第9話 グッドバイ・ハロー・謎の男


 窓枠に座って煙草を吸う男……。


 男の姿は異様に感じた。

 黒くて長いトレンチコートの裾はボロボロ。

 黒いズボンに黒いシャツは胸元がだらしなく開いている。

 黒い帽子をかぶって、髪の毛は白髪混じりの長い髪を適当に結んでいる。

 まるでどこかの暗殺集団……?

 そんな男が振り返って、ギョロリと右目で俺を見た。


「あっすっすみません……」


 慌てて頭を下げて、すぐドアの前を離れた。

 中を覗いてしまった事を詫びたけど、ドア全開にして煙草の臭いがしたら見ちゃうよなぁ……。

 あんな全開にして、なにやってたんだ?

 と思ったが自分の部屋を開けた途端によくわかった。


「くっ……さぁっ!」


 うわぁ! 締め切ったホコリとカビと古い空気!

 客が泊まるとわかっていながら、空気の入れ替えもしていないのか!

 俺は古くなりすぎて、ぶにぶにする感触の畳を歩いて窓を開ける。

 隣の男の部屋の間取りと同じだ。

 

 玄関から窓まで一直線。

 玄関、六畳間、押し入れ、窓。

 窓を開けたらやっぱり、隣から煙草の臭い。

 俺も玄関も開けとくか……。


「はぁ」


 冷蔵庫はやっぱ無いかぁ。

 とりあえず俺は布団を出してみた。

 やっぱ湿ってる感じ。

 お婆さんのダニの話を思い出す。うぇぇ。

 あとでマイシュラフを持ってきて、布団の上に敷いて寝よ。

 教授は来なくて良かったな。

 こんな汚い部屋で寝てもらうのは、予約した俺がソワソワしちゃうよ。


「さーてと……」


 時計を見たらまだ五時。

 ある程度は換気したいし、コーヒーでも飲むかな〜。

 俺は廊下に出ると、また古めかしい台所……流し? を発見。


 きっとアパートだった時も共同で使われてたんだろう。


 ガス台は今は撤去されて、電子レンジと湯沸かしポットのみ。

 ポットの中身を確認……うん、虫やカビは大丈夫だ。

 一応水で何度か濯ぐ。


 それからお湯をボコボコ沸かしていると、あの男が部屋から出てきた。


「あっ」


 見ると、男もインスタントコーヒーの瓶とステンレスのマグカップを持っている。

 俺が沸かしているのを見て、背を向けようとしたが……。


「あの! お湯、沸きますよ。使ってください」


 共同だし、俺は慌てて引き止めた。

 うるせぇ! とか怒鳴られるかな……と思ったら、案外男はそのまま台所に向かってくる。


「じゃあ頂こう」


 なんだか、変に懐かしさが込み上げる声だな、と思った。

 こんな人は知り合いにはいないけど。

 

「あ、同じコーヒーですね」


「あぁ……安物だ」


「はは、でも俺いつもこれなんですよね」


 安いプライベートブランドのインスタントコーヒー。

 一人で悪魔退治でキャンプしたりする時は、必ずこれ。


 職員室のインスタントコーヒーが、これだったんだよな。

 ウィンキサンダと飲んだコーヒー。

 少ないウィンキサンダとの良い思い出。


「あっ」


 ウィンキサンダのこと思い出してたら、男のカップにも俺のコーヒーの粉をザッと入れてしまった。


「す、すみません」


「俺は構わないが……」


「あの嫌じゃなければ、このまま飲んで……」


「あぁ」


 表情ひとつ変えない、トーンの変わらない声。

 あれ……髪に隠れてるけどこの人、顔の左半分に大きな傷がある。

 あまり見るのも失礼だろうと、俺は目を逸らして湯を二つのコップに注ぐ。


「ご旅行ですか?」


 旅は道連れってか? つい聞いてしまう。


「いや……少しな」


 男は煙草に火を点ける。

 こんな場所で禁煙だの、なんだのいうのも無粋な感じがしたので俺は何も言わない。


 ん……?

 この煙草、何か感じる。


「わかるのか……?」


「え? ……あの……はい」


「これは普通の煙草と少し違う」


 奇妙な事を言い始める。

 でも、この煙草に含まれる何か俺も感じる……。


「避ける煙と寄せ付ける煙……二つある」


「避ける煙と寄せ付ける煙……? 一体、何の話を……」


 男は長い前髪から、右目を覗かせて俺に向ける。

 瞬間に、また何か感じる。

 何か、何かって、なんだっていうんだ?

 でもさっきから何か感じてしまう。


「いや、こっちの話だ」


 男はそのまま静かにコーヒーを啜る。

 なんだろう、探偵? まさか刑事?

 こんな男が一人で観光なんて、お婆さんじゃないけど変に感じてしまう。


「ここ、地元ですか~? あははは」


 探るために馬鹿の振りをする、俺ってちょっと卑怯なんだよな。


「地元?」


「あー故郷っていうか、里帰りっていうか~そういうのかなって」


「故郷か……」


 男は、ふーっと長い息を吐く。

 俺は直感的に、これは寄せ付ける煙だ、とわかった。


「そんなものは、わからない」


 ただ無表情に男は言う。

 まるで他人事のように。

 変な誤魔化し方をされたので、俺はもう何も言えなかった。

 カビくさい空気とコーヒーと煙草の臭いが、ただ混じる。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る