルに頭を下げる。

 「もう過ぎたことだ。仕方ないとはいえ、許してくれないか」

 「……まあ、僕も悪い事したし。いいけど」

 そのやり取りの間から、ゼブルの肩傷を見たシウムはふと自分の右手に視線を落とした。小さな白肌の手をぎゅっと握りしめ、シウムは少女とゼブルの間に入ろうとした。

 「ちょっと、いいですか。試したいことがあるんです」

 シウムはゼブルに向き直ると、深呼吸をする。何かを察した少女は弟に動かないように指示をすると、シウムは自分の右手をゼブルの傷ついた右肩に当てた。

 その掌はぼうっと青い光を宿し、ゼブルの肩を包み込む。何かを思いついた少女はゼブルの右肩から包帯を優しく外した。右肩に空いた細剣に穿たれた傷は、みるみるうちに再生して塞がっていき、短時間――たった数秒間の間に、その痕すらも無くなって綺麗になった。

 やがて光はだんだんと弱まって消えていくと、ふらりとシウムはその場に崩れた。とっさにエアに支えられて倒れることは無かったが、立ち上がることはできなかった。

 「……すごい。私、こんなことできたんだ……」

 不思議そうに傷跡を触るゼブルは、崩れたシウムに視線を向けて困惑していた。少女がゼブルの背を叩くと、ペコリと頭を下げてシウムにお礼を言った。

 「あ、ありがとう」

 シウムは顔を上げると、にこりとゼブルに微笑みを向けた。

 「そういえば、三人の名前を聞いてもいい?私達の恩人だから、覚えておきたいわ」

 三人は順々に名乗り、旅の目的を告げた。少女は納得したように頷くと、自身の胸に手を当てた。

 「ありがとう。私はルクセラ、こっちは弟のゼブル。ミサさんのお父さん、見つかると良いね。村も無くなってしまったし、私達はしばらくここにお世話になるわ。また立ち寄ることがあったら、顔を見せてね」


 それからゼブルも正式に手続きをし、野営地にしばらく居ることになった。

 その様子を見届けたミサ達は一夜を過ごし、再び旅支度を整えると、野営地の後ろにかかる大橋を渡って行った。橋の向こうは青々とした草原が広がり、更なる旅路を予感させる潮風が、行く先の緑広がる丘に波を立たせた。

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-Novalscia Saga- (ノーヴァルシア・サーガ) 朱星リズ @U_1ann1um

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