第35話 王都へ


 急に決まった王都行きの準備は慌ただしかったものの、仕事のほとんどは月人つきひとの衣装を葛籠つづらに詰めるだけだった。

 そのついでに、冬馬トーマに取り上げられていた夏乃なつののリュックが無事に返還された。

 リュックが手元に戻ったことで、やはり元の世界に戻らなければという気持ちが大きくなり、夏乃は改めて、自分の恋心に蓋をする決意を固めた。



 〇     〇



 青空の元、早朝に出発した船は順調に航行していた。

 月人の御座船は木造の帆船だ。夏乃が白珠島に来るときに乗ったオンボロ船とはまるで違う豪華な船だった。

 初めて乗る豪華帆船に、夏乃は大はしゃぎであちこち見学して回った。


「ご機嫌だな。王都に行くのがそんなに嬉しいか?」

 大きな影がぬっと現れた。振り返ると、ハクが立っていた。


「そりゃあ嬉しいよ。王宮に行くのはちょっと怖いけど、都に行けば帰る方法が探せるかも知れないじゃん。こういう世界なら呪術師とかだっているかも知れないし、今からワクワクするよ!」


「ははっ、あんまり期待しすぎてヘコむなよ。都は広いが、おまえの国に帰る方法を知っている者などそうはいまい」


「それくらいわかってるよ」


 夏乃は不貞腐れた。頭から否定するような珀の言葉がカチンとくる。

 言われなくても、それほど楽観視している訳ではない。ただ、ここ数日その事ばかり考えていたせいか、元の世界のことが気になって仕方がなかった。

 祖父は元気にしているだろうか。行方不明になった夏乃を心配するあまり、身体を壊していないだろうか。

 それに、時の流れが同じなら、夏休みもそろそろ終わる────。


 もちろん、王太后の件があるから今すぐは帰れない。それでも、帰る方法を探すことは夏乃にとって最重要事項だった。


「なぁ、おまえが望めばもっといい待遇で働けるんだぞ。ここで暮らすのも、俺は悪くないと思うぞ」

「そうかも知れないけど、家族が待ってるんだもん……」


 夏乃が珍しく弱気を見せたせいか、珀はなぐさめるように大きな手で夏乃の頭をぽんぽんと叩く。

 不器用だが、珀の優しい気持ちが伝わってくる。


「ねぇ、珀たちは異国の人なんでしょ? 島に来た異国船は、珀たちの故郷から来たんでしょ?」


 色々あって聞くタイミングを逃していたけれど、ずっと確かめたかった。


「ああ。俺の故郷っていうより親の故郷だけどな。俺たちの親は、彼らと同じ異国の商人や船乗りだったんだ。遠い西国から何年もかけてこの東国までやって来て、交易をしていたらしい。月人さまのお母上、セレーネさまが先王陛下に見染められて側室になった時、俺たちの親はセレーネさまを守るためにこの国に残ったんだ。今はその子供である俺たちが月人さまを守っている」


「それじゃ、珀もこの国で生まれたの?」

「ああ。俺はこの国から出たことはない」


 珀の言葉が、夏乃には「国を出るつもりはない」と言っているように聞こえた。


「セレーネ様さまは船長の娘だったが、航海の守り神のような存在だったらしい。だから俺たちの親はこの国に残ったんだ」

「そっか。そう言えば、月人さまも神々しい方だものね」


 王太后に命を狙われていなかったとしても、きっとこの国では、異国の血を引く人たちは疎外されているのだろう。そんな国に、大切な人を残して去ることは出来なかったに違いない。

 子供の世界にも大人の世界にも、意地悪な人は必ずいる。そこに権力が絡んでくれば、それに追従する日和見の人たちが加わって大ごとになったりする。

 夏乃は思わずため息をついてしまった。


「あんまりウロウロしてると、また冬馬さまに怒られるぞ。そろそろ月人さまのそばに戻っておけよ」

「うん」


 珀に笑顔で手を振ってから、夏乃は月人の船室へ足を向けた。

 上下に揺れる甲板を歩きながら、ふと足を止める。

 周りに目を向ければ、見えるのは青い空と陽の光を受けてキラキラと光る波。夏乃が初めてこの世界に来た時と同じ風景が広がっている。


(そう言えば、あたし、船の上に転移したんだっけ。もし珀の船が通りかからなかったら、あたし、海に落ちてたのかな?)


 ふと湧いた疑問に、夏乃は思わずブルッと肩を震わせた。


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