夜 バイズガインの街 10
さて、お話し合いの時間です。
「ハウンド」
窓の外が真っ暗に塗りつぶされた部屋の中、わたし達は二階の床に座り込んでいる。スナ持ちの女性が割ったはずのガラスは『暗闇』が迫るのと同時に独りでに修復されていて、そういうところはやっぱりゲームチックだなぁなんて。
「……」
とにかく、明日の朝までは気を休められる。もちろん訓練もするだろうけど、でもそれ以上に、今のわたし達には心の休息が必要だと思う。実際、もう安全だと思うや否や、心労がどっと押し寄せてきた感じがするし。どうにかこうにか抑え込んでいただけで、既知の人物を撃ったショックだってかなりのものなのだ。
……なのだけど。
今のわたしにはもっと、大切な事がある。
「ね、ハウンド」
一度目の呼びかけには返事が無かったから、もう一度。自分でもびっくりするらい、優しい声が出た。夜が来た瞬間に崩れ落ちるように壁にもたれて座り込んで以降、ハウンドはずっと俯いたままだ。
「ハウンドー?」
三度声をかけながら、四つん這いで近づいていく。手のひらから微かに鳴るペタペタという音が、静かな部屋の中で妙に大きく聞こえた。
「……」
もぞりと身じろぎし、僅かにハウンドの顔が上がる。カーテンのようにかかった前髪の隙間から、揺れ動く瞳が覗き見えた。いつもの涼しげなそれとは違う、まるで子犬みたいに不安そうな色。
「ね、ハウンド。わたしは大丈夫だよ」
守って貰っている分際で随分とふてぶてしい言い方だなって、自分でも思っちゃうけど。でも、貴女のお陰で今日も生き延びられたって伝えるには、この言葉が一番かなって思ったから。
更に少し上向いたハウンドの、心細そうな顔付きが良く見える。この家を制圧してからのピリピリとした警戒態勢は、彼女の強さでもあると同時に、強がりでもあったみたいだ。むしろその分の反動か、今晩の彼女は普段の面影がまるでない弱々しい姿。
「……トウミ……」
聞いた事がないくらいに弱々しい声。
……いや、わたしは今日、一度だけ近い声音を耳にしている。
昼間にハウンドは吐露していた。
わたしが死ぬのは怖い、わたしを失うのが怖い、と。
今日だけで二度、わたしの命が危険に晒されて。日が沈む前からもう、彼女はいつものクールな彼女ではなくなっていた。或いは、一瞬だけ漏れ出てしまったあの時点で、結構
彼女の中の恐怖は、どんどん大きくなっている。
一日目よりも二日目、二日目よりも三日目。日を追う毎に、遭遇する敵は生き残る意思と能力を持った人達になり。その分、ハウンドがわたしを守り切れなくなる可能性が高くなる。
……まぁ正直、運の悪さとかも過分にあるような気がするけど。
「……私……」
膝を立てて座るハウンドの、両ひざの上に顔を乗せてみる。何かを言いたいのか、何も言えないのか、彼女の口数は少ないまま。
妙な気分だ。
確か最初の一日は、わたしの方がずっと恐怖に怯えていたような気がする。あの日の夜に、ハウンドも同じ――わたしが死ぬかもしれないという――恐怖を抱いていると知り……そして今はもう、わたしよりもハウンドの方が怖がっているんじゃないかってくらい。
その理由は言うまでもなく、彼女がわたしを大事に思ってくれているからで。昨夜は、まだどのくらい本気か分からない……なんて誤魔化していたそれを疑う余地なんて、もう今はもうどこにもない。
「……私……」
「私?」
うわ言のように繰り返す言葉をなぞり、続きを促す。無理矢理催促するんじゃなくて、貴女の事を聞かせて欲しいと伝えるように。弱弱しい表情に、凄腕の傭兵さんとしての貫禄なんかはまるでなくて。胸が痛むのと同時に、少しでもその辛さを取り除けたらと思わずにはいられない。
元凶であるわたしが何を言ってるんだって話だけど。でも、元凶だからこそ。わたしの努力次第で、多少なりとも安心させてあげられないかなぁって。
「……私……トウミを守らなくちゃって……でも、全然駄目で……」
「うん」
駄目じゃないよ、なんて慰めはもう何度も口にした。それでも彼女の不安が拭えないのは、実際にわたしが危険に晒されているから。
「トウミは、トウミは生き延びようと必死に頑張ってる……痛みに耐えて、銃の扱いも戦い方も、人を撃つ苦しさだって飲み込んで。凄い速度で成長してる……なのに私は、全然上手く立ち回れてない……」
「うん」
ルート取りや立ち回り。確かに、そう言った面で裏目に出てしまった場面も多かった。これがゲームだったら、その結果負けても次に活かせば良いって感じだけども。ここではそんなこと言ってられない。
「日が経つ毎に、どんどん怖くなっていく……もしもトウミを守り切れなかったら、トウミを失ってしまったらって……」
「うん、うん」
まるで子供のように、小さく背中を丸めているハウンド。その姿にふと、昨夜の言葉が思い出される。
――私は、言ってしまえばあの輸送機の中で生まれたも同然の存在。
知識も技量も言動も、全てがわたし以上に成熟しているように見えていたから、今一つ実感は沸かなかったけど。つまるところハウンドは、まだ生後三日なんだ。何の
そうと分かったなら、今、わたしがするべき事は。
「……ねぇ、ハウンド」
ハウンドの膝の上から頭をどかし、そのまま膝立ちになって声をかける。見下ろしたその顔には、より一層の不安が浮かんでいて。もしかしたら今この瞬間の、内心の弱音が完全に噴き出してしまった彼女には、ほんの一瞬わたしが離れて行ってしまう事すらも怖いのかもしれない。
「トウミ……」
今にも泣きだしそうなほど、弱々しい声がわたしを呼ぶ。
普段の声音とも、昨夜の蠱惑的な囁きともまるで違うそれに、突き動かされるようにして。わたしは彼女に微笑みかける。力不足だとか負担をかけてしまってるだとか、そういう負い目は今だけ全部放り投げて。彼女の不安を少しでも、少しでも忘れさせてあげられるように。
めいっぱいの慈愛を籠めて、両手を広げる。おいで、と視線で語りかける。
「――――お、お母さんですよ~?」
わたしはお母さん。お母さんになるのだ。
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