白翼の文、暗闇の淵<1>

 霊峰の頂に生まれた有翼の民である少女——シウムは、生まれつき白い翼を宿しており、その異様さから忌み子ではないかと周囲から囁かれていた。

 霊峰に生まれる有翼の民は皆、鮮やかな暗茶褐色の大羽を宿す。当然ながらシウムの両親の翼も白くは無く、どうしてか彼女だけが、白翼を宿して生まれたのだ。


 彼女が周囲から疎まれ続け、両親の助けも空しく、やがて霊峰の崖より身を投げようとしたその時、彼女を止めるように一人の有翼人が舞い降りた。

 霊峰の民は新たな同胞の飛来に歓迎したが、降り立った有翼人はあろうことかシウムに跪いた。

 「ようやく見つけました。私は空の民。ここよりも遥か天空に住まう、あなた達の同胞です」

 空の民は、霊峰の民であるシウムの手を取り、続けた。

 「——我々よりも勇敢な心を持つ、霊峰の民に白き翼が授けられたと聞いて来たら……これより旅に出るところでしたか?」

 「いえ……私は……」

 言い淀むと、空の民は感心するようにうんうんと頷く。

 「何も言わずとも良いのです。あなたはとりわけ勇敢な心を持っている。そんなあなたに、頼みたいことがあるのです。どうかこの詩歌を、地底へと逃れた我らの王へ届けてもらえるでしょうか」

 そういうと、空の民はすっくと立ちあがり、竪琴を構え、崖より空を望んで歌い始めた。


 そらと底と分かたれた 知恵持つ我らのともし

 そらも底も飲み込まん 力持つ彼らの炎

 そらを底を見ゆる人 彼らに愛など在らず

 そらよ底よ旗を取れ 呪いの地に安寧を


 歌い終わると、空の民はシウムに巻物を渡した。

 「……あなたがたとえ歌を歌えずとも、この文を見せればわかってもらえます。どうかお願いします、勇敢なる霊峰の民よ」

 「な、何で私なんですか……?」

 困惑して文を受け取らないシウムを見て、空の民は間を置いて続ける。

 「——白翼を賜る者は、本来であれば我々空の民の、王宮に仕える存在なのです。人を恐れて天空に逃れた臆病な我々には、以来白翼を持つ者は生まれなかった。あなたは特別で、同時に我らの希望なのです。どうか、その綺麗な翼を、我らが王に見せてあげてほしい」

 それを聞き、どよめきを起こした他の霊峰の民が割って入る。

 「ええ!でもみんなその子が忌み子だと……」

 「そうよ!黒い羽が生えない子なんておかしいわ!」

 「——忌み子ですって……?訂正なさい。それ以上の発言はこの私——王家に仕えた予言士の子孫たる、エアが許しません」

 空の民——エアは言いがかりを付ける霊峰の民に向けて抜剣する。そして、落胆するようなため息を出して続けた。

 「その昔、我々翼を持つ民は、聖櫃を奪還するために、翼を持たない地の民の住まう大地に降り立ったのです。その末裔が最初に建てた最後の砦が、この霊峰カルゥの頂——それなのに、その末裔はこの体たらく。我々の——我々が耐え忍んだ千年は一体何だったのですか。それでは我らが王、ルシフィム様に顔向けなどできないじゃないですか」

 シウムは民に怒るエアを慌ててなだめる。

 「わ、わかりました!行きます……私にしかできないのなら……けれど……」

 「全く……不安ならば、不本意ですが私も同行することにします。天に逃れた臆病な我々は王に顔向けなどできませんが、道中あなたの盾や剣にはなりましょう」

 自らを臆病だと謙遜する勇敢な空の民は、勇敢と謳われた臆病な白翼の少女の手を取り、文を預けた。エアはそれから霊峰の民をきっと睨みつけると、シウムの手を引いて雲海へと翼を広げた。

