夜 バイズガインの街 12


 そうしてしばらくの間、わたしは胸の中にハウンドを抱きしめていた。時折僅かに身じろぎする彼女がどんな表情をしているのかは、分からないけれど。数分か数十分か、曖昧になった時間間隔の中で再び聞こえてきた声は、幾分か穏やかなものになっていた。


「……トウミは、この三日で凄く強くなった」


「……まあ、最初の日よりはね」


 まだまだ不甲斐ないところばかりだって、自覚はある。だけどもその一方で、自分でも分かるくらいに、わたしと言う存在が急激に戦いへ適応しているのも事実。


「銃も扱えるようになったし」


「……まあ、このゲームの中ではね」


 流石のわたしも、今わきに置かれているそれが実銃そのまんまじゃないって事くらいは気付いてる。たぶん本物はもっと精密で、もっと細やかな操作が必要なんじゃないかって。銃のじの字も知らなかったド素人がこんなにバシバシ当てられてる時点で、普通じゃない……と、思う。


 で、それからこの体。

 血も流れず、無尽蔵に走り続けられて、戦いへの順応性が異常に高いこの肉体……いや、肉の体かどうかすら分からないモノ。

 [DAY WALK]のキャラクターは、プレイヤーが各々カスタムした外見以外の違い――例えば身体能力の差、なんてものは全くなかった。

 それがこの[DAY WALK]らしき戦いゲームにも適応されているんだとすれば。理屈の上ではハウンドもわたしも、全ての参加者が、全く同じ身体スペックを発揮できるという事になる。

 そして何より、意志さえあればこの体は、割と思った通りに動いてくれる。多少の無茶も利く。


 これらの要素が合わさった結果、わたしは三日でここまで来られた……んじゃないかなぁと。


「……何より、心が強くなった」


「……それもまぁ、初日よりはね」


 恐怖を原動力に変える事。

 わたしの元々の気質だったのか、それともこれも体と同じように、この戦いゲームの為に用意されたモノなのかは分からないけど。正直今でも、撃つのも撃たれるのも怖いままだけど。でも少なくとも、今のわたしの中に「怖いから立ち止まる」なんて選択肢は無い。


「初日の……怯えっぱなしだった頃とは大違いだ」


「わたしもすっかり、擦れちゃったねぇ」


 おどけるように言いながら、一日目以来遭遇していない長峰達の事を思い出す。……いや、別に忘れてた訳じゃないよ?むしろ、目の前に銃口突き付けられたのは今でもトラウマだよ?


それにこの三日の間にも、キルログにちょいちょい名前が載ってたし。キルした側で。わたしの見落としでなければまだ生き残っていて、残りの四組の中にいる。


 なるべく目を通すようにしていた今日までのキルログの中で、目立った名前は他に無かった。だから少なくとも、日本サーバー内ランキングでわたしより上のプレイヤーはいない。他鯖のランカーとかは正直把握してないけど……見た感じ日本鯖の人が多く集められてる感じがしたから、ハウンド・ドッグわたしS1長峰より強い人がいる可能性は低いはず。


 そしてわたしは、アイツより強い。


 ……って、自分を鼓舞しておく。

 ハウンドとS1は実力が拮抗しているみたいだから、わたし自身が彼に勝つ気でいないと駄目だろう。怖いけど。や、怖いものは怖いよ。ねぇ?


 なんて気持ちを込めて、ハウンドの頭をもう少し強く抱きしめてみる。わたし達の「お互いが死ぬかもしれない」という恐怖は、結局のところ結果でしか解消されない。最後まで生き残るという、結果でしか。


 だから今できるのはこうして、何となく良い感じの会話をして、不安を誤魔化す事くらい。ハウンドも同じ気持ちなのか、背中に回されていた両手の先に、ぎゅうっと力が籠った――いや、ちょっと籠り過ぎというか……あれ、あの、なんか姿勢が――


「――トウミはさっき、『せめてこの場の慰めだけでも』って言ったよね?」


「言っ……た、うん。言ったねぇ」


 ぐぅーっと、獣が身を起こすように、ハウンドの体が起き上がった。こちらに任せきりだった体重をしっかりと自分の膝で支えて、頭をわたしの胸から離す。それでいて互いの体はぴったりくっついたまま。つまり、こっちが彼女に抱き寄せられる形に。さっきまでとは逆に、わたしの顔がハウンドのなだらかな――無とか貧とか微ってわけじゃない。過不足なく必要十分で、しっとり柔らかい――胸元に抱き込まれた。


「トウミ」


「……な、何でしょうかぁ……?」


 明らかに、雰囲気が変わったのを感じる。

 頬を押す胸の感触が、急激にわたしの体温を上昇させて。つい一分前まで同じ事をこっちがしていたのを自覚した途端、心臓がばっくんばっくん言い出す。こちらを見下ろすハウンドの瞳は、さっきとは違った妖しい濡れ方をしていた。


「ねぇトウミ」


「ひゃい……」


「私、怖い」


 言葉のわりに、随分と興が乗ってるご様子で。薄く浮かんだ笑みがわたしにはもう、獲物を食らおうとする肉食獣のそれにしか見えなかった。


「……怖いから、慰めて欲しいなぁ」


 意地悪く間延びした語尾からは、慰めてーなんて殊勝な態度は全く窺えない。むしろ真逆、こちらを貪り食らおうとでもするかのように、赤い舌がちろりと顔を見せた。


「あ、あの……わたし、そういうつもりじゃ……」


「言葉には責任を持たないと、ね?」


 艶っぽい声音が、しっとり濡れた流し目が、私の心を絡め取る。

 ハウンドの右手が、背中から腰の辺りまでゆっくりと下がって行って。道すがらつーっと撫でられた背骨が、指一本で躾けられて反り返る。わたしの意思とは関係なく、より一層体を押し付けて、それでいて顔はますます上向きに。


「私のママだって言うなら、分かるでしょ?」


「ぁ、ぅ……」


 顔を寄せられて、彼女の囁く吐息が唇に触れる。

 近い。尾てい骨の辺りまで来ていた右手に、体を上向きに揺すられた。


「――んっ」


 わたしだけが、慣れてないこと丸分かりな声を漏らして。

 唇と唇が、直接触れた。連動するみたいに、無意識の内に両目をぎゅっと瞑っていたから、ハウンドの表情は見えないけど。でも唇に伝わる熱が、わたしたちの境界線を溶かしていくのだけは分かった。


「――ぷぁっ」


 どろどろに溶け切る前に、すぐにハウンドの方から離れて行って。またわたしだけ変な声を上げてしまった事を、恥ずかしがる暇もないうちに。


「――あんな事されて、私が我慢出来る訳ないって」


 彼女の事を良く知ってるが故に。

 その言葉が本気なんだと、否が応にも理解わからせられた。

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