再会 <3>

 列車が止まり、プラットホームへ降りる。以前よりもかなり綺麗になり、発掘区域が広がったように見える現場を見下ろし、かつて降りた木組みの階段をもう一度降りた。監督であるサルバトーレ氏が不在であるため、今回も現場は無人だった。

 吹き抜ける風の音だけを聴きながら、露出し、崩れた石畳を歩く。

 中心部へとたどり着いた頃、ノヴァリスは足を止めてこちらを向き、例の古びた本を取り出す。

 「……魔導回路マナグラフ、というものは、今で言う熱機関・蒸気機関——機械のようなものだ。レムライト鉱石という言葉に反応して励起する鉱物で作られた回路を埋め込み、素粒子の伝導率が高く、高温でも気化しないマナと呼ばれる水を流し込んで魔法を作り出すもので……先の幻も、僕に呼応してこの本が作り出したものだから、ある意味機械の——魔導回路の作為に近いかもしれないね」

 ぱらりと本を開き、彼は指で優しくページをなぞる。ふわりと柔らかく淡い光が本から現出し、再び霧が現れて街をゆっくり包んでいく。

 「……これから君たちが見るものは幻であって、ただの記録だ。記録というものは、本を離れない限り君たちに手を出すことは無い。これだけは安心してくれ」

 彼がそう言うと、霧の中からだんだんと景色が浮かび上がってくる。それは今まで見ていた瓦礫だらけの大地ではなく、活気にあふれた街の光景だった。


 「な、何これ!何が起きてるの!?」

 サーシャは驚嘆とも恐怖とも、感動とも捉えらえる複雑な叫びをあげた。

 途端、後ろから何者かが息を切らせて走る音が聞こえてくる。振り向くと、魔術師のような風貌の小さな少年が、翼を持った白い少女の手を引っ張ってやってきた。

 「みんな、森へ——フィルミアへ逃げろ!!アレクスが裏切った!!ミサや他の仲間が戦ってる、ここももうすぐ戦場になっちまうッ!!」

 人々はどよめきを上げ、街の西方——今しがた叫んだ少年がやってきた方角を見る。僕達には霧に塗れて見えなかったが、人々はその先を見、ある人は恐怖にひきつった表情を見せ、ある人は怒りに満ちた表情を見せた。

 「ああ、なんてこと……!ここまで来てようやく安寧を勝ち取ったというのに……!」

 「ふざけやがって……!救世主ソティラ様が一体何したって言うんだよ……!!」

 恐怖した人は背後——森の方へ逃げ、怒りを覚えた人は得物を持って霧の奥へと向かう。

 「……さあ、俺達はこっちだ、シウム。——あんただけは絶対守り通す。そう、ミサと約束してるからな……」

 少年は、シウムと呼ばれた少女の両手を握り、背中を叩いて落ち着かせてやっていた。

 「……これは一体」

 振り返ってノヴァリスに問いただすと、背後に居た少年が突然僕の視界に現れ、ノヴァリスをすり抜けて、彼の背後にある石造りの祠へ入っていった。

 「——見た通り。英雄が裏切られた、まさにその時の風景だね。僕らも彼らを追いかけよう。降りる時は足元に気を付けて」

 ゆっくりと歩いて祠へと入るノヴァリスを追い、僕達も祠へと入った。少年が閉めた大扉に手をかけると、するりとすり抜けて祠へ入ることができた。

 祠の中は本棚がびっしりとあり、丸く、穴を塞げる木の板がずらされて置かれていた。そこから遺跡でも見た穴が空いており、今とは作りが違う木造りの螺旋階段が張られていた。

 螺旋階段を降りると、そこはまるで実験室のようで、木の机と書物とたくさんの本棚、更に何に使うかもわからない器具が置かれ、中央の台座を囲むように少年と少女と、黒い翼を背に生やした女性が立っていた。

 「……また、我々は人に裏切られたのか。女神の聖櫃への妄執は、これほどまで……」

 「あんたが頼りなんだ、ルシフィム。俺達はダメでも、せめてシウムはフィルミアの森は——俺達と旅をした、俺達が助けてきた人々は、救いたいんだ」

 ルシフィムと呼ばれた女性は唇を噛む。少年はそれを見て、女性の腰を掴んで縋る。

 「ミサと約束したんだッ!!みんなだってまだ戦ってる、ミサを信じて戦ってるんだッ!!なあ、一緒に旅しただろ!?それでも俺達のことは信用できないって言うのかよ!!あいつらと一緒にするなよッ!!」

