約束 <1>

 誰かが欠けた、誰も居ない遺跡に二人で立つ。

 遺跡を吹き抜ける風は穏やかで優しく、けれどどこか寂しさを感じさせる。

 僕は遺跡の階段を上り、駅のプラットホームに立つと、砂丘の先に見える広大な森を見据えた。フィルミアの森は夏の陽光を浴びて鮮やかに、それでいて深く緑色に輝いていた。

 「どうしよう?ここからだと結構遠いよね?」

 「あの森は国の取り決めでそもそも立ち入ることができないし……、頼れる先生も今はザリヴ本島に行ってて居ないからなあ……」

 今の僕達にできることは何もなく、名残惜しくも列車に乗った。


 列車の中で、古びた本を開く。そこには現代とは違う古代文字で、ドラグナシア大陸の歴史が記述されていた。、ノートに古代文字の対応表が作成されていたため、ゆっくりではあるが解読することができた。

 本の著者はそれぞれ、記述前に必ず記名をしているようで、この本だけで3人の著者が居た。

 1人目は『ルシフィム』とあった。遺跡の幻で見た、黒翼を背に持つあの女性のことだろうと考えた。彼女は大陸の始まりから英雄アレクスの裏切りまでを記述しており、彼女自身の心情などの記述も無く淡々と情景と叙事だけが綴られた記録は、詩歌や物語とは違ってとても分かりやすく鮮明だった。また、彼女の記録とノートに記していた見聞と照らし合わせ、彼女こそが風と英知を司る悪魔であり、最初に選定された風の神であろう、と考察できた。

 2人目は『ティス・リィンカーネイト』とあった。フルネームでの記名があり、日記のように何ページも記述がされている。ところどころ黒で塗りつぶされた記述もあり、相当焦っていたのか、あるいは字を書くこと、文を組み立てることが苦手であったかという印象を覚えた。ティスという人物はルシフィムの記録の続きから、聖櫃戦争が激化した時期の途中までの記述がされていた。日記、という形式での記述から、恐らく彼女は聖櫃戦争の最中に命を落としたのではないか、と僕は考察した。

 3人目は『ノヴァリス』とあった。この人物の記録は詩歌のように事物が記録されており、歴史を読み解くために今後何年も時間を費やすことになってしまった。この人物はティスの続きである聖櫃戦争の結末から、その後ノーヴァルシア文明の終焉までを歌っており、度々挿絵が入っていたり、ノヴァリス自身の心情やメモのようなものも記述されていたりと滅茶苦茶だった。また、何故か聖櫃戦争の少し前の話に脚色を加えたような逸話も記述されていたため、これもまた僕の調査を遅らせる一因となった。

 ノートの記述とノヴァリスの記録から、恐らく僕はこのノヴァリスという人物に会っていて、聞き込みをしていたのだろうと考察した。消えた記憶が少しだけ修復されたような、そんな気がした。


 僕は30時間の復路を辿り、アレクサンドラ港の家に帰ってきた。居住設備を整えながらたくさんの原稿用紙を買い、まずは古びた本の現代語訳から着手した。古代文字の変換作業は現代文字の勉強になるため、サーシャには文字を教えながらの作業になった。

 サーシャは元々勉学に興味を持っていたため物覚えが非常によく、彼女に対して教えることは苦ではなかった。幸いサルバトーレ氏の屋敷に所蔵されている書籍を使ってもいいとのことだったため、氏が帰ってくるまでの1週間は言葉と表現の書き方の勉強をさせた。


     * * *


 氏が帰ってきて、僕とサーシャは遺跡で見たことを覚えている限り話した。遺跡で手に入れていた古びた本と黒い帽子を渡すと、氏は目を丸くした。

 「驚いたMarvelous……そんなことがあったとは。ふむ、それだけでなく遺跡で消えてしまって君たちの記憶にも無いノヴァリスという人物、というのも気になるね……」

 パラパラと書籍をめくる氏に、最後のページを見るように勧める。

 「フィルミアの森……あの聖域にまで秘密があるというのか……。果たしてこの本を証拠に許可が取れるか……」

 「信じてくれるんですか?」

 僕はサルバトーレ氏に質問すると、氏はにこやかに微笑んで僕の肩を叩いた。

 「うん、もちろんだとも。大手柄だよ、ハイベリー君。ただフィルミアの森へ立ち入るには国の許可が要るから、私の方で父に声をかけてみよう。少し休んでからカタリナ国へ行くから、またしばらく留守を頼めるかな」

 僕は少しだけ考え、サーシャの方を見る。

 「……いや、良かったらでいいんですけど、僕らも見聞のために同行してもいいですか?例の本を預けたままだと何もできないので……。この調子で調査が滞っても仕方がありませんし、それに、彼女にとっても大都市へ出るのはいい経験になるかと」

 氏はそれを聞くと、にこやかに頷き快諾してくれた。

 「それもそうだね。折角だから皆で行こうじゃないか!」

 「やったー!」

 跳ねて喜ぶサーシャを見て、そうそう、と氏は続ける。

 「サーシャ君は前の職場を辞めて、ハイベリー君と共にここに勤めるということで良かったよね?そういう風に話をしてきたから、憂うことなく思う存分こちらに滞在してくれたまえ!」

 「わ、ありがとうございます!勉強も一緒に頑張るね!」


 僕達はサルバトーレ氏の私船に乗り、カタリナ国南の港町であるポルタの船着き場へと向かった。夕刻、桟橋から改札を通ると、小さな港町とはいえ、フロニカのような近代的な、それでも下町らしさを感じさせるような橙に照らされる煉瓦造の街並みが広がっていた。

