白翼の文、暗闇の淵<2>

 木陰に隠れながら、エアとシウムは根元に腰掛ける。樹の幹に背を預け、深呼吸をするエアを見て、シウムは申し訳なさそうに頭を下げた。

 「ごめん」

 「いいんですけど……どうして助けようと思ったんですか?」

 「……見て見ぬふりなんてできないよ。私だってあの人みたいに、囲まれて嫌がらせされたことあるから。けれど、殺そうとまでは思わなかった……」

 視線を落とすシウムに、エアはため息で返す。

 「殺さなければこちらが酷い目に遭っていた。あの者だって、ああは言っていますけど、本当に私たちを捕まえるかもしれませんし」

 そこまで言うと、先ほど戦闘をしていた方向から草をかき分ける音が聞こえた。エアは剣の柄に手をかけるが、出てきたのは先ほど助けた男——ヴェオルだった。

 「だから捕まえねェって。恩人が剣を向けてきたらそりゃあ斬るけどよ」

 「何の用ですか」

 再びヴェオルは両手を上げ、無害であることを伝える。

 「あのな姉ちゃん話聞いてたか?——礼をしに来たんだよ。疲れて飛べねえんだろ?アンタらが休んでいる間は見張っておいてやるよ」

 「払えるものは何もないですよ」

 「礼だって言ってンだろ」

 エアは脱力して再び木にもたれかかる。腰に提げていた水袋を取って水分を摂り、木々の間から見える月を見上げた。

 その横にヴェオルが剣を抜いて座りこむ。刃は地面に突き立て、同じように幹に背を預けた。

 「姉ちゃん、アヴァリアに何しに行くンだ」

 ふと質問するヴェオルを見、視線を再び夜空に戻す。

 「大事な用があるんです」

 それだけ言うと、エアは腕を組み、少しだけ滑ってずれた、もたれかかった背の位置を調整する。

 「——伝えたとて、あなた達、人の手など借りることは無いでしょう……私たちの旅路はあなたには関係ない」

 「そうだな。アンタたちの旅は俺には関係ない。言いたくなきゃ言わなくていい。悪いこと訊いたな」

 ヴェオルが言うと、エアは目を閉じて休む態勢に入る。そのまま夜が明けるまで眠り続け、間もヴェオルは見張りを続けていた。

 会話を聞いていたシウムが目を覚まし、ヴェオルに向かって告げた。

 「……そらよ底よ、旗を取れ、呪いの地に安寧を」

 「何だって?」

 「これを……地底奥深くに居る、私たちの王様に伝えに行くんだって」

 それを聞いたヴェオルは、呆れたようにけらけらと笑った。

 「くはは、地底か……俺達では考えられない、とンでもなくわけわからん旅をしてるんだな。ま、有翼人ってのも俺達にとっちゃ異端のような奴らだから、わけわからんのも当然か」

 シウムはぎゅっと抱えた膝に力を込める。

 「……仲良くなれないのかな、私達」

 「さあ。俺は何でも良いが、普通の人間とは無理だろうな」


 翌明朝、ヴェオルが眠りに就いている間、エアとシウムは再び大空へと飛び立った。シウムは背を預けていた木に成っていた木の実を取って、ヴェオルの膝元に置いておいた。


     * * *


 北洋に浮かぶアヴァリア島は、島の中央に巨大な塔を構え、その周囲を聖なる都として据えた島だ。地底へ続く道は中央の神殿にあり、有翼人でのみ入ることができる入り口から穴を飛び降りなくてはならなかった。

 地底より吹き付ける風を受けながら、大きく羽を広げて緩急を付けてゆっくりと降りていく。エアのそんな姿を見よう見真似でシウムも降りるが、なかなか上手くいかずふらつきながらゆっくりと降りて行った。


