幕間 夜縁の光<1>

 一行が森を抜けると、右手側に野営地が見えた。旗には塔に絡まる大きな蔦を描き、大樹のように表現したようなシンボルが描かれていた。少なくともアヴァリアのものや空の民のものではないことは、ミサとエアの知識でわかった。

 野営地には数人の兵士がうろついており、兵士の鎧を見るところではヴェオルが着ていたものとは全く違うものだった。それどころか皆自由な兵装をしており、混成軍のようにも見えた。

 野営地の更に奥には大きな橋があり、まるで橋を守っているかのように陣取っていた。

 一行は一度森の奥へと引き返し、人目につかないところに隠れた。

 「どうしよう……」

 「我々は飛べるから良いとして、ミサが通り抜けられないですね」

 森の奥から響く岩肌に打ち付ける波の音を聞きながら、エアは地図を取り出して現在地を確認する。

 「このまま夜が更けるまで待ち、皆が寝静まっている間に駆け抜ける、というのはどうでしょうか。向こうの森までたどり着ければこちらのものです」

 一行は森に息を潜め、日が落ちるまで待機することにした。


 日が落ちてしばらく、野営地の明かりは点いたままで兵士も何人かが見張りを続けていた。もうしばし待ってみようとエアが目を瞑った瞬間、野営地から叫び声が聞こえた。

 「賊の襲撃だーッ!!」

 驚いてエアは剣の柄に手をかけ、茂みに息を潜める。仲間の方を見ると、ミサも既に槍を手に臨戦態勢に入っており、シウムは寝起きで驚きながら慌てて隠れていた。

 「……何者かが野営地を襲っているようですね」

 「今のうちに向こうへ行こう」

 二人は顔を見合わせて頷き、エアはシウムの手を引いてさっと茂みから飛び出して駆け出した。野営地の松明を避けて暗がりをさっと走り抜け、茂みに転がり込んだ。

 兵士が混乱している最中、茂みをかき分けて走る音を聞き、何人かの兵士がこちらに気付く。

 「おい、羽付きと角付きもいるぞ!畜生、盗るならアリステール軍からにしてくれよ!」

 一人の兵士が三人に向かって弓を構えて射た。矢は見事にシウムの左足に刺さると、シウムはその場に転げた。

 「うぁっ……!!」

 今まで感じたことのなかった鋭い痛みがシウムを襲う。あまりの痛さに歯を食いしばって両手で矢が突き刺さった部分を抑えた。

 たまらずエアは振り返って抜剣し、シウムの前にかばうように立つ。見かねたミサも振り返って槍の穂先を向けた。

 「さあ、もう逃げられねえぞ。一体俺たちから何を盗んだんだか。いくらアリステールからの脱走奴隷だからって、盗みを働くのは許されねえよなあ?」

 「近寄るな!!これまで数々の同胞を搾取してきた悪魔共め……!」

 エアが兵士に向かって吠えるが、兵士は呆れて首を振り、笑い始めた。

 「はは!だからって盗みを犯すのはどうかって言ってんだよ!盗んだものを返してくれるんなら許してやる。そうでなければ角付きだろうが羽付きだろうがとっ捕まえて牢獄行きだ!」

 「私達は何も盗っていない。貴方達こそ理由をこじつけて捕まえ、我々を奴隷の身に落とすのだろう」

 ミサにそう言われると、対峙していた兵士は剣を降ろして他の兵と顔を見合わせた。

 「……おい。何か噛み合ってねえ気がするぞ」

 「確かに。荷物だけ検品して、言ってることが本当なら逃してやるか?怪我もさせちまったようだし……」

 兵士は剣や弓を捨てて手を上に上げる。それを見てミサは槍を下ろすが、エアはまだ警戒して細剣の切っ先を向けていた。

 「俺たちマレーンの人間は、アリステールみたいに角付きや翼付きを差別したりしねえし、最近なんか捕まえて売りなんてしたら罰せられる。だからあんたらを獲って食ったりしない。その代わり本当に盗んだものがないのであれば、そこからでいいから持ってる荷物を全部見せてくれ」

