夜 遺跡調査キャンプ 1


 わたしの涙も止まり、何とか落ち着いてきた時には、小屋の外はもう真っ暗になっていた。夜が更けたから……というよりも、島全域を『暗闇』に覆われているからなんだけど。


 昼間の時間経過も現実世界のそれに準拠していたし、夜も恐らくそうなんだろう。ただ、眠れるかというと難しい所だ。精神的な問題ではなく、肉体がそれを必要とするかという意味で。

 今日一日飲まず食わずで走り通しだったにも拘らず、この体は空腹はおろか少しの不調も示していない。眠気が襲ってくる様子もない。

 ……それでも涙は出るのは、良く分からないけど。


 ひとしきり泣き通したせいでハウンドさんの肩はべしゃべしゃになった……かと思いきや、顔を離して見てみると、濡れた部分が凄い勢いで乾燥していっている。一分も経たないうちに、あっという間に元通りに。


「……もう少し濡れたままでも、良かったんだけど」


 そう言いながら肩を撫でる仕草が妙に色っぽい。暖色の電球に照らされて、横顔には少しの影が落ちている。えっちだ……


「……」


「……トウミ?」


「――ひゃいっ」


 今日のわたし、25歳いい大人にしては情けない悲鳴を上げ過ぎだと思う。羞恥やら何やらで熱くなった頬に、ハウンドさんの少し意地悪な微笑が向く。


「私はトウミの理想の姿だから。好きなだけ見惚れてくれても良いよ?」


 よくもまぁそんな自信満々な台詞が言えたものだ――なんて思うわけがない。だって事実だし。こういう女性に対して押せ押せな性格も、わたしが妄想していた通りだし。


「……ただその前に、はっきりさせておかなきゃいけない事がある」


 ありがとうございましゅ……♡なんて気色悪い返事、出す前に飲み込めて良かった。彼女の表情が真面目なそれに変わったから。


 パイプ椅子に座り、わたしにも腰かけるように促すハウンドさん。折り畳みの簡素なテーブルを挟んで、真正面から相対する。アサルトライフルとショットガンを、それぞれ縁に立てかけて。



「――結果的にだけど、今日は生き延びる事が出来た」


 運悪くヤバそうなやつと遭遇して、運良く逃げ切れた。まさしく結果的に、と言う感じだ。


「正直なところ私は、一人でもトウミを守り切れるつもりだった。でも、認識が甘かったと言わざるを得ない。改めて、ごめん」


「そ、そんな……!」


 ハウンドさんが謝ることなんて何もない。むしろ貴女がいたおかげで、わたしは今日を生き延びる事ができたのだから。そういう風に伝えれば、申し訳なさそうに下がっていた目尻が、少しだけ笑みの形に戻ってくれた。


「ありがとう……でも、トウミがナガミネに狙われた時、本当なら助からない可能性の方が高かった」


「……っ、そう、ですね……」


 あの時の恐怖が、また少し鎌首をもたげる。機転を利かせた……なんて言えるわけがない。アレは長峰の自分語りに助けられただけ。

 ハウンドさん曰く、キルログを見ていた限りでは長峰とS1のペアも『暗闇』から逃れられた可能性が高いらしく。今後再び彼らと遭遇してしまったら、わたしが生き残れる保証はない。そして、最後の一人になるまで続くこのゲームでは、両者とも生き残り続けた場合、必ずまた接触する事になる。


「あの時は本当に不安で、気が狂いそうで……」


 テーブルの上で少し震えていたわたしの手を、ハウンドさんが両手で包み込む。白く細く、でも少し皮膚の厚い指先は、わたしと同じように揺れていた。


「私一人の力じゃどうにもならない事態が起こり得るんだと、思い知らされた」


 この人にも怖い事があるんだって、肌を通じて伝わってくる。


「……私はトウミに生き残って欲しい。最後まで、どんな手を使ってでも」


 だから、と一度言葉を切って。ハウンドさんは逡巡するように、瞳を揺らす。始めてみるその様子から目を逸らせない。わたしの手をさらにぎゅっと握りしめながら、薄紅色の唇が小さく震えた。



「……トウミに、戦う覚悟を決めて欲しい」



「……っ」


 本当に、申し訳なさそうに言う。

 声音だけで、そんな事させたくは無かったんだって、伝わってくる。


「スタングレネードでの咄嗟の反撃、見事だった。もしもあの後、トウミがすぐに銃を構える事が出来ていれば――」


 長峰を、倒せていたかもしれない。

 わたしもあの瞬間、撃つべきなんじゃないかと逡巡した。そうしていれば、今頃彼の恐怖に怯える事も無かっただろう。


 でも、撃つという事は。


「……まだ、プレイヤートウミも含めた私達がどういう存在なのかは分からない。HPが0になって消えた者達が、どうるのかも」


 例えば、ここは凄く良くできたVRゲームだか何だかの世界で。

 負けてもログアウトするだけの、ただのお遊びなのかもしれない。


 でも、そうじゃないかもしれない。


 ここでの死が、本当の死になってしまうかもしれない。そもそも、これが現実なのかそうじゃないのかすらも分からないのだから。いくら非現実的な要素に塗れているとはいえ、じゃあ死んでも死なないだろうなんて、楽観的には考えられない。


 それほどまでに、銃が重たかった。


 試し撃ち以降一発も撃たなかったAKMが、わたしの二の腕以外何も撃っていないグロック17が、今日一日中、ずっと重圧をかけてきていた。人殺しの為の、冷たい重りとして。


 それを使われるのも、使うのも怖い。

 誰かを殺すのが怖い。撃って本当に死んでしまった時、わたしはその責任を何一つ取れない。


「……」


「……どうしても駄目そうなら、無理強いはしない。難しいかもしれないけど、可能な限りトウミを守って見せる」


 ――私は、傭兵だから。


 おどけて言うハウンドさんの微笑みは、とても頼もしくて。全部任せてしまいたい気持ちが、胸に浮かんでくる。


 だって、怖い。


「……」


 でも、まだ少し震えたままの手から伝わってくる。

 ハウンドさんだって怖いんだ。わたしを失ってしまう事が。


 どうしてそこまでという疑問は、今日幾度も脳裏を過ってきた。でも、それを聞くには。それを知るに足るわたしにならなければと思った。


 自分の身くらいは守れるようにならなきゃって、そう決めたのはわたし自身だ。だからその為に、恐怖に優先順位を付ける。殺す恐怖より、死ぬ恐怖の方が断然上。最上の恐怖に突き動かされて、今日わたしはここまで走ってこれたんだから。


 だから。



「……ハウンドさん。銃の撃ち方、教えて下さい」



 ハウンドさんの手を握り返して、そう告げた。

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