第26話 月人の呪詛
(一体、誰が間者なんだろう)
月人暗殺未遂の日。夏乃が
(そういえば……あの後、あたしは広間に戻ったけど、みんなはどうだったんだろう?)
とめどなく考えながら、すっかり顔パスになってしまった二人の兵士の間を通って月人の御殿に入る。
(仕事の合間に聞き込みをするとしても、まずは鈴音と波美に訊いてみた方が良いよね? 二人の疑いが晴れたら、一緒に聞き込みを手伝ってもらえばいいんだ)
これからどう動くか。もう一度、
(まずは、一番情報を持ってそうな人に話を聞いてみなくちゃね!)
「朝餉をお持ちしました!」
声をかけて一礼し、月人の部屋に入る。
いつものように長椅子に腰かけた月人の銀糸の髪が、窓からの日差しにキラキラと煌めいていた。
「夏乃。
「はい」
「脱走した雪夜は兵に探させているが、まだ見つかっていない。山に入っていたら見つけ出すのは難しいだろう。この島はかなり広いからな」
「脱走に誰かが手を貸したらしいって聞きましたけど?」
「確証はないが、そうだろうな」
月人はうつむいてため息をつくと、夏乃の方へ視線を向けた。
「珀から聞いたが、そなた、棒術の訓練を始めたらしいな。それは、雪夜のことを聞いたからか? ここにいるのが怖いか?」
月人の目が、痛まし気に夏乃を見つめる。
「まぁ、正直に言えば怖いです。なので、護身のために鍛えてます。誰が雪夜の脱走に手を貸したか、わからないんですか? その人は、汐里を殺した人ですよね?」
「たぶんそうだろう。まだ誰かは特定できていないがな」
「あたし、考えてみたんです。雪夜が生きているのに、汐里が殺されなきゃいけなかった理由は何だろうって。汐里を殺した奴からすれば、一番怖いのは自分が間者だと知られてしまう事ですよね?」
「ああ」
「もしかしたら汐里は、間者の顔を見てしまったか、汐里以外の誰かが干しナツメを配っていたのを知っていたんじゃないでしょうか?」
「どういうことだ?」
月人は眉間に深くしわを刻む。
「睡蓮から聞いたんです。門番のおじいさんは、汐里とは別の侍女から干しナツメを貰ったそうです。もしかしたら、汐里がお酒を飲まない人全員に干しナツメを配ったって話、本当は違ったんじゃないでしょうか。汐里一人では配り切れなかった人たちに、誰かが汐里からだと言って配っていたとしたら、きっとその人が間者ですよね?」
「それなら汐里の口を封じなくても、干しナツメを貰ったものに聞けばわかるだろう」
「全員に聞いてみましたか? 今朝、珀に聞いたけど答えてくれませんでした」
「たぶん、全員には聞いていないだろう……確かに、迂闊だったかも知れないな」
月人は額に手をあてて考え込んでいる。
「じゃあ、今からでも聞いてください。あたしも身近な人にはそれとなく聞いてみますから」
夏乃はそう言って立ち上がった。
「もう行くのか?」
「はい。これから回廊の掃除があるんで」
「そうか……」
疲れたようにため息をついてじっと夏乃を見つめる月人を、夏乃は立ったまま見下ろした。
(顔色が悪いな)
色白なので分かりづらいが、きっと疲れているのだろう。
そう思った瞬間、グラリと月人の身体が揺れた。
崩れるように長椅子の上に倒れた月人は────衣だけ残して消えてしまった。
「ええっ?」
驚きのあまり動けずにいると、崩れ落ちた月人の衣装が蠢いて中から黒犬が顔を出した。しょんぼりと耳を垂れたその顔を見た瞬間、夏乃はあたふたとテーブルをよけて長椅子の前の膝をついた。
「月人さま……ごめんなさい! 血をあげるの忘れてました! ああもう、言って下さればいいのに!」
雪夜のことばかり考えて、月人に血を提供することをすっかり忘れていた。それどころか、月人が呪詛に苦しんでいることも頭からすっぽりと抜け落ちていた。
(あたしったら、なにやってんだろ!)
夏乃は細長い黒犬の顔をそっと両手で包んだ。すっかり傷の癒えた両手の指先が目に映る。
思えば、先日の露天風呂でのハプニング以来、夏乃は月人に血を提供していなかった。
いつも珀や冬馬に切ってもらっていたが、今は誰もいない。ならば自分でやるしかないと慌てて辺りを見回すが、月人の膳にもナイフのようなものはない。
「夏乃、今は良い。そなたはこれから仕事であろう? 私は今日一日この姿で良い。今夜、全ての仕事が終わったらここへ来てくれ」
遠慮するような言葉を口にした黒犬を、夏乃はまじまじと見つめた。
しょぼくれた顔の黒犬。その愁いを帯びた紫の瞳に、胸が痛くなる。
「わかりました。すぐに珀か冬馬さまを呼んで来ますから、ここでじっとしていてくださいね!」
人の形のまま脱ぎ捨てられた衣装を手早くたたむと、夏乃は急ぎ足で月人の部屋から出て行った。
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