昼 風道平原 4
「――っ」
大丈夫。
焦りはない。恐怖……は、あるけど。これはいつもの事。
視界の左下、ハウンドのHPバーは危険域を示す赤に染まったまま確かに存在している。咄嗟に体を伏せ、最後の一人からの一発を躱した状態で、ハウンドはこちらから見て左方向を睨み付けていた。
「木の傍っ!」
ハウンドの叫びだけを等速で拾う。彼女を殺せなかった一撃は、昨日も一昨日も耳にしたスナイパーライフルのそれ。ハウンドに初めてダメージを与えたその発砲音を、わたしの体は間違いなく覚えている。あの女だ。
「すっ――」
吐き出した息をもう一度吸って、止める。
ボルトアクション式のあのライフルは、次の射撃までに僅かなロスが生じる。それはほんの数秒足らずではあるけれど。その数秒の内に、捉えて撃つ。
まだ、わたしの世界はスローモーションなまま。
ゆっくりとゆっくりと、視界が黒く染まっていく。『暗闇』が、遂にわたしの体を飲み込んでいた。
外から見れば光を通さないかのようだった『暗闇』も、その中に入ってみれば、ゲームの[DAY WALK]と同じく全くの暗黒という訳ではなかった。もちろん視野角は狭まり、目に映る全てが暗く不明瞭になってはいる。そして何よりも。
「ぅ……!」
何かに蝕まれるような疼きと共に、HPを34失った。
乱されかけた心を、奥歯を噛み締めて繋ぎ止める。まるで体の末端の方から熱が奪われる感覚。トリガーにかかったままの指先が、冷たくなっていく。
「ト――」
それでも、次の一秒までの間に敵を捕らえられた。
木の傍という言葉、ハウンドが睨み付けていた先。狭まる安地内の左端ギリギリに残った最後の遮蔽物。その根元でしゃがむ女性の艶やかな黒髪が、『暗闇』越しにもなお映えて見えた。コッキングを終え照準を合わせ直しているようで、顔も覚えてしまった彼女がトリガーを引くまでもう僅か。
ハウンドが次も回避できる保障は無い。というか普通、銃弾は躱せない。
「――ウ――」
「……っ」
二度目のスリップダメージがわたしの体を更に蝕む。寿命は残り一秒。だけど、一秒あれば二発は撃てる。フルオートとは違う、わたしの
高速化した思考が見せた走馬灯もどきは、最初に
「――っ!!!」
きっちり二発。
ダンッダンッ、と連続して撃ち出された弾丸が、標的の頭部へと吸い込まれていく。
一発33×ヘッドショットボーナス1.75倍×2ヒット。一秒未満で叩き出された100を超えるダメージが、女性の体を弛緩させて。『暗闇』の中へと溶け込むように、ほどけた黒髪が揺蕩って――消えた。
犬飼 灯美 → Mimi Felicette[KILL]
プレイヤーのような名前のキャラクターがキルログの最後を飾り、それと同時に、わたしのHPバーが視界から消えた。
「――――ミッ!トウミ!!!」
いや、わたしのものだけじゃない。叫ぶハウンドのそれも、左上のミニマップも右上の残り生存者数も、視界に埋め込まれていた全てが綺麗さっぱりなくなり。わたしの視界は四日ぶりに正常さを取り戻す。
「――――――――ハァっ……!!」
――――ぁぁあ焦ったぁぁぁーー!!
死んだかと思ったぁーーーー!!!!
今更仕事を思い出したのか、心臓がばっくんばっくんとビビり散らかす。まるでフィルターでも外したみたいに『暗闇』は全て消失し、ただこの場所にはわたしとハウンドだけが。
『ハウンド・ドッグ』の背中越しに幾度となく見てきたこの演出は、間違いなく最後まで生き残った証だ。大活躍だったM14DMRをその場に投げ捨て、ハウンドの方へと走り寄る。
「ハウンドっ!!」
「トウミ、トウミっ!」
起き上がった彼女も、こちらへ駆け出していて。
「ハウンドっ!」
「トウミぃ……!」
丘の麓の辺りで、その胸に思いっきり飛び込む。見上げれば、この四日間の全てを共にした女性の顔――
「「……いや邪魔!!!」」
――の、上に重なるようにして、でかでかと『SURVIVE』の文字が。
いやもう、ほんっとに邪魔。HPやらなにやらと同じように、視界に直接映し出されているんだろう。あらゆる視覚情報よりも手前に、そして中央に、金地に赤縁のめでたそうな文字がぎらついている。確かに[DAY WALK]でもこういう演出だったけどさぁ……!
ハウンドのっ!顔がっ!!見えないんですけどっ!!!
「……ほんっとに、無粋」
ハウンドの方も同じようで、どうにか視界から外せないかと首を振ったりしている。まあ、HPバーが何をやっても動かせなかった辺り、この文字もどうしようもないんだろう。ゲームの方だとこの後に救護だか回収だかのヘリが来て、乗り込む時にはクソデカ『SURVIVE』も消えるはずなんだけど……なんて思っていたら、まさにそのヘリのプロペラ音が頭上から聞こえてきた。どっからとか、いつの間にとか。そういう疑問は今更もう抱きもしない。
「……ま、まあ。とにかくわたし達、最後まで生き延びたね」
「……うん。良かった、本当に。トウミを守れた……とは、口が裂けても言えないけど」
「そんな事ないよ」
高度を下げ、縄梯子をおろすヘリを横目で見ながら(クソデカ『SURVIVE』)、もう幾度目か、ハウンドの言葉を否定する。
「ハウンドがいなかったら、私はとっくに脱落してたし。ハウンドがいたから、戦う事ができた」
これに関しては多分、わたし同じ事しか言ってない気がするんだけど。でもそれが全部なんだから、もうこれ以外に言いようがない。全てが終わって生き延びたという最良の結果を携えれば、ハウンドだって認めてくれるだろうか。少なくとももう、わたしの死という恐怖は取り除けたはず。
そう思って、今一度お礼を言う。
感謝の度合いはクソデカ『SURVIVE』なんて目じゃないくらい大きいけれど、それをそのまま言語化しようとすると、いつまで経ってもヘリに乗れないだろうから。だからひとまずコンパクトに……つまり、いつもと同じように。
「――ありがとう、ハウンド」
縄梯子へ手をかけた瞬間に、ようやく『SURVIVE』の文字が視界から消えて。
「……うん」
安心したようなハウンドの笑顔が、沈む直前の日に照らされていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本文中に失礼します。
明日、エピローグを三話投稿して完結となります。
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