 ミサとエアは顔を見合わせる。エアは首を振るが、ミサは少しだけ考えた。

 「……わかった。もしこれで信用してくれるのであれば、彼女を治療してやってくれないか」

 ざらざらと袋の中から森や海で取った食料や水袋、火打ち石といった携行品を出し、空の袋を地面に置いた。エアも合わせて書籍と地図と携行品を取り出して見せる。兵士は松明を近づけて確認し、うんと頷いた。

 「……うちの物じゃないな。よし。君たちを信じよう。彼女を運ぶからそこを退いてくれ」

 「断る。私は貴様らを信じたわけじゃない」

 エアは未だに切っ先を向けながら、兵士を睨みつけていた。兵士はやれやれと呆れて首を振ると、手を振りながら野営地へ戻っていった。

 「じゃあ好きにしろ。俺たちを信じるなら彼女を運んでこっちに来い」

 エアはそのまま兵士たちを見送り、見えなくなったタイミングで剣を収めた。痛がりながら涙を流すシウムを見て、歯をぎりと噛みしめる。

 「良いのか、エア。彼らは我々を捕らえなかった。信じても良いじゃないか」

 「罠に決まっているでしょう!?」

 反駁するエアの足を、シウムが強く掴んだ。エアが足元を見ると、シウムは震えながら首を振って弱々しく言葉を紡ぐ。

 「……あの人達は……たぶん、大丈夫……」

 エアは難しそうな顔をし、跪いてシウムの足を撫でた。

 「……良いんですか。仮に彼らが我々を奴隷になどしたら――」

 「いいから……!信じてあげて……!」

 それでも信じろと言うシウムを前に、エアは驚き困惑した。が、目を閉じてため息をつくと、エアはシウムを抱き上げて野営地へ歩き出した。


 天幕内の寝床に寝かされたシウムは、足から矢を引き抜かれて手当を受けた。賊を取り逃したような顔をしながら他の兵士が天幕に入ると、シウムの美しさからその元気を取り戻した。

 医療士曰く、傷が塞がるまで通常の人間であれば数日かかり、感染症に気をつければすぐ治るとのことで、シウムは安堵した。


 ミサはその間、野営地の兵士たちに聞き込みを行っていた。

 マレーン王国はこの平原から南西に行った向かいの半島に位置する国で、この陣営はアリステールとアミティエの戦争から飛び火しないようにと唯一の大橋を守るために敷かれたものなのだという。

 野営地に砦を建てる案もあり、戦争が始まってから向こう何百年も陣を張っているものの、マレーン王国もさらにその南に多数存在する南部民族やフィルミアとの小競り合いがあることから、物資供給が追いつかずに計画は頓挫していた、という噂も聞くことができた。

 また、南部民族には翼の民の翼を切り落として生贄としたり、時には食べてしまうという部族もいることから、彼らからフィルミアを守る大義を作るために、マレーン王国では翼の民や角の民を快く受け入れる法が敷かれており、先の兵士の語った通り、翼の民や角の民を奴隷として扱うことは非常に厳しく禁じられていた。


 ミサは野営地の将軍を連れてシウムが休んでいる天幕に入り、仕入れた情報をエアに語ると、エアは視線を落として頭を抱えた。

 「そうだったのですか……我ながら無知を晒し、恥ずかしい思いです」

 「いやいや。君達翼の民の過去からしたら、そう思うのも仕方がないだろう。どうか許していただきたい」

 将軍がエアへ会釈すると、ミサは更に収集してわかったことを語った。

 「父の行方を聞いたのだが、父はよくこの陣を通ってマレーンへ行き、南部地域を通ってからフィルミアに行くんだという。ひと月前もここを通って行ったが、まだ帰ってくるところを見ていないらしい」