 視界が暗闇に近づくにつれ、ぼんやりとした青い明りが灯っていく。降り立つ床がなかなか見えず、シウムは少しだけ恐怖感を覚える。

 風を受けながら長い間自由落下をしていると、やがて眼前に夕焼けのように赤く燃える地平が見えてきた。

 羽を羽ばたかせ始めるエアに合わせ、シウムも真似して羽を動かす。見えてきた大地に緑は無く、すっかり枯れた土に足を付ける。赤く焼けた空のように見えるそれは、はるか遠くに広がる溶岩の海が明るく燃え盛っているもので、視界の中央には天井を貫くほどに巨大な一本の岩の柱が出来上がっていた。

 シウムは何故か、ぼんやりとではあるが、初めてルシフィムの気配を岩の柱の中に感じた。それをエアに伝えると、エアはほっと胸をなでおろした。

 「王宮に仕える白翼の民は、王の存在を感じ取ることができる。伝承は本当だったんですね」

 「……思ったんだけれど、翼を持っている私達の王様が、何でこんな地底に……?」

 「それは伝承と一緒に飛びながら説明します」


 かつて、5人の神がこの世界へ降り立ち、人に様々な英知を授けた。

 人はその英知を身に着けて成長をした。炎の神の力が強かった者からは角が生え、風の神の力が強かった者からは翼が生えた。

 人々は最初は地上で共存していたが、水の神の力が強いものには何も変化が起こらず、やがて嫉妬に狂い、まずは角の民と争いを始めた。

 初めは角の民が持つ力によって人は圧倒されていた。だが、争いを良しとしない光の女神が仲裁に入った。

 角の民は武器を置いたが、その時人は光の女神を捕らえて犯した。角の民に光の女神と引き換えに降伏するように交渉をし、やがて角の民は人に欺かれ奴隷へと降り、光の女神は命を落とした。

 狂った人を恐れた角の民と翼の民は、神の力により大陸を割いて引き上げ、角の民は地底へ、翼の民は空へと逃れた。

 翼の民を率いていた王である風の神ルシフィムは他の神を連れて地底へと降り、人に介入することをやめたのだという。

 「……私の先祖はずっとルシフィム様に仕えていましたが、今は空の玉座に頭を下げて報告するだけとなってしまって。王の姿を見るのはこれが初めてなのです」

 ぼんやりと感じる気配を頼りにシウムは羽ばたく。自分が特別であるという事実に複雑な思いを抱きながら、エアを先導した。


 岩の柱の一部が欠け、洞窟になっているところが見えると、シウムはそこを指さしてエアに伝え、入り口前に降り立った。中は明かりが灯っており、それを頼りに歩みを進めていく。

 ぐるりと大回りに階段を降りると、玉座の間のような場所に出た。中央にできた椅子には、黒い羽を背に生やした、黒髪の女性が座っていた。

 彼女が項垂れていた様子を見たエアは、息を呑んで呟く。

 「——ルシフィム、様」

 その声に気付いたのか、女性は顔を上げてこちらを見た。シウムは驚いてエアの背に隠れるが、エアはずんずんと前に進んで行った。

 「ルシフィム様……!お探ししておりました。今代の王宮予言士のエアでございます……我々に代々伝わる予言をお聞きいただければとここへ参りました」

 跪いて頭を下げるエアを見、それからシウムに視線を向ける。

 エアはそれから霊峰でシウムに聴かせた詩を再び歌い、シウムがルシフィムに巻物を手渡すと、ルシフィムは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめた。

 「——それがどうした」

 「どうした、ではありません!勇敢なる白翼は再臨し、世界は変革を迎え、安寧を得ん。それが我々予言士に代々伝わる予言です。我々がやるしかない!隠れ住んでいる腑抜けた民草に、あなたが希望の旗を掲げて——」

 「エアと言ったか。君達の代には、君達を導いた神は人を捨てて眠りに就いた、と伝わっていないのか」

 ルシフィムに遮られ、エアは驚きながら一歩下がる。

 「争いを忌避した光の女神——レモナは死んだ。同時にローエンドはどこかへ消える、ラヴレスは籠って出てこない。君は民を腑抜けたと言ったが……我々も腑抜けたんだ。戦う気など無ければ、世界に変革など齎す気も無い」

