特別な儀式

 その夜、四人の前に並んだ夕餉の膳は、艶やかな白飯と、山芋とオクラの梅肉和え、かぼちゃの煮付け、川魚と大葉の揚げ物、茄子の煮浸し、茗荷みょうがの吸い物など、旬の新鮮な食材をふんだんに使った料理の数々だった。香り高く滋味深い一皿一皿に、体の芯が震える。

「旭様、お酒は召し上がられますか」

 旭の横へみつきがすいと座り、素朴な色合いの大徳利を膝元に引き寄せた。

「え、ええ、あまり強くはないですけど」

「ならば、是非。この梅林自慢の梅酒です」

 みつきが、しなやかな仕草で黄金色のとろみある酒を旭の猪口に注ぐ。

 その滑らかに甘い口当たりは、瑞穂の祭壇にあるものと同じ、心身がゆるりと溶けるような至福の飲み心地だ。

「はあ、美味しいですね……」

「でしょう?」

 みつきの屈託のない微笑みは、なんだかほっと心が安らぐ。黒く潤う美しい瞳と艶やかな長い黒髪。それらは芳穂から受け継いだものなのだろう。

「——あの……あなたはなぜ、まだ名乗らないうちから俺の名前を知ってたんですか?」

 気持ちがほぐれたついでに、疑問に思っていたことを尋ねる。

「不思議なんですけどね」

 みつきはクスッと小さな笑みを浮かべた。

「確か、梅雨入りの頃でしょうか。私と母が、ある夜同じ夢を見たのです。と言っても、夢に誰が現れたのか、そういう記憶は全て消えてしまっているのですけど……瑞穂様が、人の世よりあるお方をお迎えになられた、と。雨宮旭様と仰る十七歳の若様だと、そう告げられました。

 目覚めた頭の中に、あなた様のお名前がはっきりと残っていて。起きてきた母が全く同じことを言ったときには、更に驚きました」

「……」


遥々はるばる人の世から招かれるとは、きっと旭様はそれほどに強く瑞穂様に望まれたお方なのだろうと……母と二人、自然にそう思い至った次第にございます。

 こうしてお会いしてみて、納得いたしました。やはり望まれるに相応しいお方でございますな」

 思わずぼっと赤面して俯く旭の様子に、みつきは柔らかに微笑んだ。

「よろしゅうございました、本当に。

 瑞穂様は、愛おしいお方に、やっとお手が届いたのですね。

 瑞穂様が、心より慕われるお方とこうして寄り添うておられること、ほんに嬉しゅう存じます。

 慕わしい方を探し求めて苦しまれた芳穂様のお姿を、母より何度となく伝え聞いておりますゆえ——尚更に」

 みつきが、微かに睫毛を伏せる。


 旭は猪口を膳に置き、どぎまぎと戸惑いつつ答えた。

「……あ、ありがとうございます。そんな風に思っていただけるなんて、なんだか幸せすぎる気がします……

 さっきの紫乃さんのお話を聞いていて……やっぱり人間って、ほんとにこの世界に住んでていいのかな、って……神様たちの心を掻き乱す、何かわざわいのようなものでしかないんじゃないかって……何だか、ちょっと怖くて」

「禍?」

 みつきの不思議そうな表情に、旭は敢えて明るく笑って答えた。

「いえ。こういうつまらないことをぐずぐず考える癖、直したいんですけどね」







 夕餉が済み、四人で遅くまで語らった亥の刻(午後十時)。みつきが、特別な来客の際にのみ使うという離れの間へ瑞穂と旭を案内した。

 みつきの手に提げられた行燈の細やかな和紙が、磨き込まれた渡り廊下をほんのりと橙色に照らす。夏の夜風がさわさわと梅林の葉を揺らし、旭の頬を心地よく撫でてゆく。


「こちらにございます」

 美しい意匠の施された襖をすいと開け、みつきは二人を室内へ案内した。心地よい畳の匂いに、思わず深く息を吸い込んだ。

 部屋に設えられた行燈の柔らかな光に照らされる障子や鴨居、床の間。全てが心落ち着く佇まいだ。

 みつきは、襖で隔てられた奥の一室をすいと示して微笑んだ。

寝所しんじょには床をお二つ敷かせていただいております。寝所の障子を開けていただきますと、梅林の涼やかな風が通り抜け、大変心地ようございます。明け方の鶯たちの囀りもまた格別にございます。是非お楽しみくださいませ。

 朝餉を御所望の際は、襖の外へお声かけいただけましたら、お膳をお運びいたします。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」

 二人へ向け丁寧に額を伏せると、みつきはつと立ち上がって廊下へ進み、離れの襖をひたと閉じて戻っていった。



「……いろいろなことがあったね、今日」

「——そうだな」

 座敷の茵に座り、思いがうまくまとめ切れないまま小さく呟いた旭に、瑞穂も複雑な表情を浮かべて短く答える。


「……あのさ、瑞穂……」

「今は、悲しきことばかりをあれこれ思い巡らすのは止そう、旭」

 旭の言葉を遮るように、瑞穂の眼差しが真っ直ぐに旭を捉えた。


「……」

「今日の、紫乃殿の話を聞いて——

 城を出てからの芳穂の姿を初めて知って……父の苦しみが、胸を破るほどに痛かった。まるで自分のことのように、苦しかった。

 そんな思いで、城での日々を生きておったとは——」

 何かに追い詰められるように、瑞穂は旭の前にぐっと膝を寄せると、旭の手を強く握りしめた。


「——み、瑞穂? どうしたの急に……」

「ずっと考えていながら、これまで言えずにいた。そなたを少しでも不安がらせたり、怖がらせたりはしたくなかった。

 だが、もはや避けては通れぬ。

 私は、そなたを失っては生きられぬ。今日、はっきりと思い知った」


 旭の手を固く握り、瑞穂は低く告げた。

「旭。

 そなたに、齢分よわいわけを申し入れる」


「……よわい……何?」

「これから話すことを、よく聞いてほしい」

 瑞穂は、どこか苦しげに呻く。


「神の世には、『齢分』という特別な儀式がある。

 人や、儚き草花の精など、神と寿命の差の大きいものとが夫婦めおととなる場合、寿命の長いものから短いものへと命を分けることができる。丁度半分ずつになるようにな。

 この儀式を、齢分という」

「齢分……」

「そうだ」


 瑞穂は、一層深く眉間を歪めた。


「そして——齢分を交わした相手とは、世継ぎを儲けねばならぬ、という定めがある」


「…………」


「寿命を分けるほどの絆を結んだ夫婦ならば、それは当然のことやもしれぬ。

 神にとって、自らの任を引き継ぐ子孫を儲けることは逃れられぬ仕事だ。それ故、齢分をした二人に子を儲けられない事情があれば、いずれかの体内に子を宿す力が授けられる。

 どちらが新たな命を身の内に宿すかは、儀式の夜の二人の交わり方により決まる。

 齢分とは、そういう特別な行為なのだ」


 瑞穂の絞り出すような言葉を聞きながら、旭は瑞穂の波立つ瞳を呆然と見つめる。


 寿命を、丁度二つに分ける。

 それは、つまり夫婦のどちらも孤独を味わうことなく最後の日まで共に歩む、この上ない幸福を手にできるということだ。

 そんな幸福と、神の子を成すという重責が分離できないというのは、きっとごく自然なことなのだろう。


「このことを伝えた上で、もう一度申す。

 そなたに、齢分を申し入れる」


 嵐のようにざわめく瞳が、旭を包んだ。



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