夜 バイズガインの街 1


「……ふぅ」


 リビングの窓から外を眺めて、一息つく。

 日が落ち、『暗闇』が街並みを覆い隠したのを見て、一気に緊張の糸が切れた。


 街へは安全に入れたとはいえ、いつ誰が駆け込んでくるか分からなかったから、接敵せずともずっと神経は張り詰めっぱなしだった。まあそれを言うと今日一日……いや昨日からずっとではあるけど。でも今日は初めて人を撃った日なわけだから、心労の度合いも段違い。


 とにかく、ひとまず朝までは安全が確保された。


 『バイズガイン』も昨日通過した『ヘキスコル』と概ね同じ、コンクリ家屋時々煉瓦造りな大きな街。森が近いからか木造建築の建物もちょいちょい混ざってはいるけど、街並み自体はまあ現代的だ。


「……今日も一日、お疲れ様」


「ハウンドこそ」


 わたしたちが陣取ったこの家は、一階建ての小さな平屋。ハウンドがソファに腰かけてるリビング、四人掛けのテーブルがあるキッチン、寝室にシャワールームにトイレまで、ザ・普通の家って感じの間取りだ。そのほとんどが、今のわたし達には必要の無いものだけど。

 その辺の床にアイテムが放られてたのも、バトロワゲーのって意味では普通の家。昨日今日で先に誰かが漁ってたみたいで目ぼしいのもは多くなかったけど、一つだけ確かな収穫があった。


「……いや。トウミには沢山、気苦労を掛けちゃったから」


 八の字に眉根を寄せるハウンドの手に握られているのは、何故かトイレの床に落ちてたM1911。45口径でハンドガンの中ではかなり高威力な、[DAY WALK]でサブ武器として愛用してた銃。弾がヴェクターと共通なのが強みでもあり時に弱みでもあり……私、弾種は統一したくなるタイプだったんだよねぇ。

 なんか凄い有名な銃だとか、良く知られた愛称があるだとか聞いた気もするけど、例によってよく分かってはいない。


「それはこっちの台詞というか……助けて貰ってばっかりだし……」


 とにかくこれで、ハウンドは得意とする装備が揃った事になる。振り返って眺める彼女の姿は今、まさしく[DAY WALK]でのハウンド・ドッグそのものなはず。


「そう、かな?」


「そうだよ。……あ、そうだ」


 もう安全って事で、トイレに行ってハウンドが使ってたグロックを回収してくる。かわりにわたしが使ってたやつを置いてきた。


「……性能は変わらないと思うけど」


 グロックを抱えて戻るわたしに、何をしてきたのか察したらしいハウンド。至極もっともな言葉だけど、そういう事じゃないんです。


「ハウンドが使ってたやつの方が、なんか持ってて安心できる気がして」


 気持ちの問題、っていうのを伝えつつ、二人掛けのソファにわたしも座る。ちょっと距離は開けつつ。こういう落ち着いた時間になると、やっぱりまだ少し緊張しちゃう。いやだって、理想の女性が目の前にいるわけだし。

 ……なんて思ってたら。



「……トウミは、私のコト誘ってるの?」


「ほぉ゛っ」



 爆弾を投げ込まれた。

 拳銃をテーブルにおいて、座ったままススっ……と距離を詰めてくるハウンド。斜めに照らされた横顔が、見下ろすような流し目が、音も無くすぐそばに。


「そ、ういう……つもりではっ……」


「無自覚?なら猶更タチが悪い」


 すぐに肩がくっ付いてしまい、手に持っていたグロックをそっと奪われる。ぎしりとソファが僅かに軋み、M1911と並べるようにテーブルに置かれて。空いた両手を、ハウンドの両手に握られた。手のひらを合わせて、指を一本一本絡めるような繋ぎ方。


「は、はうんど……あの……」


 もたれ掛かる……というか、押し倒そうとするような力の入れ方で、体を密着させられた。中途半端に抵抗する自分の両腕をどこか遠く感じながら、指先を撫でる彼女の指や、わたしの胸に押し当てられた彼女のそれの感触ばかりが、過剰なほどに脳に伝わってくる。


「私が、そういうコトされるとその気になっちゃう女だって……トウミは分かってるはずだけど」


 この状態で更に顔を近づけてくるものだから、整った顔立ちに視界を埋め尽くされてしまった。白い……いや僅かに上気した頬に、さらりとかかる灰色の髪。真正面至近距離で見ると黒いメッシュがひと房だけ視界の端で揺れるのは、恐ろしくえっちな仕様に思える。それによくよく目を凝らせば、細まったブラウンの瞳は肉食獣のように瞳孔が縦に伸びているような。


「それ、は……その……」


 戦闘中は気にする余裕も無かった微かな硝煙の香りが、鼻腔を通って心臓をむず痒く叩く。特殊な素材で作られているらしい都市迷彩服ですら、こうして体を密着させると、わたし達の間で小さく衣擦れの音が鳴って。それに混じって聞こえてくる、ハウンドの吐息。少し、少しだけ荒くなっている気がする。ほんの少しだけ。わたしの心臓の音に比べれば、全然静かなものだけど。


「……」


「……」


 形を変えるくらいに胸元がくっ付き合ってるんだから、この心臓の早鐘も絶対に伝わってしまっているだろう。それがまた恥ずかしくて、体がかっかと火照っていく。絡められた指の先まで、熱くなった血が巡る。


「……」


「……」


 すごく近い。ハウンドの息遣いが、更に近づいている気がする。家の中は耳鳴りがするほど静かなはずなのに、色んな音が、どんどんどんどん大きくなって――



 どんっだんっばたんっ。



 隣の家から聞こえてきた物音に、耳が急速に正常な機能を取り戻した。


「……」


「……」


「……無粋」


「……あ、あはは……」


 むっすー……って、一転して子供みたいな顔になったハウンドに、わたしの心もクールダウンしていく。いや、まだ心臓はバクバク言ってるけども。


 でも確かに、日没前に少なくとも二回は足音を聞いたんだから、駆けこんできた他プレイヤーたちが周辺の家にいたって何らおかしくはないわけで。そう考えるとまた気が張りそうになってしまうというか、ここ二日でそういう、人の気配とかを気にするようになってしまったというか。


 そうして自然と強張ってしまうわたしの体に、当然ながらくっ付いたままのハウンドはすぐに気が付いたんだろう。握っていた手を離し、そのまま両手でわたしの頬を挟み込んできた。


「トウミ」


「ひゃ、ひゃぃ」


「いまここ・・には私とトウミしかいない。朝までは安全が確保されてる。だから安心して、私だけ見てれば良いの」



「…………………………………………この、女たらしめぇ……!」


 一瞬で熱を取り戻す、わたしの体。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る