 「……では我々はこのまま天空に座し、人の侵攻を受けろと言うのですか?こうして白翼の民が生まれたというのに!あなたはこの愚かな戦争を止めないというおつもりか!?」

 悲しみとも怒りとも取れる叫びを聞き、ルシフィムは首を振った。その時、玉座の後ろから高笑いが聞こえてきた。

 「はっはっは!オレ様は面白いと思うぜ」

 見ると、小さな体躯に赤い髪を結い、その頭に角を生やした少女が、玉座に腕をついて寄りかかり、ルシフィムの手元にある詩歌を読んだ。

 「ただその詩はどうも気に入らん。誰が作ったんだ?自分勝手な詩なんか作りやがって」

 「リリト、止さないか」

 リリトと呼ばれた少女は、けらけら笑いながらエアとシウムを見る。ふと、シウムの白翼に目が留まり、リリトは続けようとした言葉を飲み込んで、口を開いた。

 「——っていうかルシフィム。いつの間に〝選定〟したのか」

 それを言われたルシフィムは、黙って目をそらす。言われたシウムは、首を傾げた。

 「センテイ……?」

 「オレ様達のような神——いや、悪魔が、お前さん達人間に役割を与えることだ。全く、一体何の役割を与えたんだか——」

 「——本当に訪ねてくると思わなかった。信じていなかったんだ。君達空の民は、特に今人に迫害されている立場だろうに。危険な戦場を飛び越えてまで、ここにやってくるなんて考えなかった」

 ルシフィムが顔を抑えながら言うと、シウムはルシフィムの前に近づいて跪いた。

 「……じゃあ。私は何をすればいいですか?……あなたに選ばれて、私がこの白い翼を手にして……村の人に忌み子だと言われて、避けられてきた私が——あなたのために、何ができますか?」

 ルシフィムはシウムの言葉を聞き、はっとした。震えながら涙を流し、彼女に謝罪するように続けた。

 「——選定は、その命が生まれ落ちる前に行われる。新しく生まれる命に、魂に使命を刻み込む。私はこっそりと、ただの願いを書いただけだったんだ。どうか、君にこれから重い使命を背負わせてしまうことを許してほしい」

 そうしてルシフィムはゆっくりとシウムの手を取り、涙に濡れた目で、無垢ながら真剣な表情で見つめる顔を見て言った。


 「——どうか、不出来な私達に代わって、この世界を救ってくれ」


 壮大な願いを掛けた魂を宿し、白翼を賜ったシウムの手を力強く握る。彼女の手を握るその手はただの人のものであったが、それでも一人の人生の行く先を決める大きな手であった。

 「……はい。それが私の使命なら……でも……」

 言いかけたところで、肩にぽんとリリトの手が置かれる。

 「何すればいい、って顔してるな。簡単な話さ、今この世界に蔓延っている争いを終わらせてくれればいい。もう一度、オレ様達やお前さん達、それと人間達とが、手を取り合って生きていた、元の世界にしてくれりゃいい。具体案は実際に世界を見て考えればいいし、不安だったらウチの王女様を連れて行きなよ」

 軽々しく言い放つと、ルシフィムはリリトの方を見る。

 「無辜な民をこれ以上巻き込むのか!?」

 「最初に無辜な民とやらを巻き込んだのはお前さんだろうが。なんならオレ様が王女様をしよう。ま、先行き不安かもしれないけどさ、安心しなって」

 リリトはシウム達に付いてくるように促し、玉座の裏側の階段を降りて行った。シウムは立ち上がり、振り返ってエアに少しだけ不安な表情を見せる。

 「大丈夫ですよ。私も付いてます」

 トントンと胸を叩いてエアはアピールしてみせる。シウムの背中を押すように、彼女の腕を優しく取ると、二人はリリトに続いて暗い居城の階段を降りて行った。

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