夜 バイズガインの街 11


「…………?」


 何言ってんだこいつ?みたいな顔をされた。どうやら通じなかったらしい。ならば……


「ママですよ~?」


「………………??」


 おかしい。ママの胸に飛び込んでこない。

 広げたまま行く先を見失った両手が、わたし達の間でぷらぷら揺れる。ハウンドの表情は困惑に上書きされていて、ゆっくりと開かれた口からはもの凄く平坦な声が聞こえてきた。


「……トウミは、私の母では無いと思う」


「……そ、そんな事ないよ?ママだよ?お母さんだよ?」


 心なしか、視線もジトっとしてるような。まるでわたしが変な事を言ってしまったみたいな空気だ。


「創造主では、あるかもしれないけど」


「つまりお母さんだよね?」


「違うと思う」


「お、お母さんだよね?」


「違うと思う」


 ハウンド、結構頑なだな……お母さんはそんな子に育てた覚えはありませんよっ。


「育てられてはいない……いやある意味、妄想の中で育てられてきたとは言えるのかな……」


「っ!ほらやっぱり、お母さんですっ」


「違うと思う……いや、逆に何でお母さんだと思ったの?」


 ちょっと呆れすら混ざった――ハウンドに呆れられたの初めてかも――声音で問われたけど。何でってそりゃ、わたしが創造主って事は、ハウンドはわたしから生まれた存在――つまり子供みたいなものなのかなぁって。


 それに、何より。



「……だって今のハウンド、お母さんが死んだ時のわたしみたいだし」


 わたしの死を恐れるハウンドは、亡くなる間際の母に縋るわたしと重なって見えた。



「……トウミの、母親」


「うん、わたしが高校生の頃、病気でねー」


 んでお父さんも、わたしが大学出て働き始めた辺りで、力尽きるみたいにぽっくりと。父は本当に母の事が好きだったから。自殺ではないけど……気持ちが後を追って行っちゃったんだと思ってる。


「それは、その……」


「あ、ごめん。もう済んだ話だし、気持ちの整理も付いてるんだ」


 これはただの余談で、空気を重たくしたかったわけじゃなくて。要するにハウンドの怖がり方が、母親を失う子供のようでもあったって話。完全にそれ一色ってわけじゃないけど、心の拠り所が失われる恐怖って意味では、重なる部分もあるかなぁって。


「…………」


「わたしね。どうしてハウンドが、こんなにわたしを大事にしてくれるのか不思議だった。理由が分からなかった」


 本当のところはハウンドにしか……いやもしかしたら、彼女自身にすら良く分かっていないかもしれない。今だって、唇をもごもごさせてるし。


「でも今日のハウンドの様子を見て。多少なりとも、こういう側面があるんじゃないかなって」


「…………」


 キャラクター達は、突然生み出された存在。

 戦いの中において、その寄る辺はわたし達プレイヤーだけ。だから彼ら彼女らの多くは、自分が先導するように前を歩いていたんじゃないだろうか。自身の存在の大元である、創造主を守るために。

 まあ勿論、例外だっていたけどね。


「私、は……」


 わたしの言葉を飲み込むように、また少し俯きがちになってしまったハウンド。

 彼女はわたしの命を守ろうとしてくれるけれど。それと同時に、わたしには彼女の心を守る役割が与えられてるような、そんな気がする。だからわたし達は、二人一組で戦わされてるんじゃないかって。

 ……まあこれも、どうにか彼女の役に立ちたいっていうわたしの願望が、そう捉えさせてるだけかもしれないけど。っていうか心を守るって話なら、何度も命を救われてる時点で、わたしの方がよっぽど心身ともに守られてるし。


 結局三日目の夜になっても、プレイヤーもキャラクターもこの戦い自体も、どうやって、何のために存在してるのかはさっぱり分からない。どこまでいってもここは『ゲーム』の中で、その登場キャラであるわたし達では、世界の理なんて知る由もないのかもしれない。


 それでも、そんな事とは関係なく。

 最初の夜に交わした「二人で頑張る」って約束を、私は忘れてない。彼女の心を支える事も、その言葉の中に入ってるはずだ。


「――これが殺し合いの戦いゲームである以上、ハウンドの不安を根本から取り除く事はできないから。せめて、この場の慰めだけでもって」


 この瞬間のわたしの行動原理は、結局これだ。

 行動だけじゃ伝わらなかったから、説明なんてしてるわけなんだけども。何だろう、滑ったギャグの解説をしてるみたいでとても居た堪れない。


「だから、その……お母さんとして、ぎゅってしようかと思ったんだけど……」


 冷静に考えてみればわたしは母親経験ゼロなのだから、そもそも母性なんてものを持ち合わせているはずが無かった。言葉が尻すぼみになっていくのを自覚しながら、まだ広げっぱなしだった両手を下ろそうとして――


「トウミ……」


「わっ……と」


 ハウンドが、胸に飛び込んできた。

 や、倒れ込んできたって言った方が良いかな?前に倒れるみたいに、膝立ちのままで支えられるくらい、静かにゆっくりと。背中に回された手が震えていて、気が付けばわたしも抱きしめ返していた。頭を抱え込んで灰色の髪を撫でる。所々に混じる黒色のラインを指で梳く。


「トウミ……」


「うん」


 くぐもった声が、すぐそばから聞こえてくる。


「……居なくならないで……」


「うん」


 死にたくないって。

 恐怖からではなく、何かもっと別の気持ちからそう思った。今までのどの瞬間よりも強く。どんな銃声よりも痛みよりも、ハウンドの小さな声の方が、よっぽど強く心を揺さぶってきた。絶対に、死んでたまるかって思った。


「……トウミが死ぬのは、怖い……」


「うん」


 ハウンドがしている事は――わたしがハウンドにさせている事は、さっきと何も変わらない。ただ胸中の不安を、そのまま言葉にして吐き出させているだけ。それで良い。それしかできないんだから。吐き出させて吐き出させて、わたしはそれを受け入れるだけ。


 受け入れて、共感するだけ。

 母を失う子の気持ちは、昔に体験した。

 相棒を失う恐怖も、今日、目の当たりにした。わたしを殺そうとした加賀見さんはきっと、ハウンドを失ってしまったわたしだ。


 わたしはどこか心の中で、ハウンドは誰にも負けない絶対的な存在なんだと思っていた。

 でも黄色くなったHPバーを見て、彼女も倒されてしまう可能性があると知った。こうして弱音を吐く姿を見て、彼女は完璧な人物では無い事を知った。


「怖いよ……」


「うん」


 怖い。ハウンドを失うのが。

 きっと、彼女がわたしを失うのと、同じくらいに。

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