EPILOGUE

EPILOGUE 1


「――じゃあ、ハウンドには聞こえてたんだ」


「うん。微かに、だけど」


 乗り込んだ真っ黒いヘリ。

 操縦席とわたし達の座っている後部二席との間は完全に仕切られ、誰がどこへ向かって操縦しているのかも全く分からない中で。それでももう、生き延びたという安心感は、これ以上神経を張り詰めさせるのを良しとしなかった。


 ハウンドの右肩に体を預けながら、並んで座る。

 聞こえていたっていうのは、最後のあの女性が『暗闇』に追われてゆっくりと近づいてきていた音が、だ。例によってわたしは全く気付けなかったけど、ハウンドは長峰達との戦闘中にもその僅かな移動音を聞き分け、攻撃に備えていたらしい。だから最初の一発を躱す事ができたという訳だ。

 ……自惚れでなければ。昨日、加賀見さんに気付けなかった事を気にかけて、一層注意を払ってたんじゃないかって気もする。


「でも、二発目の前に仕留める切れるかは微妙な所だった。トウミのお陰」


「いやいや、ハウンドが位置を教えてくれたからだよ」


 確かにあの時の……というか昨日辺りからのわたしの射撃精度はちょっとおかしかったけど。何にせよ、ハウンドの言葉なしにはこう上手くいかなかっただろう。


「……そっか」


「うん」


 お互い、もっと話す事はあるはずなのに。

 完全に気が抜けてしまったのか、言葉もだんだんと間延びして、体からも力が抜けていく。

 日没直前のまま止まった世界が、暖かい橙色の光をヘリの中に差し込ませて。無性に安心してしまう。もう大丈夫だと、本能がそう思ってしまう。


「「…………」」


 僅かな時間、会話が途切れて。

 その沈黙が心を更に弛緩させていく。まるで眠りに誘われるような。この戦いに参加させられた時の急激な意識の喪失を、薄く優しく引き伸ばしたかのような感覚。案外、ただ戦い疲れて眠りに落ちかけているだけなんじゃないかって。そう思ってしまうほどに自然な微睡みが少しずつ忍び寄ってくる。


「…………」


「…………」


「…………ハウンド」


「…………うん?」


 でも、あと少しだけそれに抗って、もう一度声を出す。思った以上に口が開かず、か細く囁くようなものになってしまったけど。それでも、すぐ隣にいるハウンドは聞き逃さずに返事をしてくれた。わたしと同じくらい、小さな囁き声で。


「これでわたし、帰れるのかな……」


 この問いの答えを、ハウンドが知ってるわけがない。そうと分かっていて口にしたのは、安心感と同じくらい、寂しさも感じてしまったから。


「どうだろうね……」


 ハウンドの返事は予想通り。そこから続く「でも」という言葉まで含めて。


「……こんな事、言ってしまうのもどうかとは思うけど」


「うん」


「……トウミと離れるのは、嫌だ」


「……うん」


 ハウンドは、わたしが死ぬのは怖いと言っていた。それと同時にわたしに「居なくならないで」とも言っていた。


「わたしも。ハウンドと離れるの、やだなぁ……」


 いよいよ回らなくなってきた呂律で、何とかこれだけは伝えられた。もう瞼を開けている事すらできず、思考と意識が解けていく。次に気が付いた時にどうなっているか、全く分からない中で。せめて、一緒に居たいという気持ちだけは共有したかったから。


 もしかしたら最後になる……かもしれない会話は、こんなものだった。

 どうせ力が入らないんだからと、より一層ハウンドに体を預け、もたれ掛かる。肩に乗せた頭の上に、彼女の頭がゆっくりと重ねられたような気がして。ハウンドの体からも力が抜けきっている事が、その重みから察せられる。


「「…………」」


 そうして、あんまりにも穏やかに、わたし達の意識は深く沈んで行った。




 ◆ ◆ ◆




「――ミ」


 で、次に意識が浮上したときに最初に思ったのは。

 ああ、一緒に居られるんだって事だった。


「――トウミ」


 だってわたしの名前を呼ぶ声は、紛れもなくハウンドのものだったから。


「……………………ハウンド。おはよ、う?」


 目を開けて、声のする方へ視線を向ける。わたしが寝かされているベッドらしき物のすぐ隣、丸椅子に座ったハウンドが、わたしの前髪をゆっくりと梳いていた。


「おはよう……で、良いのかは、分からないけど」


 どうやらハウンドも、今がいつ何時なのかは把握していないらしい。寝起きの頭でどうにかそれを読み取って、じゃあせめてここが何処なのかを知ろうと身を起こす……起こすったら起こす。ハウンドの手付きが優しくてもうひと微睡みくらいしたくなっちゃうけど。頑張って上半身を起こす。起こした、はい、起こしました。


「……ここは」


「見覚え、あるよね?」


 撫でる先を前髪から横髪へとシフトしたハウンドの言葉に、頷いて答える。ここはわたしが住んでいたワンルーム……ではなく。それどころか、実際に見た事のある場所でもなく。でもハウンドの言う通り、わたしはこの空間を知っている。


 救護室から窓とドアを全て取っ払ったような、出入り口のない小さな部屋。家具も少なく、無機質なアルミのデスク、同じくアルミのベッドフレームに清潔だけど硬いマットレス、洋服箪笥代わりの大きな収納箱。勿論アルミ。


「……マイルーム、だよね?」


「そう」


 この殺風景な一室は、[DAY WALK]内で『ハウンド・ドッグ』のイメージに合わせて設定したマッチング待機画面だ。マッチとマッチの合間、次のゲームが始まるまでの待機中は、この部屋を背景に『ハウンド・ドッグ』がやたらカッコ良く半身に佇んでいたり、軽いストレッチをしたり、時折銃の手入れなんかをしていた。

 まあ無限に見てられたよね……という話は、今は置いておいて。


「つまり、元の世界?には戻れなかったってわけだ」


 こっちの世界、元の世界という呼称が正しいかも分からないまま、それでもそう表現せざるを得ない。戻れない事を嘆くべきなんだろうけど、目の前にハウンドがいる喜びが、そんな当たり前を容易く塗りつぶしてしまう。


「ごめんトウミ」


「うん?」


「ヘリの中でお別れだと思ってたから。もう我慢できない」


「えっと――」


 横髪を撫でっぱなしだったハウンドの右手が、するりと頬まで降りてきて。何だ何だ――なんて考えるほど、察しの悪いわたしじゃない。身を乗り出して手を付いた彼女の体重で、ベッドがぎしりと僅かに軋んだ。


「トウミ」


「――うん、どうぞ」


 目を閉じて、少し上を向く。

 今更焦らされる事もなく、気配と吐息がゆっくりと迫ってきて――



 ――ピロリンっ♪



  と、あんまりにもタイミング悪く音が鳴った。

 

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