GO☆

「父さん、本当にごめん……」

「いや、俺の方こそ。こんな時に何もできなくてごめん」

「ふふふ」


 俺、父さん、そして観月みづきちゃんの声が病室に入り交じる。4歳児の感性は遠慮なしだった。俺はベッドの上に正座。たてかけたタブレット端末越しの親子の会話である。毎回、この光景を見て観月ちゃんは笑うのだ。観月ちゃん曰く、おじいちゃんの家の「ぶつどん」に飾ってある写真にそっくりらしい。うん、でもそれはきっとだ。


 俺と観月ちゃんは、救急搬送されて、めでたく同じ病院に入院となったのだった。診断は二人揃って、一酸化炭素中毒と火傷。俺は気管支肺炎のおまけつき。もともと、風邪気味のところに、水をかぶって、火事現場に舞い戻ったのだ。いくら、火事現場が灼熱でも、秋の夜。さすがに体にこたえた。


「ま、でも、俺の元職場で助かったぜ。他の病院なら、入院の手続きをオンラインでとか、絶対に無理だからな」


 それは当然の話で、保証人がいなければ入院もまならない。もっと厄介なのは、観月ちゃんだ。朝比奈家は母子家庭。新居探しと平行して、仕事だってある。でも、入院となれば、親の付き添いは必須。しかも、新型コロナウイルス感染症対策で、病院側は付き添いを遠慮して欲しい。そのジレンマ――悩み抜いた末、特別室に俺と観月ちゃんが一緒。それがファイナルアンサーとなった。


 それもこれも、小児科医・秋田黄葉あきたこうようの経済力があればの話だ。金銭面では、ウチは少なくとも恵まれていた。それでも、仮住まいだったあのアパートにこだわっていたのは、母さんの面影が今でも残っている――そんな錯覚に囚われていたからで。


 観月ちゃんは、軽傷ですぐ退院許可が出た。それなのに俺のお世話係として、この病室に居座るという謎展開で今日に至る。


「ま、車は治せば良いから。むしろお前らの無事を願うことしかできなくて、これほど歯痒いと思わなかったよ」

「父さん?」


 画面越し。父さんの表情が柔らかい。秋田黄葉は、現在、国籍なき医師団ボーダレスギルドに所属している。いわゆる発展途上国とカテゴライズされる国に、小児科医として医療支援を行っているのだ。それが、父さんが、ほぼ日本にいない理由だった。


 母さんが亡くなってから、まるで死に急ぐように、戦線に近い場所で医療に従事していた。きっと、この人の目に、俺たちは映っていないんだろうと、ずっとそう思っていた。だから、今の父さんの反応は、むしろ意外だった。


「……まぁ、俺なりに誇りを持って仕事に取り組んできたって思ってる。でも、メンバーにずっとさとされていてさ。自分の子どもを大事にできないヤツが小児医療ができるか、って。今回のことで、本当に身に沁みた。ココにいたら、朱理たちに何もしてあげられないって痛感したから」

「……父さん」


 こういう会話をしている間も、時折『ずんっ』と空気を震わす音が響く。あえて聞かなかったが、この間も銃撃戦が行われている。父さんがいる国は、そんな紛争地だった。


 そんな状況だから、空港も閉鎖されている。父さんがそう言ってくれたのは嬉しいけれど、現状、帰国の目処はまるでたっていなかった。


「でも、良かったぜ。しばらく、お前らを預かってもらえるって聞いたからな」


 今現在、朱梨あかりはその知り合いのところに、お世話になっていると聞いている。細かい状況を聞こうにも、面会制限がある。俺は俺で観月ちゃんの世話で、わりと忙しい。(ここは声を大にして言いたい。)