 空高く日が差し新緑を照らす、春の昼間の出来事だった。


     * * *


 重大な使命を負っているとはいえ、シウムは霊峰から一歩も外へ出たことが無かった。その羽で飛ぶことすらままならず、エアに支えられながら雲海の上を飛んでいた。

 「はあ……何もかも練習が必要ですね。村の者は本当に何も教えていなかったのか……。休み休み行きましょう」

 「ごめんなさい……」

 「いえ、あなたに非はありません……」

 ふらつきながら飛ぶシウムを横で支えながら、エアは背中をトントンと叩いてやる。

 「——そうだ。あなたの名前を聞いていませんでしたね」

 「私はシウム……あなたは、予言士さんの……何だっけ?」

 「エア、です。改めて、どうぞよろしくお願いします」

 霊峰の民と同じ暗褐色の翼を羽ばたかせながら、すっかり泣き疲れたような涙の痕が付いたシウムの顔を見て、エアはにこやかな優しい微笑みを向けた。


 霊峰から地底への旅は非常に距離があった。人と神との戦いで信徒に守られた北西の神域アヴァリアまでを飛び、更に島の中央の神の塔より地底へと降らなければいけなかった。

 大空を旅し続けるような力は無いため、有翼人は道中の森で身を隠しながら休息を取る。地域が悪い場合、そんな夜に森へと出向き、捕獲して見世物や奴隷にするような輩も出てくるため、地上における安全な場所というものは少なかった。

 アヴァリアへの道中でもエアは仮眠をとる程度にし、常に気を張って周囲を警戒し続けていた。

 時には戦場の近くで眠ることもあり、その火が森に移ってしまってあまり休息できない日もあった。ノーヴァルシア大陸では、聖櫃せいひつを巡ってどこもかしこも戦を行っていた。

 外は恐ろしい場所だと教わっていたシウムは当然夜も落ち着いて眠ることができず、常に震え、時に泣きながら眠っていた。


 アヴァリアも目前と迫った森で休息していたある時、エアは何者かの足音を聞いて目を覚まし、剣に手をかけた。

 見ると、草木をかき分けて何かから逃げるように森を歩く、甲冑を着込んだ人間が居た。我々には関係も敵意も無いと判断し、エアは視線を戻すと、その甲冑を追うように、同じ甲冑の兵士達がやってくる。

 「見つけたぞ、裏切り者!」

 「——ハア……参ったな。けれど、全く歯が立たない魔法に焼かれて死ぬよりはマシか……」

 追い込まれた兵士は抜剣し、三人の同胞の剣戟をかわしながら捌く。その剣が奏でる戦闘の音を聴き、シウムは飛び起きた。

 「何が起きてるの……!?」

 「シッ……伏せて——」

 かさり、と草葉が揺れる音がし、それを三人の兵士の内一人が見逃さなかった。シウムの羽がちらりと見え、兵士の一人は指をさす。

 「有翼人だ!おい、ヴェオル!あいつを捕まえてきたら、お前にもう一度生きるチャンスをやろう」

 ヴェオルと呼ばれた追い詰められた兵士は、エア達の方を見る。エアは諦めて立ち上がり、抜剣して叫んだ。

 「我々を巻き込むな!愚民風情が、喧嘩なら余所でやれ!」

 「——だとよ、兄弟。それに俺はな、勝ち目のない戦いをして死ぬつもりはない。おたくらが仕える王は無能だって何度言ったらわかる。前線へ出ろ、前線へ出ろと叫んで、わけわからン死人ばっか出しやがって」