 聞けば、見かけて2週間したら戻ってくる頃合いだが、それでもまだ見かけていないのだと将軍は言う。

 「南部地域は君達翼の民にとっては危ない場所だろうから、フィルミアに用があるなら南を通っていかないほうが良いだろう」

 「そうですね……我々も翼を切り落とされるくらいなら、飛んで森へ帰ります。ただ今回はミサ――彼女も居ますし、行ってみてまた考えることにします。……その前にまずは、シウムの足の治療からなんですけれど……」

 「ああ。今日みたいに賊がやってくるかもしれないが、治るまではどうかゆっくりしていってくれ」

 シウムは将軍にぺこりと頭を下げ、礼を言った。そして、頷くだけのエアを見て、エアに一緒に頭を下げるように促した。


 その夜。シウムの足が治るまで手持ち無沙汰であるため、見張りをしながらミサとエアは二人で焚き火に当たっていた。先日と同じく日が落ちて、すっかり辺りも暗くなった頃、エアはがさがさと草を掻く音を聞いた。

 咄嗟に剣の柄に手をかけて構える。その様子を見てミサも立てかけていた槍を持ってエアの視線の先を睨む。

 見張りの兵士は二人の動向を見て、不思議そうに声をかけた。

 「――何か居ます。今森の奥へ引き返したようです」

 「うん?昨日の賊か……?」

 兵士は剣を構えて警戒し、松明を持って草むらへ近づく。刹那、兵士の足元を何かが蹴り、兵士は見事にその場に転げた。

 転んだ兵士を飛び越えて、一人の黒衣に身を包んだ少年が躍り出る。咄嗟に兵士が少年の足を掴もうとするが、少年はさっさと避けて野営地の中心へ向かおうと走った。

 「逃がすかッ!!」

 エアは抜剣して羽を広げ、少年に回り込むように地表を滑空する。後を追ったミサと挟み撃ちする形になり、少年は立ち止まって飄々とナイフを構えた。

 「あ、おねーさん達。昨日みたいに助けてくれないの?」

 「何のことだ!貴様のせいで、我々の仲間の一人が大怪我をしたんだぞ」

 「ふぅん、そりゃ残念だったね。おねーさん達が僕の囮になってくれたのかと思っちゃったけど、そっか、向こうの味方か。だったら――」

 少年は森へ駆け始めると、エアは再び羽を広げて回り込む。それを見透かしたかのように、少年はエアに飛びかかり、ナイフを突き立てた。

 対してエアは羽で風を起こして後ろへ退き、着地して風圧を受け態勢を崩した少年のナイフを握った手を蹴った。ナイフはくるくると宙を舞うと、ミサの足元にカランと音を立てて落ちた。それからエアは少年を突き飛ばし、馬乗りになって細剣の切っ先を突き立てる。少年は抑えているエアの腕を掴みながら抵抗したが、しびれを切らしたエアが少年の右肩に思い切り細剣を突き刺した。

 「ぐああっ!!」

 「大人しくしろ。次は殺す」

 ミサは構えを解いて歩いてエアの元に近づく。転んだ兵士も立ち上がって二人に追いついた。

 「止めろ、エア。いくら人間とはいえ、子供相手にそれは可哀想だ」

 殺気立っていたエアは、少年の右肩から細剣を抜くと、やってきた兵士から縄を受け取って少年の腕を縛った。

 「こんな子供なのに盗みを働くなんて……ともかく、助かったよ。二人共、ありがとう」

 少年の身柄を受け取り、携帯していた手ぬぐいで少年の右肩の傷を抑えながら兵士は天幕へ向かった。エアは剣をしまうと、はあ、と大きなため息をつき、再び座っていた焚き火の方へ戻った。ミサはそれを見て、やれやれと首を振りながら、エアに槍を預けて少年が連行された天幕へと向かっていった。

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