第34話 帰りたいです。


『そなたは、国へ帰れる手立てが見つかったら、迷いなくここから去るつもりか?』


 いつになく真剣な表情で問いかける月人つきひと

 紫色の瞳が食い入るように夏乃なつのを見つめている。


「それは…………帰れるなら、帰りたいです。あたしの家族はもう祖父ひとりしかいません。祖父が心配してると思うと、早く戻って元気な姿を見せたんです」


 夏乃は月人から目を逸らし、家族のことだけ考えた。

 恋心を自覚してしまった今、自分の心は誤魔化せないけれど、月人を騙すことなら出来る。


「……私や、ここにいるそなたの友達が頼んでも、ここの人間になってはくれないのか?」


 哀しそうに眉を寄せる月人の顔を見てしまうと、すぐに心が揺らいでしまう。


「考えたことはあります。帰る方法が見つからなかったらって思うと不安で不安で……。ここでずっと働かせて貰おうかなって思った事はあります。でも……やっぱり家族のことを考えると、簡単にここに残るなんて言えません」


「そうか……そなたの気持ちはよく分かった。だが、私は、そなたを手放したくはない!」


 フワッと伸ばされた手に肩をつまれ、夏乃は叫ぶ間もなく月人に抱きしめられていた。


「どうか、私の側にいてくれ!」


 押し殺した月人のつぶやきに、嫌というほど心が揺さぶられる。


(どうして……この人と同じ世界に生まれなかったんだろう)


 好きになった人から傍にいて欲しいといわれるなんて、本当なら嬉しいはずなのに、夏乃は泣きたくて仕方がなかった。


「月人さま……」


 月人の背中に伸ばしかけた手を、夏乃は硬く握りしめる。

 本当は彼の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめて安心させてあげたかった。


「月人さま、ごめんなさい」

 夏乃は月人の胸をそっと押して、彼の顔を見上げた。


「そのかわり、帰る方法が見つかるまでは、ずっと月人さまの傍にいますから」


「そなたは……意地悪だな」


 月人は悲しげな表情で苦笑すると、静かに立ち上がって階下へ降りて行った。



 〇     〇



 ジジッ、と炎を揺らして燭台の灯りが消えた。

 明り取りの窓も光を失っていて、書庫の中は闇に閉ざされてしまった。


「油切れか」


 あれから一人で虫食い探しをし、ちょうど最後の紙束を箱に入れたところだった。

 本当は必要のない仕事だったのかも知れないが、通常業務に戻る気にもなれず、結局最後まで虫食い探しをしてしまった。


 比較的暖かい三階にいたせいか、外の空気がいつもより冷たく感じる。

 ブルッと肩を震わせながら回廊を歩いて行くと、ハクに出くわした。


「夏乃、どこ行ってたんだ?」

「どこって、書庫だよ」

「なんだ! まだ書庫に居たのか?」


 珀はあちこち夏乃を探し回ったらしく、何やらブツブツと言っていた。


「実は、雪夜の脱走で先延ばしになってた王都行きが決まったんだ」

「あ、すっかり忘れてた!」

「だよな。俺はわざわざ行く必要ないと思うんだが、月人さまが明後日出発するとお決めになった。おまえも準備にかかってくれ」

「わかった。あっ、ねぇ、条件は変わってないよね?」


 背中を見せた珀に思わず問いかけると、珀は笑ってうなずいた。


「日当は銀十粒。都見物つきだ」

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