夜 遺跡調査キャンプ 2


「――そう。ありがとう、ごめん」


 震えの止まった手を小さく動かし、ハウンドさんは眉尻を下げた。嬉しいような申し訳ないような、そんな顔。表情筋の動きは僅かだけど、わたしには分かる。


「謝る事なんて、何も無いです」


 この人に、感謝以外の何を抱けば良いのか。


「ハウンドさんは今日一日、ずっと戦い続けてくれました」


 戦闘に限った話じゃない。降下からルート選定、先導、わたしという足手まといをここまで連れてきキャリーしてくれた事。何もかもが、このバトルロワイアルにおける戦いだったはず。


 だから、尽きない感謝の念を告げる。だけど当のハウンドさんは、そんなの当たり前だとばかりに微笑んでいて。


「この状況が何であるにせよ、……私は元々、こちら側・・・・の存在だから」


 [DAY WALK]のキャラクター。戦場を駆ける傭兵。どっちの意味合いにしろ、確かに彼女は銃を持って戦う姿こそがその存在の本質なのかもしれない。

 これが異常な事態だと認識していながら、目覚めたその瞬間にもう順応していた訳だし。ハウンドさんは最初から、自分が戦うのは当然だと考えていた。

 だからその分、わたしの分まで負担を背負ってくれていた。


「――だというのに。巻き込まれた形のトウミを満足に守り切れなかった。貴女の理想の傭兵としては、些か役者不足だったかも知れない」


 さっきの自信満々な表情はどこへやら。何度も見た微笑みは、少しくしゃっとしていた。でもそういうところを見てしまうと、わたしにはどうにも、この人がただのキャラクターには思えなくなってくる。


 確かにわたしの頭の中のハウンド・ドッグは、失敗せず、弱みなんて見せない完璧な存在。理想の傭兵さん。でも目の前の、自身の力不足を悔いるハウンドさんは、もっとずっとリアリティのある存在としてそこにいる。

 だから、烏滸がましいとは思いつつ。握ったままの手にもう少しだけ力を入れた。


「これはデュオですし、その……」


 自称するに相応しくないと思っているから。その言葉を口にするのを一瞬躊躇ってしまう。でも、他ならぬ彼女が言ってくれた事だから。わたしが頑張るたびに、何度も口にしてくれたから。



「……あ……相棒、ですし」



 わたしは、ハウンドさんの相棒。

 まだ相応しくないけど、でも相応しく在りたい気持ちはこの胸にある。


「二人で、頑張りましょう」


 足手まといが偉そうな物言いだ。でも、目を見開いたハウンドさんは、次の瞬間には笑ってくれていた。綺麗な柔らかい微笑ではなく、花が咲いたような、満面の笑み。また性懲りもなく、ドクンと心臓が跳ねる。


「……うん。二人で、頑張ろう」


 綺麗な声。

 言ってる事は同じなのに、彼女の声というだけで、何か特別な魔法でもかけられているように、わたしの心を温かく奮い立たせる。不思議だなぁー、なんて呆けていたら、ハウンドさんがゆっくりと手を引き抜いた。そのまま立ちあがって、音も無く滑るようにテーブルを回り込み、こちら側に。


「――トウミ」


「ひゃいっ!?」


 抱きしめられた。

 後ろから、こう、ぎゅっと。


 当然ながら、頭の中はパニック状態に。口からは通算何度目かも分からない変な声が出た。だというのに、わたしの体はまるで彼女を求めているかのように、色々な情報を脳に伝達してくる。


 肩の上から鎖骨までを緩く覆う、引き締まった両腕。

 肩甲骨の辺りに伝わる、柔らかい感触。

 つむじ付近に乗せられた顎と、髪を揺らす吐息。


 今日一日の銃撃戦を経て強まったのか、はたまたわたしの神経が過敏になっているのか。輸送機の中でも感じた火薬っぽい香りが、全身を包み込んできて。

 さっき泣いてる時には鼻水もずびずびだったから気付かなかったけど。やっぱりこの香りを嗅ぐと、抗いがたい静かな高揚に見舞われてしまう。


「実は、ずっと思ってた事があるんだけど」


「な、何でしょうかぁ……」


 ちゃんと返事が出来た事を褒めて欲しい。

 小さく涼やかな声が、頭蓋骨をすり抜けて頭に入り込んでくるような感覚。耳元で囁かれるのとはまた違った快感に――いや、快感っていうかあの、その……


「私達は相棒なんだし。さん付けとか、敬語とか、無くても良いと思う」


「ひへぇ……?」


 声が溶けてしまう。言ってる事の意味は分かるけど、はいとかいいえとか答えられるほど、脳みそがしゃんとしていない。


「私の事は、ハウンドって呼んで」


「ふひぃ……」


 飛び切り甘く囁かれた。もしかしたらハウンドさんは、ここでわたしを殺そうとしているのかもしれない。脳みそをどろどろに溶かして、耳から垂れ流させて。


「ほら、ハウンドって」


「は、ハウンドしゃん……」


「しゃんは要らないってば」


「む、無理ですぅ……」


「ですもますも、ダメ」


 ダメと囁く吐息が艶めかしい。もうわたしには、もにょもにょ言葉にならない声を漏らすしかない。それに痺れを切らしたのか、つむじに乗っていた重みがふっと無くなって。

 寂しい、と思う間もなく、熱の灯った息遣いが左耳のすぐ横に降りてきた。脳みそ吸われちゃうって本気で考えたし、ハウンドさんになら良いかとも思った。


「ねぇ、トウミ」


 いつの間にか忍び寄っていた指先が顎の下をくすぐってくる。背筋に走った震えに導かれて、ハウンドさんの胸にもたれ掛かってしまった。



「――ハウンドって、呼んで?」



「……は、は……はうんど……」


 さんもひゃんも付かなかったのは、その瞬間に顎の先をとんっと叩かれたから。それだけでわたしの体は、彼女の望むように声を発してしまった。


「うん」


 途端に満足げに頷いたハウンドさ――ハウンドは、また音も無く一歩引いて体を離す。もたれ掛かっていたわたしの視界には、天井と一緒に逆さまになった彼女の顔が。


「――さ、訓練しよう。どうせ睡眠は要らない体みたいだし、朝までみっちり仕込んであげる」


 この一瞬で、ハウンドの声音はすっかり元通りに。今しがたの甘く煽情的な囁きが嘘みたいに、いつもの涼やかな、だけど柔らかいそれに戻っていた。


「……す、少しだけ、時間くだ――ちょうだい……」


 ただ、腰砕けになって立つ事もできないこの体は、そんなにきっぱり切り替えられるものでもなく。くすくす笑いながらAKMを手に取ったハウンドを尻目に、もうしばらく、わたしは椅子の背にもたれ掛かっていた。



 ……その後は朝方まで、言葉通りみっちり仕込まれた。


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