 朱梨あかり朱梨あかりで、社会科見学がきっかけで、お世話になった保育園のお手伝いが多忙。結局、直近でまともな会話ができていなかった。


「それって、ドコなの?」

「それがなぁ、俺もよく知らないんだよ。先方のお母さんとは話をして、快諾してもらったんだけどさ。今日の退院に合わせて、迎えに来てくれるってさ」

「は?」


 俺の表情が固まる。


朱理しゅりお兄ちゃん、くどい顔になってるよ?」


 うん、それ言うなら怖い顔だよね。それから、俺の顔はもともと怖い。だから放っておいて。そして、頬を撫でても俺の顔は変わらない――。


「さすがの朱理も、観月ちゃんにはかたなしだなぁ。どうよ、朱理の嫁になっちゃう?」

「はいっ! モチのロンですっ!」


「いや、何言っての?! 親がロリコン推奨するなし!」

「俺と母さん、歳の差10歳だけど?」


「それ、成人後の話でしょ?」

「モチのロン!」

「やかましぃぃっ!」


 俺の怒号が病室に響いた。

 コンコン、ドアをノックする音が響いて、看護師さんが顔を覗かせた。


「……秋田君、特室とは言え、院内はお静かにお願いしますね」


 それから、タブレット端末を覗いて


「秋田先生もですよ」


 ジロッと睨まれて、画面の向こう側の父さんまで萎縮していた。この看護師さんは父さんの元部下らしいのだが、まったく父さんへ遠慮がない。病院内でのドクターと看護師の力関係を垣間見た気がした。


 意識が回復して、最初に受けた看護は、厳しいお説教だった。もっと自分のことを大事にしなさいと、火傷の処置を受けながら、休む間もなく怒られたのだった。


「……あ、俺、次の仕事があるから、今日はこのへんで! じゃ!」

「ちょ、ちょっと待って! だから、俺は退院したらドコに行くの――」


 最後まで言わせず、父さんはログアウトしてしまう。俺はため息をついた。

 そんなやり取りを見て、看護師さんも観月ちゃんも、クスクス笑う。


「先生は、本当に相変わらずですね」

「朱理お兄ちゃんのことは、確かに任されました!」


 観月ちゃんが、小さな胸を張る。色々、誤解と齟齬がある気がするが、訂正する気力もなかった。

 そんな俺を見て看護師さんは、クスッと微笑んで、それから頭を下げた。


「……秋田君。退院、おめでとうございます。でも、無理はしないでように。そういうところ、先生を見習わなくても良いですからね?」

 見事に釘を刺されたのだった。






■■■






「おにぃっ!」


 病室のドアが開いたかと思えば、朱梨あかりが飛び込んで、抱きつき――いや、これはタックルと言っていいんじゃないか? 俺はその衝撃で、またベッドに寝かされてしまう。


「朱理君、本当に観月のこと、どうお礼を言っていいのか――」


 そう言ったのは、朝比奈さんだった。


「お母さん!」


 年齢相応の表情を見せて、観月ちゃんは朝比奈さんママに抱きつく。


「お礼は、観月が一升瓶かけてお世話します!」


 一生かけて、かな? それだと、ただの呑兵衛のんべえだ。案の定、朝比奈さんは頭を抱えていた。


「あの……朱理しゅり君、観月が迷惑な時ははっきり言ってくださいね。私からも、しっかり言い聞かせますから」

「まぁ、子どものすることですから」


 俺は苦笑するしかない。


朱理しゅりお兄ちゃん! 女の子はね、脱皮したらすごいんだよ!」


 脱いだら、ね。でも、脱がなくて良いから。いや、ここで脱がないで! 俺、変態扱いされるじゃん?!


「相変わらず、仲良しだね。妹がもう一人増えた感じ?」

「これは【紅い変態】という異名が追加されそうだね」


 聞き慣れた声に目を向ければ、黄島と海崎のカップル――それから、なぜか、花園までがいる。俺は思わず目をパチクリさせてしまった。


「へ? なんで?」

「なんで、とはご挨拶な。やっと親友が、退院すると決まったんだ。面会制限あって来れなかったんだから、今日くらいは良いだろ?」

「本当はね、キャプテンも来たがっていたんだけど、ね。流石にこの人数はだめでしょ? 諦めてもらったの」


 海崎湊がニシシと笑う。


「いや、そうじゃなくて……は、花園?」


 見れば心なしか、花園の体が震えていた。あわてて目をそらす。人に怯えられるのも、奇異な視線を向けられるのもいつものことだが、こう態度があからさまだと、やはり良い気持ちがしない。


「あー、えーとね? そういうことじゃなくてね、おにぃ――」

花花はなはなちゃん。朱理はね、そういう気にしてないと思うから。まずは言いたいこと、素直に言えば良いんじゃないかな?」


 と海崎が言う。そういえば海崎は、花園花圃だから『はなはなちゃん』と呼んでいたことを思い出す。

 でも俺は、海崎の言う意味が分からず、首を傾げた。

 花園が大きく、息を吸い込む。


「――ごめんなさいっ」


 花園が頭頭を下げた。

 俺は目を丸くするしかなかった。


「栞ちゃんから、あの後、話を聞いて! 私の勘違いで、本当にごめんなさ――」

「いや、言っている意味が全然、分からないんだけど?」


 花園に謝られる理由が分からない。だれ、栞……ちゃん?


