南国の花
熱帯に降り頻る雨のようだった。
傘を握り締め、濡れないようにと必死に身を守っていた下界での自分自身が滑稽にすら思えるほどの、全てを呑み込む雨。
躊躇や不安を全て遠く置き去りにした、強烈な欲求。自分の奥深くに隠していたものが、見る間に剥き出しになる。
南国の豪雨の中に純白の大輪の花が咲き乱れ、噎せ返る香りを放つ。
自分は密林の獣になったのか、咲き乱れる白い花の一輪となったのか。それすらも混乱する、幻覚にも似た感覚。
自分だけに深く執着する嵐に呼吸を奪われ、蕾をこじ開けられ、果実を貪られる苦痛。狂うほどに甘いその痛みに、自分のものとは思えない声が唇から零れ続ける。
互いの名を呼び、激しく揺れる水の瞳と視線を絡ませ、荒々しく波立つその奥に幾度となく溺れてゆく。
熱を含んだ唇に肌を溶かされ、滴る蜜を注がれ、身体の奥から止めどなく湧き出る蜜を与える快感。
花の香りが一晩中、薄まっては再び濃くなって——
嵐が過ぎ、いつしか眠っていたらしい。
雲間から差す陽射しに呼び覚まされるように、意識が現実へと浮上してくる。
肌触りの良い敷布と、身体を覆う柔らかな掛布の感触。そして、自分の肩に感じる温かな重み。
ゆるゆると瞼を開けた旭は、目に映ったものに息が止まりかけた。
自分を包むように抱えた雨神が、すぐそばに穏やかな寝顔を寄せていた。
静かに閉じられた彫りの深い瞼。
明け方の光に透けるような、滑らかな頬。そこに乱れかかる銀の髪。
深い寝息が、目の前の広い胸を緩やかに上下させる。
常に分厚く纏う羽織袴を脱ぎ捨てた、光を放つかのように艶やかな肌。しなやかに自分の肩に回った腕。逞しい肩と、伸びやかな首筋。
紛れもなく神のものであるその美しさに、旭は呼吸すら忘れて恍惚と見入る。
この淡い染井吉野のような唇が、昨夜は——
思わず頬がぶわりと熱を持つ。
神に自らを全て明け渡した自分の勇気と無謀に、脳がぐるぐると眩暈を起こす。
けれど——
昨夜味わったものは、まさにこの世のものではない快楽だった。
強烈な痛みと分かち難く混じり合う、溶けるほどの快感。
深い密林の奥で固い蕾を開かれ、花弁を散らされ、果実の一滴すら逃さぬかのように喰い尽くされる、突き抜けるほどの高揚。
もう無理だと何度懇願しても緩まることのなかった、執拗な嵐。
もぞもぞと掛布の奥の自分の肌を確認すると、全身に無数の紅い痕が刻まれている。
最初につけられた鎖骨の痕以外は、そのひとつひとつのことは全く覚えていない。
昨夜、自分がどんな痴態を晒したかなどは知る由もなく……絶対に思い出してはいけない気もする。
何にせよ、あの凄まじい嵐の中で、自分を保てるはずなどないのだ。
「……ん……」
旭の身体の動きに刺激されてか、瑞穂の瞼が微かに動き、小さな声が漏れる。
自分をこの上なく深く愛する神が、初めて交わった翌朝に自分の目の前で瞳を開けようとしている。
この事実に、旭の心臓は壊れるかというほどに激しい拍動を始めた。羞恥なのか照れなのか、なんなのかわからない動揺に見舞われ、瑞穂の腕の中であわあわと取り乱す。
「……」
静かに瞼を開けた瑞穂は、頬を赤らめて狼狽する旭が瞳に映ると、その腕に力を込めてぐっと胸の中へ抱き寄せた。
「……お、おはよう、瑞穂」
とりあえず、朝の挨拶をする以外にない。
瑞穂は旭の首筋に鼻先を埋めたまま、くぐもった声で答える。
「まだ早朝だ」
「……」
「もう少し、こうしていたい。
——良いであろう?」
すぐ耳元で、微かに甘えるような声で囁かれ、ますます返す言葉が出てこない。
昨夜の荒々しい神と同一の存在とは思えないその違いっぷりに、思わず小さな笑みが漏れる。
頬に触れる、艶やかな銀の髪。
こうしていると、美しい少女に何かおねだりでもされている錯覚すら起こりそうだ。擦り寄せられた頭を優しく撫でかけ、慌てて手を引っ込めた。
次の言葉を発しないまま、瑞穂は再び安らかな寝息を立て始めた。
肌の触れ合う熱が、昨夜の甘い花の香りを再び漂わせるようで——旭は、そっと両腕を瑞穂の背に回して目を閉じた。
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