 三人の兵士に剣先を向けながら、ヴェオルは横っ飛びでエアの前に立つ。

 「……飛び立つなら今だぜ、姉ちゃん」

 「すまない——」

 剣を収めようとするエアの腕をシウムが掴む。

 「だ、だめだよエア!見捨てちゃダメ!助けよう!」

 「あっ危な……どうして!私達にはアヴァリアへ行く使命が——」

 「それでもダメだよ……!ここで見捨てたら、この人はきっと死んじゃう……!」

 シウムの一言を聞き、ヴェオルは肩を小刻みに揺らしながら笑い始めた。

 「く、くく……そうだな、俺ごときが精鋭三人を相手になんかできねえ。だがそれでいいだろ。アンタたちの旅に俺の命は関係ない」

 「そうです。この者がここで命を落としても、私たちの目的は変わりません。一刻も早くアヴァリアへ——」

 「ダメったらダメ!!私は助けるから!!」

 シウムは付近に落ちていた枝をヴェオルに向かう兵士に投げつけた。枝は兵士の目の前で落ちると、兵士は笑い出した。

 「——ははは。あの白いのは特に高く売れそうだ。俺は子供には興味ねえけど、好事家には高く売れるだろう」

 「ああもう——ッ!」

 エアは再び剣を構えると、シウムを守るように位置取った。戦闘態勢を取るのを見た兵士の一人はヴェオルを押しのけてエアへと突進する。

 ヴェオルは一度振り返るが、二人からの攻撃に対処するために剣を前方に振った。見事に二人の振りかざされた剣へ刃を当て、攻撃をいなす。

 「お前の相手は俺達だッ!」

 「面倒くせえ……、姉ちゃん!手伝ってくれるなら前へ出てくれ!」

 ヴェオルはエアにこちらへ来るよう指示を出し、エアは拒否しながら、突進してきた兵士の剣を弾く。

 「無理です!手伝いますけど!できればこちらに合わせて!」

 「ったくよ……わがままなのはこの国の人間だけじゃねえってか……」

 ヴェオルはエアと共にシウムを守るように移動する。シウムはすかさず脇から葉が茂った枝を一本投げつけた。それは追う兵士の一人の兜に命中して引っかかり、視界を奪った。

 「そこだッ!!」

 すかさずエアは眼前の兵士を蹴り飛ばし、前が見えずに転んだ兵士に剣を突き刺す。波打ったその刃は兵士の肉を抉るように鎧の隙間から深部へ突き刺さり、悲鳴を生んだ。

 ヴェオルは合わせてもう一方の兵士の剣戟を捌く。彼の戦い方は自由なもので、体術と剣術を合わせたような戦い方であった。

 だが、相手取っているもう一方の兵士も似たような戦い方をしており、隙が無い。

 「全く、教え子のお前といつか戦ってみたかったが、こんなことになるとは——」

 「何で俺なんかと戦う必要があるんですかね、先生センセ。教えてくれたことには感謝しているけれど、俺は生きるために剣を振ってるだけなので……」

 ヴェオルは師と鍔迫り合いの形を取る。そこに再びシウムの枝が投げられた。枝はヴェオルの師に当たらず視界の横を通り抜ける。

 「ああ!全く、目障りだ、この餓鬼!」

 師は教え子を退けるとシウムに向かって剣を振り上げた。が、次の瞬間剣は手を離れて宙を舞い、師はゴロゴロと転がり倒れた。その背にはヴェオルの剣が突き刺さっており、師の剣はヴェオルの手にすっぽり収まっていた。

 「何があっても眼前の敵に集中しろ。そう教えたのはアンタじゃないっすか……」

 ため息をつきながら、エアと戦っている兵士に向き直る。エアは相手の力強い剣技と自信に蓄積した疲労とで息が上がっていた。

 とどめの一撃を、と兵士が剣を振ろうとするが、エアを押しのけてヴェオルが刃を弾いた。

 「ほれ、息が上がってるよ、姉ちゃん。後は任せろ」

 「何を——一人で倒しきれなかった癖に、私を舐めているのか」

 「アンタもだろう……面倒くせェな」

 ヴェオルが剣を弾き、兵士の気を引く。その間にエアの剣閃が入り、兵士はその場に崩れ落ちた。


 念入りにとどめを刺しながら、ヴェオルは深いため息をつき、エアはその場にへたり込んだ。

 「……すまンね、姉ちゃん。おかげで助かった」

 「お礼なら彼女に言ってください。私はあなたを助ける気なんて毛頭なかったのですから」

 そういわれると、ヴェオルは兜を脱ぎ、シウムに向き直って頭を下げた。

 「ん。アンタもありがとうな」

 「……いいんです」

 シウムはその場に倒れた三人の兵士に祈りを捧げていた。

 「欲を言えば、この人たちも殺す必要は無かった。けれど、こうしなければ私達もあなたも、この人たちに殺されていた……」

 「酷い世の中だよな。ま、アンタたちならギリギリまで生かされて、そのまま奴隷送りだろうけどよ」

 ハッと息を呑み、シウムはヴェオルの方を見る。が、ヴェオルは首を振って両手を上げた。

 「おいおいおい。恩人を売り飛ばすわけねェだろ。本当言うと日銭が足りなくて正直困ってるから、有翼人とか捕まえて売りたいところだけどよ」

 「酷い!」

 やれやれと首を振り、ヴェオルは突き刺した剣を引き抜いて死体を蹴り飛ばした。

 「冗談だっての。どうせこいつらや俺の甲冑を売れば金になる。それでなんとかするさ」

 そう言ってヴェオルは死体の懐を漁り始めた。エアは剣をしまい、シウムの腕を引いて森の更に奥へと歩いて行った。ヴェオルはさっさと歩いていく二人を見送りながら、深いため息をついて、月明かりが照らす木々の間から星空を見上げた。

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