 船着き場の近くに駅があり、僕達はそれに乗って北の首都へ向かう予定だが、氏がメフシィ家に連絡するとのことで最寄りのホテルへと向かった。


 僕とサーシャはその間小さな商店街を見て回った。小奇麗な、下町らしい商店街で、フロニカでも見られるような店並みが見受けられた。

 「ねえねえ!お洋服とか見ていきましょう!」

 僕はサーシャの腕に引っ張られ、商店街の洋服売り場へと向かった。最初の時期よりは二人で行動することに慣れてはきたが、こういった機会はなかなか無いために少しだけ緊張していた。

 「エドってば、一週間ずっと一緒にいるのに、あれから仕事仕事で、買い物もお散歩も付き合ってくれないんだから。今日くらい付き合ってよね!」

 「悪かったってば」

 クスクスと笑いながら、サーシャは早速可愛らしいワンピースを手に取った。

 ザリヴ島の衣装を身に纏ったサーシャのことであったため、新しい土地に馴染んだ服を着たいのだろう。僕にはそういったセンスは無かったので、当時は適当に相槌していたことを思い出す。ただ、彼女の名誉のために言えば、彼女は本当にどの服を着ても可愛く着こなせていた。

 ついでにということで、彼女は僕の服も見繕ってくれた。フロニカから持ってきた服では彼女曰く『ダサい』ようだ。一体どこでそんな言葉を覚えたのか問うと、あの大衆酒場での接客中に覚えたのだとか。恥ずかしながら、初めてサーシャから言葉を教わった瞬間だった。

 帰るころには大量の紙袋を僕が持つことになっていた。サーシャは新しい衣装——南国風とは打って変わった可愛らしい近代的な衣装に着替えて、僕の前をスキップしていた。


 ホテルに戻ると、氏がびっくりしながら出迎えてくれた。氏は僕とサーシャとは別の部屋に泊まるようで、僕達は案内された部屋へ向かい、大荷物を下ろして一息ついた。

 サーシャは相変わらず新しい装いを身に着けて、嬉しそうに小躍りし、僕の隣に座った。彼女はにへら、と笑って僕の手を取る。

 「はー、エドに会えてよかった」

 「何だよ急に」

 「だって、エドに会ってなかったら、私ずっと島の中で、勉強もできないでアクセサリー作って、退屈に暮らしてたんだよ。一緒に島の外に出て暮らすこともなかったし、一緒にこうして旅することもなかった。そう考えると嫌じゃない?」

 僕は少し詰まりながら返事する。

 「——僕は何もしてない。が繋いでくれたから、今があるんだろ」

 「……うん」

 サーシャは少しだけ寂しそうな表情をし、視線を落とす。少しだけ間を置いて、腕を組んでうーん、と首を捻った。

 「あの遺跡で、私たちの思い出からも消えちゃった人。どこ行っちゃったんだろうね。——っていうか!そんなことはどうでもいいの!」

 「どうでもは良くないだろ」

 「どうでも良くないけど……どうでもいい!」

 サーシャは僕の前に立ち、肩に手を置いた。何か言いたげに口をもぐもぐ動かすが、どうやら言葉が出てきていない様子だった。

 だんだん顔が赤くなっていくサーシャに首を傾げ、僕は言葉を紡ぐ。

 「……シャワー浴びてきていいかな」

 「え、うん」

 僕は肩からサーシャの両腕をどかし、シャワーを浴びることにした。戻ってきた後、サーシャは夕飯まで一切口を利かなかった。どうやら別に汗で臭ったとか、そういうわけではなかったらしい。


 翌朝早朝、僕達はポルタの街を発ち、列車で1時間ほど揺られて首都マジュリートへ向かった。

 マジュリートは内陸の大都市であるが、西部に面する全ての港に線路が繋がっており、国内外の人々が出入りする産業や交易の中心となっていた。また、世界随一の美しい水の都とも呼ばれており、街に厳しく敷いている美化条例もあって、清涼な水のカーテンや綺麗な水路が実現できている有名な観光地ともされている。

 なかなか地元では見ることのできない美しい街並みに、僕もサーシャも感嘆を漏らした。

 迷路のような巨大な駅を抜け、車の通る交差点を渡り、サルバトーレ氏に続いて歩く。ショーウィンドウにはポルタの街では見なかったより高価な洋服が飾られており、サーシャはずっと目を輝かせていた。


 しばらく歩き、巨大な大通りに並んだ一つの大きなビルの前で立ち止まる。一階は大扉が開け放されており、奥にはカウンターがあり、受付のようになっていた。

 受付の女性はこちらを見るなり、カウンターを出てこちらへ小走りで駆け寄った。

 「ああ、お待ちしていました、サルバトーレさん。社長——お父様がお待ちですよ」

 「ありがとう。伝えた通り、この二人も通してもらえるね?」

 「どうぞどうぞ。許可は下りておりますので」

 女性はそう言うと、カウンター横の扉の鍵を開けた。案内されて階段を上っていき、僕達は応接室へ案内された。

 しばらく座って待つと、部屋に老齢の優しそうな男性が入ってきた。サルバトーレはそれを見ると、立ち上がって男性の手を取った。

 「パパ!ご無沙汰してるよ」

 「はっはっは。元気そうで何よりだよ。それに進捗もしっかり出しているようで、吉報がたくさん聞けて嬉しいぞ」

 老齢の男性はこちらを見て、帽子を取ってお辞儀する。僕は思わず立ち上がり、お辞儀を返した。

 「君がエドワード・ハイベリー君だね、君の活躍はサルバトーレから聞いているよ。私はクグロフ・メフシィ。今後とも息子をよろしく」

 名刺を差し出され、僕は座るように促された。僕は緊張しながらもソファに腰かけ、メフシィ親子の対話を聞き届けることにした。

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