 「——すまない。……そうだな。君たちは私達の使いとして天啓を受けたミサを信じ……彼女を助けてくれたんだからな。けれどこれから敷く魔術は、君たちの魂をこの地に繋ぎ止めることになる。器が無い魂はやがて変貌し、異形になってしまう。それでも——」

 「それでもいいって言ってんだ!!少なくとも俺が生きていれば——魂が繋がれて、器も保てていれば、仲間だって覚えていられるはずだ。俺が仲間もシウムも何とかしてみせる!!」

 ルシフィムは少年の言い分に深くため息をつくと、祠の奥の扉に手を当てる。すると、扉が光り出し、ゆっくりと開いた。扉の向こうは真っ白な空間が広がり、何も見えなかった。

 「——さあ、シウムはこの先へ。君はここに留まってくれ」

 「嫌……!一人なんて嫌!リグルも行くんでしょ!?」

 リグルと呼ばれた少年は首を振る。

 「俺はここにいる。ずっと、これから先もここにいる。話がしたかったら、扉越しに話せるよ」

 「そんなの嬉しくない……!顔が見えなかったら、誰も居ないのと同じじゃない——」

 言う前に、リグルはシウムを扉の先に突き飛ばした。華奢なシウムはされるがままに白い空間へ飛ばされる。

 「俺だって嫌だよ!!何でこんな目に遭わなきゃいけねえんだ!!何でミサやシウム、みんなとバラバラになって、何で街を守るために拘束されなきゃいけないんだ!!俺はみんなとただ笑って過ごしたかった、過ごせる世界に居たかった、それはシウムだって同じだろ……!だから……」

 無慈悲にも扉が閉まっていく。シウムはただそれを、涙目で見つめていた。彼女の顔が見えなくなる頃、リグルは固く拳を握りしめ、続きの言葉を紡いだ。

 「……待っていてくれ……俺達はまだ、戦わなきゃいけないみたいだからな……」

 固く閉められた扉を背にリグルは座り込む。ルシフィムは更に詠唱をし、部屋全体に陣が浮かび上がる。

 その紋様が扉まで描かれると、周囲の柱が1本ずつ青い光を宿し始めた。

 「——終わったよ。私と君と、散ってしまったミサの仲間達5人の魂で、この祠の扉とフィルミアの森を封じた」

 「……ミサは?」

 ルシフィムは問いに対して首を振る。

 「見つからなかった。まだ生きて戦っているのかもしれない。けれど封印としてはこれで十分だろう……無事だといいが」

 リグルは持っていた杖で背後の扉を叩いた。

 「——シウム、聞こえるか。聞こえるよな。みんな助かるってさ。けれど、仲間の何人かはやられちまったみたいだ。はは、こんな結末ってあんまりだよな……」

 赤い宝玉を先端に付けた杖を握りしめ、少年は涙を浮かべた目を上げて、ぎり、と歯を食いしばる。

 「……許さねえ……、絶対に……許さねえぞ……、アレクス……!!」

 そこで端で見ていたノヴァリスの持つ本がパラパラとめくれる音がし、パタンと閉じられた瞬間、少年も女性も姿を消し、元の遺跡の光景に戻った。


     * * *


 「——いかがだったかな」

 ノヴァリスは古びた本を抱えると、中心の台座の上に座り込んだ。僕はバッグからノートを取り出し、すかさず見えた光景を整理する。どうやらもらい泣きしたようで、横でサーシャはボロボロ泣いていた。

 「酷い……こんな、こんなのって……こんなことがあったなんて……酷いよ……」

 その様子を見てノヴァリスは軽く笑う。そんな彼に僕は質問を始めた。

 「それから彼らはどうなったんですか」

 「詩歌の通りだね。選定されし賢人は、やがて人へと牙を剥く……彼らの魂は異形へと変貌し、この地の人々を襲っていった。けれどそれはアレクスが生きていた時代の、更に百数年も先の話だ」

 僕はノヴァリスに起こしてもらった詩歌を貼った場所を開き、ペンで該当する部分に線を引いた。

 「彼らはその後、何年も何年もかけて、時の『巫女たる使徒』に倒された。この地の争いの歴史を、場所ごと切り取って異界として、霧に閉じ込めた。そうして彼女はフィルミアとアレクサンドラを救い、この地にアラミアーナと呼ばれる国を興した」

 「そんなことができたんですね」

 「——できた、ようだね」

 不確定的な言い方をするノヴァリスに疑問を抱き、僕はノートから彼へ目を向けた。彼は本の表紙を見ながら続ける。

 「この本は元々彼女の持ち物だ。だから、彼女がそう記していた、としか答えられない。記録を再現しても、その様子だけ映せなくてね。だから僕は『異界』という捉え方をしている……ってところだ」