「お兄、花圃かほちゃん先輩から、一応聞かせてもらったんだけどさ。私の傘、その子に貸してあげたんでしょう?」

「あ――」


 二週間前なのに、もう忘れかけている自分がいた。あの子の両目に涙をためた姿が、今さらになって瞼の裏に焼きついて。今の花園と、その姿が重なってしまう。


「栞ちゃんは、観月の友達なんですー!」


 と観月ちゃんが元気いっぱいに手をあげる。いや、なんとなく予想していたけれど、まさかこのタイミングでカミングアウトされるとは、思ってもみなかった。


「……朱梨あかりが、社会科見学でお世話になった保育園って――」

「花圃ちゃん先輩のトコで、今もお世話になっています!」


 どうだ、と言わんばかりにVサインをしてみせる、妹を俺は白い目で見やるしかない。


(つまり今後、お世話になるのって、花園のトコ……いや、イヤ、それはナシだろ?!)


 クラスメートというだけでも、抵抗がある。まして、学内でダントツ人気の鉄の聖母様。そして学内で一番悪評をもつ紅鮫レッド・シャーク。どんな噂を囁かれることやら。何より、花園は俺のことが嫌いで――。


「もぅ、じれったいなぁ」


 そんな俺の思考は観月ちゃんの無邪気な声に、遮られた。


「よく分かんないけど、朱理お兄ちゃんも花圃ちゃん先生も、ケンカしたんでしょう? でも、花圃ちゃん先生は『ごめん』って思っている。それなら、保育園でやっているように、ごめんねのギューでいいよね?」


 にっこり、観月ちゃんは笑う。俺は、言っている意味が分からなかった。

 ごめんねのギュー? え? なに、それ――。


「せーの、GOゴー☆」


 と観月ちゃんが、花園の背中を押す。


「きゃっ!」

「え?」


 衝撃がくる。バランスをとろうと、なんとか踏ん張る。今度はベッドに倒れ込むことなく、立位を保持することができた。自然と俺は――。






■■■






 花園を抱きしめていた。






■■■







「え……?」

「あ、ごめん!」


 慌てて、俺たちは離れた。この間も、花園の甘くて淡い匂いが鼻孔を刺激して――それこそ変態かと、俺は首を横に振る。でも両手や、腕、胸に花園の暖かさ、その残滓を意識してしまって、妙に気恥ずかしい。心臓がバクバク胸を打つ。顔が熱いのは――きっと室内の熱気のせいだ。


「観月!! 病院でふざけないの!」


 朝比奈さんの叱責が飛ぶ。ニシシと笑って、観月ちゃんは俺の背中に隠れる。花園を見れば、顔を真っ赤にしながら両手で、胸を押さえていた。


「花園、そのごめん……」

「あ、秋田君。謝らないでください! 謝らないといけないのは私の方なんです」


「いや、でも……」

「でも、じゃなくて!」


「いや、そういうワケにはいかないから――」

「はいはい、そこらへんで。キリがないっしょ、二人とも」


 海崎が笑ってみせる。


「朱理は良いヤツだよ。私が保証するから。ね、彩翔あー君?」

「だね。花園さんが、朱理をサポートしてくれるのなら、これほど心強いことはないかな」

「もちろんです。朱梨ちゃんには、むしろお世話になってますから。こういう時くらい協力させてください!」


「いや、ちょっと――」

「だけどさ、朱理? 行く当てはないんだろ?」

「お兄……?」

「ん……。それは――」


 朱梨あかりと目が合って、言葉につまる。多分、頼めば黄島は、父さんの帰国するまで居候させてくれると思う。ただ、黄島家は、猫を飼っている。そして朱梨は、猫アレルギーだ。まして、海崎湊の家は論外だ。友達の彼女。その家に転がり込む勇気なんか俺にあるわけがなかった。こういう時、交友関係の少ない自分が本当に恨めしい。


「幸い、ウチは保育園です。場所はそれなりにあるので、遠慮しないでください」


 そう花園が微笑む。俺は小さく息をつく。これは観念するしかなかった。父さんが帰国するまで、花園の保育園でお世話になるしかない。そう思う。


「ま、朱理お兄ちゃん。よく言うじゃない? 『据え膳食わぬは、男の恥』って――」





「「「「「「「それは絶対、違うからね!!」」」」」」


 看護師さん交えて、みんなが仲良く観月ちゃんに突っ込みを入れたのだった。





■■■





 この時、俺はみんなとのやりとりが、あまりに心地よくて、気付いていなかったんだ。






 花園の体が、もう震えていなかったことに。

 

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