第13話 グッドバイ・ハロー・俺もだ


 『わからない』


 自分の事がわからない、と男は言ったのだ。

 そんな事は、信じられない。あり得ない……とは言えない。


 だって、闇堕ち聖女の血を引いた男なんか信じられない。

 あり得ない。

 悪魔と一緒に八百十回死んで蘇ってようやくあのループ地獄から抜け出せたなんて、あり得ない。


 でも真実だ。


 この世に、あり得ないなんて事はないって俺は知っている。

 

「……そうですか」


 俺が否定もしない事にも、男は無表情だ。

 わからないから、無表情なのか?

 別に困っている雰囲気も感じないし……。

 

「コーヒーって飲んでも、匂いとかでバレません?」


「……まぁこの時間だ。来る人間もいないだろう」


 俺はシングルバーナーを出して、水を入れたケトルを乗せた。

 まだ朝の八時かぁ……。

 秋の風。

 さっきも思ったけど、紅葉も山奥だから綺麗に進んでる。

 こんな状況じゃなかったら、綺麗な自然のなかで良い気分なのにな。


 いつものインスタントコーヒーと、自分のマグカップも取り出す。


「じゃあ、君は何者なんだ? 自分で自分のことを、わかっているのか?」


 俺はコンパクトな折りたたみ椅子を、自分と男の分も出した。

 たまに友達や教授ともこうやって外でコーヒー飲んだりするから、客用もいつも積んである。


 男も黙って、俺の斜め横に座った。

 

「そりゃ、わかってますよ。悪魔とか妖怪とか、魔術の研究をしている大学生です」


「こういうものをか……」


 男はさっき使って、残った小石を手のひらで見つめた。


「もしかして、それもわからずに使ってるんですか?」


「……何故知っているのかはわからない。でも利用方法はわかる。コーヒーを見た時に、どういう名前か忘れていたとしても、これが泥水ではなく苦いが美味い飲み物だと知っているような感覚だ……」


 わかりやすい例えだ。

 つまりは記憶喪失なのか?


「じゃあ……自分の名前も……?」


「あぁ」


 そうか……じゃあ警察からは逃げるよな。

 う~ん、無茶苦茶な怪しさだ。

 ボロボロのトレンチコートに顔の傷、そういえば手も古傷が沢山だ。

 そして高等な結界術……。

 どっかの組織から抜けようとした人だとか?


 あのコートの下にはナイフや杭、銀の弾の銃なんか隠し持ってたりして……。

 

 でも俺を傷つけるような雰囲気はない気がする、のは慢心だろうかな。

 油断してはいけないんだろうか。

 ウィンキサンダなんか、ちょっと良い奴か? なんて思った瞬間には罵倒され頭殴られて……の繰り返しだったもんな。

 

「まぁ、いっか~」


「いっか……?」


「旅は道連れ世は情け……ですよね。わからん事を考えるよりはわかる事を考えましょ」


「わかる事、とは?」


「今は、コッペパン食べます? って事ですかね」


「……保存食ならあるのだが……」


 男は何か干した謎肉のようなものが入ったヨレヨレのビニール袋を見せてきた。

 なにそれ……。


「いや……今晩に備えて、うまいコッペパン一緒に食べましょうよ」


 こっちのコッペパンも、あのお婆さんの商店で買ったものだけどね。


「……今晩? 君は帰るんじゃないのか……?」


 そうだよな。俺もこの人には、なんにも話してないんだよな。

 お互い何も知らないのに、なんでこんな一緒にいるんだろ。


「……俺は帰りませんよ。俺はこの村に、悪魔退治に来たんです」


 ザーッと風が吹いて、紅葉が一気に揺られ舞い落ちる。

 男の帽子と髪、俺の髪も風になびく。

 赤に黄色に……葉が舞い散る。


「……そうか……俺もだ」


 聞き漏らしてしまうような、あまりに自然な応え方だった。

 

 

 

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