昼 バイズガイン近辺 1


 白く低く広がる煙幕は、飛び込んだわたし達の姿を確かに隠してくれているらしい。特にどこからも撃たれる事なく、煙の中を走り抜ける。


 二つのスモークグレネードは、少し間を開けつつも小屋までの道筋の半分ほどを覆い隠してくれていた。当然ながらわたしには、この白煙が発生する仕組みなんてさっぱり分からない。ていうかこれ吸っても大丈夫な物質なのかな……?なんて、今更な疑問が脳裏を過った。まあ昨日も使われたし、大丈夫じゃなかったらハウンドが何か言うだろうし、全くの杞憂ではあるけど。


 なんて考えている間に。

 どことなく薬品臭いような、前も見えないほどの煙の中は、ほんの数秒程度で駆け抜けられてしまう。晴れた視界の先には草っぱらと、既に次の煙幕の中に入ろうとしているハウンドの背中。


 少しだけ身を晒す事になるけれど、またすぐに隠れられる――そう油断していたわたしの頭の上を、弾丸が掠めて行った。


「ひっ……!」


 見る余裕なんてないけど、恐らく左側の丘の上からだろう。悲鳴をあげ、思わず肩を竦めながらも、絶対に足は止めないように歯を食いしばる。続く二発目はそれから数秒後、再びモクの中に入ったわたしの影を撃ち抜くように、すぐ後ろを通って行った。


「……っ!」


 恐怖で息が上がるのを自覚しながら、どこか頭の片隅で考える。何発も連射してこなかったという事は、ボルトアクション式のスナイパーライフルなのだろうか。もしそうなら、銃の種類にもよるけど……一発でも当たれば大ダメージを受ける事になる。

 もしくは単純に、セミオートのライフルを慎重に撃ってるだけか。是非とも後者であって欲しいと、そう思っている間に。わたしを守ってくれる白い壁は早くも終わりを告げようとしていた。もういっそここで止まってしまいたい。だけど当然ながら、この煙幕は何時までも焚かれているわけじゃない。


 ここを抜ければ更にあともう少し、剥き身のまま走らなければならない。

 大丈夫、さっきも当ててこなかったんだから。きっと大丈夫。


 祈るように頭を下げながら、二つ目の煙幕から足を出す。背負ったAKMがガチャガチャと音を立てる中、出し得る全速力で残りの数十メートルへ。


 たんっ、と。


 小さく音が聞こえた時には、既に左ももを撃ち抜かれていた。


「――ぃ、ぎっ……!」


 食いしばっていた歯が、嫌な音を立てて軋む。

 焼けるような痛みと撃たれた衝撃で、姿勢が崩れた。


 前のめりに傾いだ視界が、どんどん地面に近づいている。

 ひどくスローに見える光景は、昨日の初動降下に失敗した時とどこか似ていた。でもあの時とは違う。ここで顔面からダイブしてしまったら、死ぬ。


 死の恐怖。


 最上位に位置付けたそれが、わたしに手を伸ばさせた。


「――ぐっ……うぁぁっ!!」


 両手を思いっきり前に突き出して、転倒を防ぐ。手首や肩に痛みが走ったけれど、この体は弾丸とグレネードと『暗闇』以外からのダメージは受けない。だから大丈夫、この痛みもすぐに治まる。そう自分に言い聞かせて、無理やりに姿勢を立て直す。倒れ込む勢いを手のひらを介して地面にぶつけ、前へと進む推進力に。


 視界の端に映るHPは、一撃で半分近くまで削られていた。緑から黄色に変じたHPバーが、より一層の恐怖を呼び起こして。それがまた、わたしの足を動かす力になる。

 この体は出血しない。筋肉とか骨とか、体が壊される事もない。痛みにさえ耐えられれば、撃たれた直後だって全力で走り続けられる。


 左足で再び地面を蹴った時、スローモーションだった世界が等速に戻った。


「はぁっ……!あぁっ……!」


 荒い息を吐きながら走る。ゴールはもう、後ほんの少し。既に小屋の影に辿り着いていたハウンドが、ヴェクターで威嚇射撃をしてくれていた。等倍ドットサイトのサブマシンガンで、この距離を当てられるわけは無いけれど。それでも反撃の意思を見せれば、多少なり相手は萎縮してくれる。

 事実、彼女の隣に滑り込む直前に飛んできた最後の一発は、わたしの影すら踏まずに大きく逸れて行った。


「トウミっ!」


「だいじょう――」


 壁に張り付いたまま丘を睨むハウンドに対して、わたしは半ば背を向けるように滑り込んでいた。だから彼女とは反対側、小屋の裏手にある廃材置き場の方に視線が行っていた。


 恐らく角度的に、ハウンドには見えていなかったんだろう。何より撃たれたわたしを庇う為に、丘側を牽制してくれていたから。わたしが到着したと同時に廃材の後ろから顔を覗かせた小さな影、それに気付かなかったのも無理はない。


「――っ!」


 少年とも少女ともつかない、浅黒い肌の一人の子供。

 良くて十代半ば……にもならないくらいの小柄な銀髪のその子は、わたしと同じAKMを両手に抱いたまま、怯えた目でこちらを見ていた。


 もう一度世界が速度を失い引き延ばされた時間の中で、嫌になるくらいはっきりとその子の恐怖が伝わってくる。全身を震わせ、黒い瞳には涙すら浮かんでいて。目線があった瞬間、懇願せずにはいられなかった。お願いだから、どうか逃げてと。


 けれどもその子は、身を乗り出す。もしかしたらずっとそこに隠れていたのかもしれない、薄汚れたコンクリートブロックの裏から全身を露わにして。


「……ぅ、うわぁぁぁぁっっ!!!」


 甲高い叫びをあげながら、銃を構えてこちらに走り込んできた。

 きっと、恐慌から正常な判断能力を失っている。殺さなければ殺されると警告する本能が、その狂った思考を暴走させてしまっている。その手に構えた銃はまだ、セーフティも解除されていないのに。

 背負っているもう一丁のライフルが、どこかあの子に圧し掛かっているようにも見えた。


「――っ!」


 声を聞きつけて、ハウンドがヴェクターを構えながら振り向く。

 そしてわたしの手も、反射的に腰のグロックに触れていた。HPが減りより一層活発になった死の恐怖が、考えるよりも早く身体を突き動かす。


 右手でホルスターから抜いたそれを、左手も宛がいながら水平に構えて。隣で鳴り出した連射音に紛れて、両手の中の拳銃も幾度か、一定のリズムで乾いた音を立てる。


「あぁぁぁっ、ぁっ――……」


 叫びっぱなしだった幼い声はすぐに止み、銃声が止み、そして倒れ込んだあの子の身体は、あっさりと消えて行く。



 再び世界が等速に戻り、ただ自分の荒い息だけが、鬱陶しいくらいに大きく聞こえた。

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