 少し間を置いて、ノヴァリスは本を僕に差し出した。

 「——そうだ。君さえよければ、この本、貰ってくれるかな」

 「良いんですか?大事なものじゃないんですか」

 「ああ。僕にとっては大事なもの。けれど、ノーヴァルシアが終末で滅び、もはや記録を残す必要はなくなった。だから僕は罪を清算し終えているし、これからは君のような『伝える者』に託すのも悪くないかな、って」

 僕は困惑しながら首を振る。

 「いやいや。ノヴァリスさんが伝える者じゃないんですか?せめてそれくらい頑張りましょうよ」

 「あはは、手厳しいな。けれど僕は詩人であって、学者ではない。歌っていうのはどうしても誇張してしまうところもあるからね。ここに歴史書が完成してあるのだから、君みたいに淡々と伝えられる人が、淡々と伝えていってくれれば、僕はそれでいいかな、と思っているんだよ」

 彼はすっくと立ちあがると、僕に本を押し付けて、2、3歩距離を取る。

 「——実は、フィルミアの森には何も残ってないんだ。ただただ森があって、終末で破壊された瓦礫が転がっている。フィルミアも終末の余波で滅んでしまっているんだよね」

 「えっ、それじゃああなたはどこから来たんですか。カタリナ国で取り決めがされている聖地フィルミアは存在しなかったってことですか?」

 ノヴァリスは笑いながら首を振った。

 「それでも聖域だから入っちゃダメっていう取り決めはあるんだ。僕がそうカタリナ国に伝えたから。まあ、カタリナ国ごと騙していたってことになるんだけどさ」

 「いや、それまずくないですか……」

 更にノヴァリスは後退し、大扉に背を預ける。そして、僕たちに向けてにやりと笑みを浮かべてみせた。

 「……まずくはないんだな。なぜかって、からね。——さて、そろそろ君たちに、今まで見てもらった歴史が本当である証拠を少しだけ見せようか」

 彼はそう言って左手を大扉にかけると、先ほど幻で見たような紋様が浮かび上がり、扉全体に広がっていく。ゆっくりと扉が開き、扉の向こうに見える真っ白な世界から、強い風が吹きつけた。

 「きゃあっ!!」

 彼が被っていた帽子がこちらへと飛んでくる。僕はそれを掴み、腕の中で抑え、彼の方を見た。サーシャは強風に耐えきれず、ドレスを抑えてへたり込んでいた。

 「いいか、エドワード。その本が、そして、君の持つノートが、僕が居た証だ。たとえ人の記憶から消えても、その名もその姿も、記録に残れば後世に残る。僕のことは忘れても、これだけは忘れるな」

 「言ってる意味が分かりません!どういうことですか!?」

 「その意味を知りたければ、フィルミアの森へ行け。そこに君が求めた答えがある。なに、今まで通りドラグナシアの伝承が知りたいと言えば、応対してくれるはずさ」

 1歩、2歩と彼は白い世界へ後退していく。僕は閉まっていく扉に手を伸ばしたが、彼がこちらへ戻る気配は無かった。

 「先生に何と伝えれば!」

 「歴史に関する本が出土した、巻末にフィルミアへ行けと書かれていた、とでも伝えればいいんじゃないか。その辺りは君に任せるよ」

 白い空間へ消えていく赤い瞳はこちらを見つめ、にこりと微笑んだ。

 「——僕らはいつでも、君達を見守っているよ」

 彼がそう告げると、無慈悲にも大扉が閉まった。僕は態勢を立て直して大扉へ向かい、必死に扉を叩く。

 「ノヴァリスさん——!」

 彼の名を呼んだその時、僕の中でズドンという衝撃が走った。それに耐えられず頭を押さえてうずくまる。


 次の瞬間には、恐ろしいことに、僕の中から彼に関する記憶が消えていた。

 「——……?」

 今叫んだ言葉の意味が分からず、思わず手元の帽子と本を見た。当時の僕は、夢でも見たのかと思った。

 僕はそれらをバッグにしまい、ノートに記述忘れが無いかを確認した。そこにあったのは、ノヴァリスという名と、僕ではない何者かの筆跡で綴られた詩歌だった。

 僕とサーシャはそれを見て、記憶を断片的に取り戻した。

 『フィルミアの森へ行け。君達が求める答えはそこにある』

 古びた本の最後の頁には、姿も思い出せない人物が綴った古代文字で、そう綴られていた。

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